愚者の世界

ossowake

Episode:1 Birth

「ここは……」


 とある森。雷が落ちたのだろうか。周りは火に囲まれていた。地獄を思わせる業火の中で、男は目を覚ました。尋常では耐えられない熱が、男にはしかし心地よかった。男は、種としての本能に身をゆだねるように、意識して呼吸を行うときのように、全身を炎に変えていった。男は、その種族をフェニクスといった。


 ある森に、一輪の花があった。その花の周りに、魂が漂っている。生前、何か思い入れがあったのだろうか。その花を手に入れようとしているように、その花に触れていた。そうして、やがて魂は花に宿った。そこへ、雷が落ちた。

 雷は木々を焼き、森を燃やした。森を焼いた炎は、象が蟻を踏みつけるようにあっけなくその花にも燃え移った。花に宿った魂は、その灰に宿り、その炎に宿った。そうして、周囲の灰をかき集め、炎はやがて人の形をとった。結果、伝説にのみその名を語られる伝説の種、フェニクスは、この世に生を受けた。


 だんだんと、意識が覚醒していく。目に映るのは、あたり一面の赤。その熱に身をゆだねて、体の力を抜く。体が発火し、血肉すら徐々に炎に置き換わっていく。不思議だ。この体は、自転車に乗る時のようにその方法を知っていた。しかし、頭が、心が、魂が、この現象を受け入れていなかった。そんな心と体の乖離を感じる。俺は、俺の自意識は、きっと人間なのだろう。しかしその体は未知の怪物。それが今の俺。そう思うと急に物悲しくなった。世界から排除されたような気持ちを感じる…。その哀愁を受け入れ、この世界で生きていくために、まずは周囲の探索を始めることにしよう。


 燃え滾る森を進む。こんな環境では、魔獣に遭遇することもない……。というのはというのは楽観的だった。数分後には、一匹の魔獣に遭遇することになる。国難級魔獣、血濡れ熊ブラッディベアである。


 熊が迫ってくる。炎が視界を遮って、気づくのが遅れた。熊を目前にして、魂が恐怖する。体が一瞬硬直する。脳が職務を放棄する。一刹那ののちに、熊がはらわたに食いついた。


「ぐわぁぁぁ!いてぇ!!くそがっ!!!」


 生きたままはらわたを食われる。激しい痛みと共に、徐々に脳がその機能を取り戻す。ひとまず体を炎化して熊から逃れる。口の中を焼いてやったが、熊は意に介さないようだ。少しは期待したんだが…。やっぱりという思いもある。しかし困った。この熊、俺より速いだろうなぁ。そうなると、逃走は現実的じゃない。が、有効な攻撃手段もないんだよなぁ。こちらも炎化を使えば攻撃を食らわないようにはできるが…。まあいろいろと試行錯誤してみよう。


 …一人の男が、一匹の熊と死闘を繰り広げていた。否、傍から見れば死闘であったが、当事者たちには余裕があった。両者ともに有効な攻撃手段を持たぬが故の長期戦は、三日目に突入しようとしていた。しかし、尋常ならざる者が見れば、きっと同じ結論に至るであろう。つまり、勝つのはきっと男のほうだ、と。


 勝てるぞ。炎化を繰り返し、徐々に炎化できる体積が増えてきた。初めのほうは腰の入っていない拳、恐れの入った手刀、気合のない蹴りだったが、それもだんだんコツが掴めてきた。すさまじい勢いでの成長だ。いや、自分でいうのはなんだか恥ずかしいが。まだ、熊に対して有効な一撃は繰り出せていない。しかし、おそらく俺の勝ちだ。奴も成長はしているのだろう。しかし俺の牙のほうが早く命に届く。予感は徐々に確信へと近づいた。


 男の戦いは、早くも七日目。この日、初めて熊の体表に傷が入った。

 十日目。手刀による傷跡が増えていく。気づけば周りの火は消えていた。

 十三日目。蹴りで熊を動かした。拳で内臓にダメージを与えることに成功した。

 十五日目。男の拳は、ついに熊を戦闘不能に至らしめた。


 ……勝った。熊は今は気を失っている。今ならば容易に命を奪えるだろう。だが、二週間を超えて戦った相手だ。途中から、俺も熊も戦いを通して語り合っていたような、そんな気分だった。決着がついたんだ。起きて俺を襲わないなら、見逃してやってもいいか。まあいい。俺も少し、眠りたい……。


 目覚めると、熊はまだそこにいた。動くくらいはできるだろうに…。いや。こいつも俺と同じ気持ちなのか。敵意を超えた愛着。ならば、ここでは余計な問答など必要ない。勝者として威風堂々振る舞う。それが勝者としての義務だ。俺はただ、こう言えばいいのだ。


「熊、俺について来いよ。」








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