第佰弐拾漆話:堺遊覧

「俺は奥で休んでおるから、皆は思い切り遊んで参れ」

「ははっ!」

 この時代の日本一と言って差し支えない大都市、堺にやってきた越後勢は財務大臣である大熊朝秀より銭を受け取り、街へ飛び出して行った。

「ぬしも羽を伸ばせ。色々と気をもむ立場であったろうしな」

「しかし、御屋形様をお守りする者が」

「持の字も随分腕を上げた。それとこの梅太郎、実は相当の腕利きでな」

「……そうは見えませぬが?」

「いいから行け。俺の命令を聞けんのか?」

「い、行って参ります」

 堅物、大熊をも排除した景虎はご満悦であった。旧知の仲である大熊が最後まで粘っていたのは、堺を前に景虎がじっとしているとは思えなかったから、であった。出歩くのであればせめて護衛を、と思っていたのだ。

 しかしこの景虎、堅物を連れ歩く趣味はない。大熊を連れて歩くと言うことは、守護代行が行ってもおかしくないところに限定されてしまうと言うこと。剣術道場の見学や相撲観戦ならばまだマシ、下手をすると公家連中の蹴鞠などに参加させられかねない。茶の湯、連歌会、能楽、マジ勘弁である。

「さて、持の字よ。ぬしに重要な任務を与える」

「……嫌です」

「主君の命ぞ。拒否権はない」

「嫌ですぅ」

 ちょっと前までは三好長慶にこってりやられて大人しくしていたのだが、のど元過ぎれば何とやら、復活した景虎はすっかり元通りであった。絶対に嫌なことが、大変なことが降りかかるに違いない。ゆえに逃げようとする甘粕景持。

 無論、逃げ場はないが。

 ただし今回は、

「へ?」

「どうしても必要なのだ」

「やりまぁす!」

 甘粕にとっては『やりたい』無茶ぶりであったのか、嬉々として飛び出して行った。その様子を見て景虎はケラケラと笑う。

 一部始終を見ていた梅太郎こと梅はため息をついた。


     ○


 大都市堺へ降り立った一輪の花、と言うには大き過ぎる女であった。

「デカ過ぎんだろ」

「でも、滅茶苦茶美人だぞ」

「しかし、デカい」

 街の人間すべての視線が集まっているのでは、と思うほどの注目度。何故か鼻高々の従者、甘粕景持がコーディネイトしたその女性の名は、

 長尾景虎ならぬ、姓不詳の女、おとらであった。

「両脇の二人も美丈夫ねえ」

「でも、ご婦人が一番大きいわよ」

「大きいわねえ」

 全速力で変装用の諸々を買い込んできた甘粕と大人の女性として化粧の腕もそれなりとなった梅の共同制作、当時よりもクオリティは高い。

 しかし、デカい。デカすぎる。

「とりあえず銭が無ければ始まらん」

「銭はありますよ?」

「足りん。増やすぞ、どーんとな」

「……まさか」

 再度、嫌な予感に襲われる甘粕を見て、おとらはにんまりと笑う。梅はもうどうにでもなれ、と無の境地に達していた。

 もはやこの男、ならぬこの女、誰も止めることは出来ない。


     ○


「あら、勝ってしまいましたわ。おほほほほ」

「あ、あが」

「な、何かの間違いだ。こんな荒れた碁、美しくない」

「この俺、地固めの権三郎がぁ」

「女に、負けた」

「折角昨日、間抜けな商人から寄進を巻き上げたのにィ!」

 おとら、駿府での反省を生かして厄介事に巻き込まれぬよう、一撃で全員を屠った。五人まとめての多面打ち。腕に自信のある男たちに女が賭け碁を持ちかけたなら、最初は鼻で笑われるだろうが五人まとめて、と言われたなら話は別。

 武士に限らずこの時代、今よりも面子が大事な時代であり、そこをくすぐられたのでは勝負を受ける以外の選択肢を男は持ち得ない。

 しっかり嵌めて、きっちり潰す。

 蒼白の表情となった五人組の出来上がり、であった。

「では皆様から徴収をお願いしますね、持之介」

「はい!」

 いつもより三倍元気な甘粕は全員からきっちり銭を毟り取る。この姿だと普段よりもずっと従順なのは、結構歪んでいる、と梅は思っていた。

「次の狩場へ行くぞ」

「次ですか?」

「おう。俺は囲碁ほどではないが将棋も強いのだ」

「……水の都に来て、やるのが賭け碁に賭け将棋」

「楽しかろう? 銭も稼げるし一石二鳥よ」

「性格が捻じ曲がっている」

「照れるのぉ」

「褒めてない」

 いざ行かん、次の賭場へ。

「お、おいどんの無敵囲いがァ!」

「おほほほ、ザルでしたわ」

 誰もが思った。これは相手が悪い、と。将棋指しならば一度は夢見る最強の囲い。どう見たってこれが最強だろう、と初心者が行着く形こそが通称無敵囲い、と言われているとか言われていないとか。居玉の頭に飛車が来て、その周りを皆が守る。攻守に渡って弱い形である。良いところは一つもない。

 まあ弱いのに賭け碁に男が乗ったのは、おとらが美人であったから。お近づきになりたいと高い賭けに乗って、普通に負けたのだ。

「おいどん、力士でして、あとで試合があるので是非」

「ええ。観戦させて頂きますわ」

 しかし、このおとら、行く気など無い。相撲は見るよりもやる派なのだ。この格好では参加するわけにもいかないので、口だけの約束であった。

 ちなみにこの力士、おとらが観に来ていると思って獅子奮迅の連勝を重ねるのだが、それをおとらたちが知ることはなかった。

「美人は得だのぉ。鴨が自分から集まってくるのだから」

「次はどちらへ?」

「鳥だな」

「お食事ですか?」

「阿呆。鳥と言えば、鶏合わせ、闘鶏であろうが!」

「……知りませんよ」

 あれだけ巻き上げておいてこの男、もといこの女、まだ稼ぐ気である。

 早速賭場へ赴き、

「勝てェ! 勝たんと殺すぞ!」

「お、おとら殿!」

「あらやだ、興奮しちゃったわ」

 このように駿府で覚えた遊び方で方々暴れ回った。闘鶏ではまさかの大敗を喫したおとらは憤慨しつつもサイコロで負け分を取り戻す。

 また鳥さんに会いに行こうとしたところを二人が何とか引き止めた。

「お、なんぞ面白そうな遊びをやっておる、と思ったら」

「斎藤殿に本庄殿、ですね」

 巧みな連携で相手に石をぶつけ、負傷者の山を築いていく越後勢の若手二人組。遠くで柿崎がそわそわしている。

「印地打ち。昔、私もやっていた」

「危ないのぉ」

 西も東も関係ない。庶民の間で定期的に流行する印地打ち、まあ石ころ版の雪合戦であるが、普通に死人が出るほど危険な遊びでもある。

 しかし、世は戦国、皆血の気が多いのでやめられない、止まらない。どうにも普段大人しい本庄清七郎秀綱が大声で相手を罵っている所を見ると、何か相手と因縁でも出来たのだろう。好きにせよ、とおとらは華麗に通り過ぎる。

「堺にまで来てやることかね」

「とらも同じ」

「馬鹿を言え。俺のは知的な遊びだ。あんな野蛮なのと一緒にされては困る」

 野蛮な闘鶏にお熱な者の言葉ではない。

「では、知的で雅なわたくしたちはお舟遊びにでも参りましょうか」

「今更だけどその背で女装は無理がある」

「梅殿、そのようなことはありません」

「……持の字」

 むしろ背が高いからいいのだ、と言わんばかりの甘粕。この男も年頃の男、背も当然昔よりぐんと伸びた。しかし、景虎も伸びた。

 もう少し高くてもいいぐらいだ、と甘粕は思う。

 昔のような身長差に安心感を覚える屈折した男、甘粕景持であった。


     ○


 水の都堺での舟遊び。舟の上で優雅に街並みを見ながら酒を飲んだり話したり、時折陸の方では越後勢の姿も見えたりして中々飽きが来ない。

 湊は本当に栄えている。春日山の湊も栄えていたが、ここの活気は別格。人と物が溢れ、全てがごった返している。

 ひとしきり舟遊びを満喫した後、陸へ戻って料理屋へ転がり込み、三人で食事を取った。土地が違えば水も、味付けも、全てが違う。

 嫁いだ時も驚いたものだが、越後へやって来た時はここまで違うのか、と思ったものである。しかし、衝撃の度合いではこちらも負けていない。

 異国の食事に舌鼓を打ち、稼いだ銭を使い切るべく買い物へ向かう。

 さすがは商人の街、店の数は尋常ではない。駿府も賑やかだったが、さすがに堺は格別だと景虎も言っていた。

「一節切。……店主殿、こちらを包んでくださるかしら」

「へえ奥方様」

 尺八の前身である一節切、包むと言うことは彼が使うわけではないのだろう。誰かへの土産、贈り物。そう考えた時、相手は一人しか思いつかなかった。

 彼の何とも言えぬ表情を見て、言葉が詰まる。

「何も買わんのか?」

「お土産を買う相手がいないから」

「ここにおるだろ?」

「お土産はここにいる人に買うものじゃないと思う」

「細かいのぉ」

 ケラケラ笑う彼はいつも、好き放題やっているようで周りを見ている。今の一連の流れも私への気遣いがあった。昔もそうだった。とんでもない奴だ、と思っていたら色々と助言まで押し付けてきて――

「持の字」

「はい!」

「ぬしは先に戻っておれ」

「嫌です」

「俺は御屋形様だぞ、まったく。……少し込み入った話がしたいのだ。頼む」

「……承知致しました」

 人払いをして――

「たまには二人で飲むか」

「……うん」

 良く無表情だと言われるのに、彼はこちらの変化を見逃さない。察して、先回りして、守ってくれる。それが時折、申し訳なく思えてくるのだ。

 ただただそれを享受するだけの自分が。

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