第3話 ボーイミーツガール
「ヤバイ。そろそろ戻らないと」
チョコレートバーをかじりながら研一は呟いた。
それはとても甘くて
ベニヤ板を戻す時に彼は少し考えた。
そして、胸ポケットのボールペンで彼女の残したメモ用紙に書き足すとサンドイッチのラベルを器用に
彼が書き足したのは次の言葉だった。
いつでもどうぞ
メモ用紙が剥がれないか確認すると、彼は全速力で教室へと向かった。
どのみち、あの子とは話をしなくてはならない。
それなら早い方が良い。
これが研一の判断だった。
翌日の昼休み。
研一はいつものようにフェンスのベニヤ板の前に来ていた。
昨日と同じようにベニヤ板はずらされていた。
彼が貼り付けたメモ用紙はそのままになっていた。
あの子が来ているのは間違いないようだ。
研一は少し緊張しながらフェンスを通り抜けた。
クヌギの樹の近くまで来ると昨日と同じ光景が目に入った。
艶やかな黒い髪にセーラー服。
研一はゆっくりとクヌギの樹に近づいた。
「あっ」
研一に気が付いた女子生徒は彼の方に向き直った。
その時、少し強い風が吹いて彼女の肩まで伸びた髪が揺らめいた。
それはキラキラと輝いて風の中で踊っているように見えた。
彼女は両手を前で組んだまま研一を見つめている。
昨日と同じように喋りたいけど口が動かないようだった。
研一は声をかける事にした。
「ありがとう」
「え ? 」
「チョコレートバー。美味しかったよ」
そう言って研一は笑顔を見せた。
そんな彼を見た彼女の表情から硬さが取れていった。
「・・・お口に合いました ? 」
少し上目使いに
「うん。とっても美味しかったよ」
「良かったです!」
彼女の声は
その声は研一の中に染み込んでくるように感じられた。
それから2人はクスクスと笑い合った。
「緊張はとれたかな ? 」
「あ、はい。ありがとうございます」
彼女はペコリと頭を下げた。
「少し聞きたい事があるんだけど良いかな ? 」
「・・・はい」
彼女は
「そんなに緊張しないで。別に尋問する訳じゃ無いんだから」
彼女はコクンと頷くと持っていた肩さげカバンからビニールシートを取り出してクヌギの樹の下に広げた。
そして、スカートを気にしながら靴を脱いでその上に正座した。
「別に正座なんてしなくて良いのに」
「いえ。
何か律儀な子だな。
そう思いながらも小柄な女の子があどけなさの残る顔で正座しているのは妙な可愛らしさがあった。
研一もビニールシートの上に靴を脱いで座り込んだ。
下草がクッションのようになってなかなか座り心地は良かった。
「えっと」
「待って下さい」
研一が口を開こうするのを彼女は手を出して
「その前に自己紹介させて下さい」
「自己紹介 ? 」
「はい。あたし、先輩のお名前を知りたいんです。人に何かを尋ねる時は、まず自分から教えるのが礼儀だと思いますので」
研一は思った。
この子はマジメなのか、天然ボケなのか ?
「おほん」
彼女は咳払いして名乗った。
「あたしは
「あー、名前だけで良いよ。やまぎしかなでさんだね。かなでって言う字はどんな字なのかな ? 」
「あっ、すみません」
彼女は慌ててカバンからメモ帳とサインペンを取り出した。
そしてスラスラと名前を書くと、ピッとメモ用紙を切り取って研一に差し出した。
「どうぞ」
「恐れ入ります」
研一はボケたつもりだったが彼女からは何の反応も無かった。
気を取り直して受け取ったメモ用紙を見た。
「音楽を
「あ、ありがとうございます」
彼女の頬が少し赤くなった。
「それでは」
研一は胸ポケットのボールペンでメモ用紙に自分の名前を書いた。
「どうぞ。僕の名前は高見研一。2年1組」
「恐れ入ります」
彼女はうやうやしく受け取った。
「研一さんですね。何か
「そうかなぁ ? 」
凛々しいと言われた事は無かった。
「何か古臭い名前だと言われた事はあるけど」
「そんな事ないです。あたしは研一さんってお名前は好きです」
女の子の口から「好き」と言う言葉を聞いて研一は少しドキッとした。
しかし、奏の態度は特に変わらない。
この子は天然だ。
研一はそう結論づけて質問を切り出した。
「えっと。山岸さんは、どうやってこの場所を知ったの ? 」
「あたし、見ちゃったんです。昼休みに高見先輩が部室棟の裏から走って来るのを」
やはり見られていたのか。
しかし、研一は人目につかないように注意していたつもりだったのだが。
「
「教室の窓から。1年生の教室は3階ですから」
そうか。
上から見られていたのか。
「それで ? 別に部室棟の裏から走って来ても特に珍しい事じゃ無いと思うけど ? 」
「あたし、何故か気になっちゃって。あたしの席は窓際ですから昼休みの時は部室棟の方を見るのが癖になっちゃいまして。そしたら」
「何回か僕の姿を見たと ? 」
「・・・はい。それで先輩が出て来る部室棟の裏には何があるのかなって」
「気になっちゃったんだ ? 」
「・・・はい。ごめんなさい」
そう言って奏は頭を下げた。
「いや、別に謝る事じゃないよ。それで確かめる事にしたんだね ? 」
「はい。放課後に部室棟の裏に行ってみました。そしたら樹々の間に小道があって。よく観察したら沢山の
「それを追跡したんだね」
「はい。フェンスの前にも靴跡がありましたので辿って行ったらベニヤ板があったんです」
研一は感心していた。
この奏って言う子は頭も良いし行動力もある。
「だけど、昨日はなんでクヌギの樹の所に居たの ? 僕が来る事は判っていたんだよね。怖くなかったの ? 見ず知らずの男と、こんな誰も来ない場所で2人きりになるんだよ ? 」
「そう思って確かめさせて頂きました。それで確信したんです。高見先輩は優しい良い人だって」
「確かめる ? 」
「はい。失礼は承知の上で。
「ええっ!」
研一はビックリして大きな声を出してしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
奏は何回も頭を下げて謝った。
一昨日って2日前だよな ?
研一は、そんなバカな事を考えていた。
それほど混乱していたのだ。
この雑木林に通い出してから他人の気配を感じた事は無い。
それで油断をしていたのかも知れないが、それにしたって。
「ごめんなさぁい」
奏の涙声で研一は我に返った。
この子を泣かしちゃいけない。
「僕の方こそゴメン。大きな声出しちゃって」
そう言いながら奏にハンカチを差し出した。
一昨日、変な事はしてなかったよな ? と確認しながら。
「もう泣かないで。別に怒ってはいないから」
「ホントですかぁ ? 」
奏は顔を上げた。
涙をこぼしながら情けない顔をしている。
思わず研一は吹き出しそうになったがグッと
笑うのを我慢して優しく言った。
「ホントだよ。さぁ、泣くのは止めて。涙を拭いて」
「ありがとうございまぁす」
ハンカチを受け取った奏は涙を拭いた。
涙も止まって、少しは落ち着いたようだ。
「大丈夫 ? 」
「先輩、少し向こうを向いて耳をふさいでて下さい」
「え ? うん、わかった」
研一が奏の反対側を向くと後ろで何やらカバンから取り出す気配がした。
そして、盛大に鼻をかむ音が響き渡った。
しばらくしてから研一は声をかけた。
「もう、そっちを向いても良いかな ? 」
「あ、はい。どうぞ」
奏の声は落ち着いていた。
振り返ると少し目を腫らした奏がいた。
ちょっと怒っているようにも見えた。
「先輩、耳をふさいで無かったでしょ ? 」
「うん ? 何も聞こえ無かったけど」
「・・・嘘」
「僕の耳には何も聞こえ無かった!」
そんな研一を見ていた奏はクスッと笑った。
「やっぱり、先輩は優しい良い人でした」
奏の笑顔はとても
「一昨日、山岸さんはどの辺りにいたの ? 」
「クヌギの樹が見える所で、こちらからは死角になっている所。あの辺です」
奏が指さした辺りを見てみた。
なるほど。
確かにこちらからは見えない。
「どうして僕が、このクヌギの樹に来る事が判ったの ? 」
「あのベニヤ板の所からここまでは下草が何回も踏まれて道のようになってました。このクヌギの樹から奥へは、そのような箇所はありませんでしたから」
「・・なるほどね」
研一は
「あたし、この雑木林がとても好きになりました。同時にあたしには必要な場所だって事も」
「それでここへ通ってる僕の品定めをしようと」
「品定めだなんて。ただ、先輩の言う通り怖い人や変な人だったらどうしようって」
「それで、僕は君のお眼鏡に
「はい!こう見えてあたし。人を見る目はあるんです」
奏は笑った。
「そして、やっぱりそれは間違っていませんでした」
そう言って奏は嬉しそうにその場でくるりと回った。
また奏の髪が踊った。
研一はそんな奏を見ながら気になった事を聞いた。
「ここが君にとって必要な場所、の意味は ? 」
奏は少し顔をふせたが、真っ直ぐに研一の目を見て言った。
「あたし、パニック障害なんです」
つづく
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