第佰捌拾伍話:殺し、奪い、失う

 戦戦戦、西も東も日本全てが争いの沼に沈む。

 その中にあって関東の戦はやはり異質であった。国を跨ぎ『義』を掲げ暴れ回る龍の軍勢、他国でも侵略戦争は起きている。戦乱の世、それ自体はよくある。だが、彼らは侵略に来ているわけではないのだ。

 殺し、奪い、去る。

 徐々に関東諸侯も気づき始める。


 上杉輝虎に関東を治める気など無いのではないか、と。


 土地に執着しない。反北条各勢力の支援に尽力していると言えば聞こえはいいが、そことは関係ない部分でも彼らのスタンスは変わらない。

 どんどんわからなくなるのだ。

 輝虎が何を求め、何をしようとしているのかが。

 それは敵も同じ。

 北条は考える間もなく上杉軍が現れる度に対処し、その度に息を吹き返す反北条、佐竹や里見と言った関東の実力者たちにも頭を抱えさせられる。

 だが、そんな中でも常に浮かぶのは上杉の動き、その一貫性の無さであった。戦略を感じない。あまりにも場当たり的過ぎる。

 その上で化け物のように強い。

「上杉は何を考えている!?」

「知るか!」

 そして他者や敵以上に、わからないことに頭を悩ませていたのは味方であった。下っ端は良い。彼らにとって大局などはどうでもよく、農作業のケアとそれなりの『旨味』があれば戦など大歓迎であるのだ。自分が死なぬ限り。

 奪う側である限り。

 しかし、上に立つ者はそうもいかない。この戦は何のためにやるのか、この勝利は何に繋がるのか、勝利の先にあるもの、奥にあるものを考えてしまう。

 少しでも頭の働く者ならば理解してしまう。

 其処には何もないことが。

 ゆえに後々――破裂することとなる。彼らは元々一枚岩ではなかったから。

「……」

 永禄六年、某月某日。この年は年明け前に北条、武田の連携により松山城が攻められたことから始まる激戦の連続で上杉輝虎は関東に張り付きを余儀なくされていた。別にそれ自体、輝虎としては望むところ。

 何も考えずに楽しめるから。

 だが、楽しんでいる最中――

「……九十三、ぶは、大往生ではないか。のぉ、ジジイ」

 天室光育が隠居先の長慶寺で亡くなったことが輝虎の耳に入った。父よりも、誰よりも長く幼少期の大半を過ごした人物である。

 享年九十三歳、現代で考えても長く生きた。悲しむことなど無い。人はいずれ死ぬ。当然のことである。そもそも、現在進行形で大量に人を殺めている自分が、人の死を悼むことなど道理に反している。

 だから、泣けない。

 涙は、出ない。出てはならない。

「……」

 帰りたい、などと口が裂けても言ってはならない。

 最近、現実が悪夢を追い越し、代わりにあの頃の、幼き頃の記憶ばかりを夢に見る。何も知らずに林泉寺の中で、守られていた頃の夢を。

 ゆえに輝虎は天を仰ぎ目を瞑る。

 夢を見ようとする。

「今が夢であれば……どれだけ」

 口につく弱さ。それを拭い輝虎は立ち上がる。景虎、政虎、次は輝虎。大した意味はない。もうとうの昔に自分は自分ではないのだから。

 あの頃は置いて、進むのみ。

 今年も輝虎は関東で越冬する。育ての親の末期を見つめることすらなく。


     ○


 新たに据えた古河公方足利藤氏を支え、古河城に残っていたはずの近衛前久は今、京へ戻っていた。上杉方が古河地域を抑え切れず、やむなく前久もまた古河城から出て行くこととなったのだ。されど、男は挫けない。

 諦めずに同志、上杉輝虎が関東で戦っているのだ。

 己も気合を入れ、今出来ることをする。

 越後にいても自分は何も出来ない。だが、今日ならば五摂家筆頭の力を使うことが出来る。だから彼は自らの意志でこの地へ戻った。

 化生共が巣くう都へ。

 いずれ関東平定を終えた上杉輝虎が今日に凱旋するための下地作りをするのだ、と。だが、折しも彼が戻った京も大混乱の渦中にあった。

 その中心は、三好家。

 永禄四年、実弟である十河一存が急死。続く五年、次は戦場で同じく実弟三好実休が細川の血を掲げた畠山と六角の軍勢を相手に戦死。

 だが、弟を討った軍勢を相手に松永久秀と嫡男義興が牙を剥く。畠山を打ち破り、当主高政を追放。同時に六角に頭を下げさせ和睦、京から追い出した。

 さすがは腹心、松永久秀と優なる嫡男、義興である。

 しかし、彼らの顔に笑顔はなかった。

 其処には彼らの当主である『蛟竜』三好長慶の姿がなかったから。

 それゆえ反三好の勢いは止まらない。

 さらに三好家へ追い打ちをかけるように嫡男、三好義興が早世する。これには現在の三好家を支える松永久秀も頭を抱えるしかない。

 まるで天が、三好に京を明け渡せと命ずるかのようで――

「長慶様、若様が」

「……くく、そうか。いよいよ、だなァ」

 三好家は急遽、十河を継ぐ予定であった一存の息子を長慶の養子とし、三好の後継者に据える。これは彼の母方が五摂家の九条であったことが要因であったのだが、それを良く思わぬ者も当然いる。例えばそう、一存と同じ立場であったこれまた長慶の実弟、安宅冬康などはそうであったのかもしれない。

「お呼びですか、兄上」

「おう」

「何を――」

 三好長慶は現在の居城である飯森山城に呼び出し、殺した。この件に松永久秀の諫言があった、との話は全て軍記発祥であり、詳細は不明である。

 安宅冬康に逆心の疑いがあったのか、継承の不安を除くためか、それとも潔白なのに病を患い狂った長慶の愚行で散ったのか、それはわからない。誰にも。

 三好長慶が――

「天がな、俺を突き落とそうとも……それでも俺は――」

 それを残すことを良しとしなかったから。自らがいつ病にかかり、自らがどのように弱り、どうやって天から落ちたのか、彼はそれを認めなかった。

「ぬしは裏切りそうな見た目で、なかなか裏切らんな。落ち目ぞ、三好は」

「なら、落ちる様を見届け、去りますよ」

「くく、そうか。ああ、そうしろ」

 最後の最後まで、抗った。

 そして永禄七年七月四日、日本の副王にして『蛟竜』三好長慶が散る。その十日ほど前、京にて方々への挨拶並びに将軍足利義輝にも拝謁を済ませ、十河の子、十河重存改め三好重存へ家督をつつがなく継承してすぐのことであった。

 その報せに皆、驚いたものである。

 十日後に死ぬ男の姿には見えなかったから。威風堂々と、義輝にも対等であるかのように、在りし日の存在感を示していた。

 それが龍であった男の、最後の意地であったのだろう。

 また一人、時代を彩った英傑が舞台を去る。

 それによって京は荒れる。次なる英傑の統治を求めるかのように。


     ○


 だが、この年はこれで終わらなかった。

 愛する者の死、いつか共に轡を並べるはずだった龍の死、そこからさらに輝虎は失うこととなる。今度は身近で、己の判断の誤りが、哀しき事件を引き起こす。

 彼は知らなかったのだ。老いとは、かくも人を突き落とすものなのだと。

 これに関して輝虎は、生涯悔いることとなる。

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