第玖拾陸話:越後会議

 越後守護代行、長尾景虎の呼びかけに応じ、越後国内に点在する各地の実力者たちがここ春日山に集っていた。元々、春日山近くの城を任されている大熊朝秀らは、緊張感に包まれている。それもそのはず――

「よォ、宇佐美よ。そろそろ湊を明け渡す気になったか?」

「年長者には敬意を持て。北条の。ああ、文字にすると紛らわしいのでな、この際名を改めた方が良いぞ。のぉ、キタジョウ殿」

「……ジジイが。いつか刺すぞ」

「やってみよ、小僧」

 まずは互いに柏崎近郊に城を構える宇佐美定満、北条高広。宇佐美と北条(きたじょう)は柏崎の琵琶島城と北条城を治める両家は、常に莫大な交易収入を誇る柏崎湊を巡り反目を繰り返していた。北条高広の先代と宇佐美定満もいわゆる犬猿の仲、とにかくこの二家を同席させる際は気をもむ必要がある。

 のはただの一例。

「結婚生活はどうじゃ、上田の」

「……楽しくさせて頂いている。おかげさまでな」

「それは結構」

 古志長尾、上田長尾、当然犬猿の仲。上田長尾を継いだばかりの政景からすれば、年長者ゆえにこの言葉づかいではあるが、眼は――

「本庄殿」

「「何か?」」

「……すまぬ。慶秀殿の方だ」

「ふん」

 古志郡栃尾城城主、本庄『慶秀』実乃。晴景からも信の厚かった男であり、一時は景虎の指南役として城主を外されていた。だが、景虎が春日山に戻ったと同時に栃尾城の城主に返り咲き、景虎の頼りになる重臣としてここに呼ばれる。

 対して反応したもう一人の本庄、彼は揚北衆の本庄であるが、本来の彼は本庄ではなく、小川姓を名乗っていた。現在本庄長資と名乗る男は兄である本庄房長を陥れ、宗家の座をかすめ取った簒奪者でもあった。

 揚北衆の本庄自体、名門中の名門であり家の力は越後でも有数なのだが、そういう経緯もあり今のところそれほど序列は高くない。

 それがまた、男に昏い何かを抱かせるのであろうが。なおこの男、翌年には兄の息子である千代猪丸に自害へと追い込まれる。奪い、奪われ、血みどろの戦いが日常である越後を、この時代を象徴するかのような家であった。

 そして、現在の揚北衆でも抜けた影響力を持つ中条藤資、色部勝長もまた笑顔で談笑しているが、当然眼の奥は笑っていない。常に腹の探り合い、常に相手の弱みを探し、しかるべき時に穿つ。会話はそのための手段でしかない。

 下越地方、独立気質の強い揚北衆の面々は、とにかくどの家も一癖も二癖もある者ばかり。その上で皆、実力を持つのだから質が悪い。

 為景、晴景、本当の意味で彼らを制御できた統治者など、この越後にはついぞ現れていないのだ。それだけの難物揃い。

 他にも新発田や安田、黒川、水原などが睨み合う。

 この光景だけでも胃が痛む思いであろう。

 その上、

「ぶはは! なんぞつまらん顔が並んでおるのぉ」

「御屋形様!」

 その取りまとめがこの男、長尾景虎なのだ。彼を良く知る本庄実乃は頭を抱える。大熊朝秀、柿崎景家らが止めようとしているものの、館ではなく表でわざわざ馬に乗り彼らを出迎える景虎。一見すると折り目正しく見えるが――

(白傘袋に、毛氈の鞍覆、自らを大きく見せようと……若造が)

 その実、彼は守護代行に任ぜられた際、室町幕府より賜った白傘袋と毛氈の鞍覆を皆に見せびらかしていただけであったのだ。

(ふん、すでに力無き公方めらに、いくら包んだのやら)

(あれで我らが抑えつけられると?)

 ちなみに白傘袋は衣笠(絹を張った柄の長い傘)で、毛氈の鞍覆は獣毛を固めた敷物である。どちらも将軍邸に向かう際などに使われるが、これを使用できる者は限られた実力者のみであったのだ。公家や守護、将軍が認めた実力者のみ。

 その中の一人だと、彼は皆に示す。

 ただし、その将軍が認めた実力者、と言うのが難物であり、実を言うと一部の国衆でも使用を幕府から認められている事例がある。

 それは大体が、金、献金によって買ったモノであるのだ。

 そして長尾家も代行とは言え、守護ではない。ならば、金で得たものの可能性が非常に高いのだ。青苧の座から搾り取り、金回りの良い長尾ならやる。

 先々代より続くお家芸であろう。

「羨ましかろう? ぬしらには死んでも手に入らぬものだ、ぶはは!」

 それも込みでこの男、煽る。

「…………」

 誰もが絶句する振舞い。これが国主たる者の姿なのかと、思う。

「御屋形様、徒に反骨心を煽られるのは慎まれた方がよろしいかと」

 揚北衆随一の実力者、中条藤資が苦言を呈す。

「中条よ、俺は別に反発するなとは言わぬぞ。それでは息苦しかろう。俺は兄や父とは違う。皆を強く縛ろうとは思わぬのだ」

 笑顔の景虎。それを遠くから見つめる直江文、近侍として隣に立つ甘粕景持らは心の中でやめろと首を振る。この顔は、よくない時の顔である。

「謀反、大いに結構! 存分に歯向かえ!」

 大熊、柿崎、顔面蒼白。談笑しつつ近づいていた金津新兵衛や直江実綱の表情も、固まっていた。誰もが耳を疑う言葉である。

 場も凍る。

「俺は許す。まあ、時折虫の居所が悪く、黒田のように滅ぼしてしまうかもしれぬが、その時は運が悪かったと思い、諦めて死ね」

 景虎だけがゲラゲラと笑う。

「冗談じゃ、冗談。これから忌憚無き意見を聞きたいのでな、皆で腹を割って話せるよう、冗談で解きほぐしてやったまでよ」

 空気が、僅かに弛緩する。冗談でも口に乗せるべきではない発言であるが、若気の至りと思えばそこまで。ただ、愛想笑いする実力者の眼に、笑みはないが。

「お、御屋形様も人が悪い。謀反を助長するようなことは謹んで――」

「大熊、ぬしゃあ勘違いしとるぞ」

 景虎は笑みを浮かべたまま、

「俺は諦めて死ね、と言う部分を冗談と言ったのだ。それではあまりにも哀れであろう? 全力で抗い、武士の矜持を示し、死んでこそ武士の本懐。それを奪うのは守護代行としても心が痛む。だから、謀反は好きにしてよい」

 全てを睥睨する。

「許すか殺すかは、俺が決める」

 為景とも、当然晴景とも違う、やり方。この男に治める気など毛頭ない。その片鱗が否応なくこの場全員に突き立つ。

「さて、話し合いぞ。皆、俺の腹の中へ来い。ぶはははは!」

 少し前までは人並みだった背も、今は人よりも頭一つ大きくなった。だが、対峙すると思う。圧を感じ、そう見える。

 眼前の男は、大天狗なのではないか、と。

 急に彼の館が虎口に見えてきた。


     ○


「山内上杉……確かに、大事ではありますが」

 景虎を上座に、ぐるりと車輪が如く円を描き諸侯が座す。誰もが景虎の口から放たれた言葉に多少の驚きを見せるも、正直関東の情勢を知る者、と言うか知らぬ者などこの場にはいないが、知る者であれば驚くに値しないことである。

 度重なる敗戦で、すでに山内上杉に力はなく、板鼻とて早晩失われることであろう。権威の大元である幕府自体、もはや統制の取れぬ状況。現在、操り手たる細川の座を三好が奪わんとしているらしいが、彼がことを成せばまた、幕府の権威も削れよう。あえて拾うような栗ではない。火中に手を突っ込んだところで――

「御屋形様のご意向は?」

「越後に受け入れようと思う」

「何故?」

 揚北衆随一の実力者であり、景虎が当主となる際には揚北衆の誰よりも早く彼の支持に回り、結果として現在の彼はこの場で最も序列の高い存在である。

 席も景虎の隣、円であっても序列はあるのだ。

 ゆえに彼が、皆の代弁として問う。

 その栗に拾う価値はあるのか、と。

「皆が疑問に思うのもわかる。腐り、弱り、今にも死に絶えそうな山内上杉を庇護するのは上策ではない。折角、越後の上杉を排したばかりなのに、となァ」

 誰もが口に出来なかった言葉であるが、実際にはその通りである。越後上杉家が廃絶したからこそ、長尾家は守護代行として正式に国主と認められたのだ。ここで筋違いとは言え関東管領家が入国しようものならば、いずれは国主の地位も危うくなる。そうなれば嫌でも国は割れ、争いの元となるだろう。

 そもそも、かつて為景が越後上杉の当主を討ち、縁者であった山内上杉が激怒し越後へ押し寄せてきた、のを結果として返り討ちにしたことから、彼らの権勢に陰りが見え始めたこともあり、ある意味でこの地は彼らにとっては忌むべき土地。

 争いの元であり、恨みがどれほど残っているのかも不明。今は窮地ゆえ遮二無二救いを求めているのかもしれないが、救われた後にそれが出ないとも限らない。

 無視すべき、そう思う者が大半であった。

 彼を推す者たちですら――

「御屋形様の手で、握り潰されてもよかった案件かと思いますが」

 直江実綱の眼は言葉以上に、問いかける色を含んでいた。何故、このような些事で皆を集めたのか、何故、己に相談をしてくれなかったのか、何故勝手に、何故自分に、何故己に己己、己――その眼が問う。

 景虎はそれを一笑に付し、

「先ほど、俺は皆に守護代行の、幕府より認められた証を見せた。まあ、悪くない気分ではあった。が、少し虚しく思うてな。所詮は代行、格が足りぬ。金で着飾ってみたが、見せかけのハリボテでしかないと思うと、悔しい思いで満たされた」

 誰もが首をひねるような言葉を、述べる。

 それと今の話に何の関係があるのか、と。

「ゆえ、欲しくなった。関東管領、山内上杉の名が」

 そして誰もが、

「……⁉」

 絶句し、嗤う怪物を見つめる。

「そ、それは、長尾の名を、捨てられる、と言うことですかの?」

 祖父である古志長尾家当主の問い、それに景虎は笑みを持って、

「うむ」

 首肯した。

 古志長尾ではなく、兄を養父として三条長尾となった時とはわけが違う。武士にとって家は、それを象徴する名は、時に命よりも重いもの。

 それをこの男は軽々に捨て、新たな名を得るのだと言う。

 しかも、その辺の名ではない。三条長尾、越後守護代を代々三家で回す由緒正しき家柄であり、為景以降は越後長尾の宗家とも見られるようになった。

 間違っても捨てるような名ではない。

「山内上杉を越後に引き入れる。して、しかるべき時に俺が上杉の家督を継ぎ、山内上杉の名を得る。無論、俺にだけ得のある話ではないぞ。越後は湿地帯、米はあまり取れん。皆も辛い思いをしておることだろう。俺も常々心を痛めておる」

「…………」

「だから、関東から奪えばよい。大義名分は俺が名を継ぎ、関東管領と成れば嫌でも手に入る。山内も、幕府も、誰もが望む。簒奪者である北条から、関東を取り戻して欲しい、と。正義は我らにある。そうであろう?」

 怪物。誰もがそう思った。同じ状況に立ち、果たしてあの為景をしてこのようなこと考えつくだろうか。普通の武士ならば代々続いてきた家の繁栄を願う。だからこそ他者から領地を、富を、奪うために争い合うもの。

 あくまでそれは家が、名が、あってのもの。

「上杉が、首を縦に振るでしょうか?」

「越後は俺の腹の中ぞ。振らせるに決まっておろうが」

「……な、なるほど」

 この男は家に、名に執着しない。ただ欲しいから名を捨て、得る。ついでに手に入るから関東も奪う。その富を皆で分けよ、そう言っている。

 そこで生まれる血や、争いの事など、気にもしない。

 直江実綱は自らの愚かさを恥じていた。ほんの僅かでも疑心を浮かべてしまった愚かで矮小でクズな己に、彼は自ら唾を吐く。死のう、今すぐに死にたいところだが、それではきっと愛する御屋形様が困るだろうから、御屋形様が命を落とした時に己も死ぬ。彼は今、心の中で改めて思う。生涯、仕えんと。

 宇佐美や中条らも笑みを浮かべる。構想の大きさは、もはや父の域すら超えている。この男の行く末を見てみたい。だから手を貸したのだ。

 だから、手を貸すのだ。これからも。

「北条がそれを許しますかな?」

 上田長尾、長尾政景の問い。それに景虎は、

「良いことを言うたな、上田の。俺もそこが気になっておる。俺の戦歴など、北条から見れば小さい。反乱を鎮めただけの俺と関東を取った北条だ。なので試す。それが俺の願いよ。まあ、色々道理は説いたがの、要は俺があれらと戦いたいのだ。そのための大義が欲しい。だから、山内上杉を受け入れる。それが俺の道理よ」

 堂々と我欲を晒し、答えた。

「無論、北条には勝てぬと思うなら、受け入れぬ道もあると思うが……どうする?」

 景虎の嘲笑うかのような眼、言葉に、揺蕩う流れは完全に定まった。武士とは面子の生き物である。舐められたらそこでおしまい。鎌倉から続く武士の価値観、それを景虎は刺激した。駄目押し、誰もがこれで否定できなくなった。

 臆病者と見られてしまうから。

「お見事です、御屋形様」

「褒めても何も出んぞ、中条よ」

「それは残念」

「ぶは」

 越後の取るべき道は定まった。腹の底で何を想うとしても、この場でそれを言えぬ状況を造り出されてしまったのだ。流れを止めるためには謀反でもするしかない。だが、それもまた最初の振りが効いてくる。黒田の末路が、効く。

 無論、それでもやる者は、やるだろうが――

「ところで御屋形様、こちらに記載されている、人質の、伊勢姫とやらは必要なのでしょうか? 名門の出なのでしょうが、あの家は確か北条に――」

 ポツリと出た柿崎の問い、それは――

「知らん。やると言うから受け入れるまで。特に、気にしてもおらん」

「は、はぁ」

 この場で初めて景虎を揺らした。誰もそれに気づいていない。かすかに、実綱が首をかしげただけ。ただ、

「御屋形様も身を固められるべき頃合いでしょうし、関東との縁が出来るのも悪くはないでしょう。これはそういう意味と捉えますが」

「ぶは、俺よりも美人なら考えてやる」

「では、そうであることを祈りましょう」

 中条の言葉に、多くが揺れる。景虎はこれまで数々の縁談を蹴り、女人を寄せ付けなかった。とは言え、誰もそこは心配せず、すでに決められている、そう思っていたのだ。直江文と言う実綱がずっと前に打った布石によって。

 だが、今回山内上杉から送られてくる人質、と言うか手土産の一つに入る伊勢姫なる人物、彼女の到来によりその状況は大きく揺らぐこととなる。

 既定路線であった直江の娘ではなく、関東からやってきた方を取る。

 それは、

「そ、その、御屋形様」

「なんぞ、柿崎」

「御屋形様にはすでに、その、文殿がおられます。直江殿との関係もありましょうし、彼女が正妻で、その伊勢姫なる者が側室、となるのでしょうか?」

「俺がいつあれと結ぶと言うた? 伊勢姫とやらもただの人質、俺が貰うとは言っておらん。勝手に勘繰るな、不愉快ぞ」

「も、申し訳、ございません」

 先ほどまでの、妙な圧を持つ言葉でも、眼でも、雰囲気でもない。ただただ、駄々をこねる子どもが嫌と言うような、そんな風に見える。

 だが、誰もそれに気づいてすらいなかった。

(直江と結ぶ気は、ない⁉)

(明言されたぞ)

(売り言葉に買い言葉か知らぬが、これで直江も安泰ではなくなったわけか)

(ふはは、困ってでもおるのか、神五郎め考え込んでおるわ)

 崩れた足場、それを多くが嘲笑う中、そもそも嫁がせる気がない直江実綱は考え込んでいた。この伊勢姫なる人物、果たして益となるか否か、を。別に彼は景虎が子を成すことに対し、反対意見を持つ気はない。そこに愛だのなんだのが存在せず、武家の作業として契りを交わすことは、むしろ推奨の立場である。

 己もそうして文らを産んだから。

 ゆえに、今の彼の頭の中にあるのは打算のみ。わざわざ山内上杉が条件に設けたのであれば、何か意味があるのだろうと勘繰る。

 ただの名門の娘を、果たしてわざわざ条件に盛り込むだろうか、と。

 まさかそこに何か因縁があるとは、さすがの実綱にとっても思考の外側。ただし、それが露見した暁にはこの男、何をしでかすのかわからない。

 それ以外では、

「…………」

 柿崎景家はどうにも納得しがたい雰囲気であった。

 越後の取るべき道は決まった。だが、全てが丸く収まったわけではない。間違いなく越後は荒れる。これで大人しく従うほど、やわな者たちであれば父も兄も苦労はしなかった。今日打った釘など、簡単に忘れ、刀を抜く。

 それだけであれば景虎としても気楽、むしろ胸躍ることなのだが、問題なのは柿崎が指摘した彼女の方である。正直、こちらに関しては自信がない。

「…………」

 果たして己は、徹し切れるのだろうか、と。

 『彼女』の存在が長尾景虎を、揺らす。

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