第漆拾壱話:黒滝城攻め

 長尾景虎が春日山を奪還、そのまま居城まで退いた黒田秀忠を追った。細かい話は錯綜しており上手く伝わってはいないが、其処に関してはもう疑いようがないほど広まっていた。景虎強し、その武名は日増しに高まりを見せる。

 もはや誰も軍勢を率いる上杉定実など見ていない。

 むしろ晴景と横並びで春日山を奪われた守護代と守護、それだけ。本来であれば今、巨大な戦力を率いる己が輝くはずだったのに、今となっては何とか黒田が堪えている状況で割って入り、場を治めるしかないと急いていた。

 黒田秀忠には今回の件を指示した際の書状がある。己が筆跡で、己が名の刻まれたそれが露見でもすれば、越後上杉家は完全に終焉を迎えるだろう。

 自作自演、名は地の底に落ちる。

「まだ着かぬのか?」

「今しばらくかかるかと。そう焦らずとも黒田が居城に籠り、景虎が攻めている構図は変わらぬでしょう。城は容易く落ちませぬ」

 晴景が諫めるも、その城が、春日山は落ちただろうが、と定実は顔を歪めていた。黒田は間違いなく実力者である。多くの戦歴に裏打ちされた実力。その上で地盤が弱く彼自身が望む地位に就けていない。定実にとって彼は理想的な人材だったのだ。実際彼は上手く春日山を掻っ攫い、晴景を落とした。

 そこまでは良かったのだ。そこまでは。

「そこまで許せませぬか、黒田が」

「ん、あ、ああ。もちろんだ」

 晴景の言葉に一瞬虚を突かれるも、何とか取り繕う定実。そう、これは正義の軍であり自分たちは黒田秀忠を討つために動いている。

 その前提が崩れるようなことはあってはならない。

 だからこそ、なるべく早くに到着し黒田を抑えねばならない。書状が存在するであろう黒滝城を景虎に奪われでもすれば、完全に詰み。

 それだけは避けたい。そのために、間に合え、と祈る。

 当然、貴人ゆえ自らの足で駆けるようなことはしないが。


     ○


 上杉軍が黒滝城に到着すると、まず彼らは城を囲う面々を見て驚愕した。長尾景虎率いる栃尾、栖吉の軍勢は当然だが、それ以外にも黒田討伐に馳せ参じていた者たちがいたのだ。上杉が招集していない者もいるが、主だった二人は上杉が招集をかけたにもかかわらず、それを無視し直接長尾景虎の下へ赴いていた。

 一人は与板城主、直江神五郎実綱。

 一人は琵琶島城主、宇佐美宇駿定満。

 彼らはここに来て明確に示したのだ。自分たちは長尾景虎を取る、と。

 上杉でも、三条長尾でもない。長尾景虎と言う個人に仕えるのだと。彼らは行動で示した。ここぞと言うところで。

「さ、実綱ァ」

 上杉定実は顔を歪める。直江実綱と彼は以前、伊達家との養子問題で色々あった間柄である。出家の件、発案は実綱である。自らを煽り、おだて、今に至ると言うのに、あの男はいけしゃあしゃあと景虎の側に立っているのだ。

 もちろんそんなこと、この場では言えない。

 あの男もわかっているから、ことさらこちらに視線を向けようともしていなかった。ただ戦場を眺め、悦に浸っている。

 そしてもう一人、柏崎湊を抱える琵琶島城主宇佐美もまた堂々と素知らぬ顔を貫き通していた。ああ、来たのか、と言う視線一つ寄越しただけ。

 まあ、実際に彼らの助力無くとも黒滝城はいずれ落ちるだろう。何しろ春日山を落とした大義がないため、彼を救う理由が薄いのだ。それこそどれだけ仲が良くとも、今この瞬間に手を伸ばすは火中の栗を拾う様なもの。

 しかも、怒れる長尾景虎が敵となるわけで――

「……直江殿か? まさか、揚北衆の中条殿を引っ張り出してくるとは」

 大熊朝秀は知己である直江、宇佐美とは別の勢力に目を向けていた。上田長尾の代表である長尾政景も、柿崎や斎藤らも、長尾晴景すら驚く。

 揚北衆、中条与次郎藤資。揚北衆の中でも秩父党、三浦党、佐々木党、大見党と地域によって派閥のようなものがあるのだが、中条は三浦党の宗家的存在。揚北衆の中でも秀でた存在であるのだ。彼自身も切れ者かつ武勇も名高い。

 揚北衆の中でも最上位の影響力を持つ男である。

「んー、神五郎の小僧に一杯食わされたな、これは」

 上杉の軍勢を見て、招集されていない中条は苦笑いを浮かべる。実綱から助力を頼まれ、知己ゆえ恩でも売っておくかと、積極的な参戦ではなかったのだが、現地についてみれば総大将は長尾景虎で、のちに上杉の大所帯が来たのだ。

 馬鹿でもわかる、政争の分かれ目。

「まあいい。あの黒田から春日山を奪い返した実力は本物。出来ればこうなる前に片を付けたかっただろうが、若さを考えれば求め過ぎ、か」

 利用されたことを苦笑で済ませられるぐらいの余裕は、揚北衆の中条ゆえ持っている。何を言われようとも中条、越後では無視出来ぬ力がある。

 何せ彼自身、為景世代の武人である。為景ほどの百戦錬磨とはいかなくとも、それなりの場数は踏んでいる。戦績も華やか。

 たかが傀儡の上杉なぞ、そもそも政争の道具としか思っていない。

 さらに中条以外にも、

「あらら直江殿も困った人だね、こりゃ」

 大見党宗家、武名高き安田長秀、

「……宇佐美殿ぉ、困りますよぉ。殿になんて報告しようかなぁ」

 秩父党、色部家配下、若き俊英荒川長実が集う。

 内実はどうあれ、その軍勢は長尾景虎の名の下に集った、と判断されても文句は言えない。彼らもそれがわかっているから様々な反応を見せていた。

 だが、悲壮感はない。

 それは彼ら全員、守護だろうが守護代だろうがやり合うなら上等、と言う考えが根底にあるから、である。それを下支えする実力と共に。

「……これでは、もう」

 この光景だけで言えば、越後を割るだけの実力が長尾景虎にも備わっているように見える。柿崎らは絶句するしかない。

 黒田がどうこう、の絵ではない。この戦力全てが言うことを聞くとすれば、今の景虎は守護や守護代に比肩する力を持つことになる。

 今この場でも十分、渡り合えるだけの戦力がここに在るのだ。

 つまり、今すぐにでも国を割る力がある、と言うこと。

「くっ、長尾景虎め。いったいどういう手を使って――」

 上田長尾、長尾政景は長尾景虎の方に視線を向けようとするも――

「……!」

「斎藤の?」

 斎藤朝信が指し示した戦場を見て、またも全員が言葉を失う。

 陣容ばかりに目が行っていたが、戦の内容も普通とは大きく異なっていた。城攻め自体は停滞している。そうなると兵の士気も落ちてくるものだが、とある娯楽によってむしろ高まってすらあったのだ。

 その娯楽とは――

「あああああああああああああ!」

 処刑、である。古今東西、公開処刑は見せしめ効果を狙ったものとして存在していたが、それはあくまで建前、娯楽の色が強かった。現代ではその見せしめ効果も疑問視され、人道的観点からも廃止されたのだが――今は戦国時代。

 首を斬る、火にかける、磔にする。

 揚北衆勢は行っていないが、直江、宇佐美の軍勢はそれに嬉々として従い、黒滝城の者らへ見せつけるように処刑を行う。相手を引き出すための挑発行為と言う建前に踊らされ、皆が狂気に呑まれ楽しんでいた。

 ゆえに士気は落ちない。

「首を、城へ投げ込んでいる者まで……何でもありか、こいつら」

 悪口合戦のような挑発行為自体は、野戦、城攻めに関わらず戦の常道である。武士たるもの、そのための語彙力は鍛えておくもの、嗜みでもある。

 ただ、何事にも限度と言うものがある。

 ここまでの行為をそれらと同列に語って良いものか――

「ひ、ひぃ」

「……景虎。そうか、これほどまで」

 定実はあまりに凄惨な光景に慄き、晴景は何かを察し静かに天を仰ぐ。

 もはや見ずともわかる。この戦を指揮する者がどれほど怒り、荒れているかが。この全てを許容し、おそらく推奨しているのだ。

 この荒れた時代においてすら、異常な光景を、である。


     ○


 長尾晴景、上杉定実が代表としてこの軍の総大将である長尾景虎の下へ訪れる。護衛に大熊や柿崎、斎藤らがおり、長尾政景も帯同する。

 そして彼らは――

「よう来られた。良い戦場でありましょう?」

 笑顔だが、眼の奥が微塵も笑っていない長尾景虎を見る。表情は笑顔のはずなのに、誰もが彼から目を背ける。

 まるでそこに魔性が、佇んでいるかのような気配がしたから。

「わざわざ春日山から黒田のお仲間を運んでやったのです。守護殿がお膝元、春日山を襲った悪逆の徒、黒田秀忠の仲間なれば、情けなぞ不要。むしろ存分に味わってもらわねばなりませぬ。大きな痛みを。越後守護の顔に泥を塗った、愚か者共には。そうせねば守護を任ぜられた室町殿にも顔向けできませぬ。ひいては朝廷、帝に対しても同じこと。なれば、なれば、これは神罰、違いますかな?」

 ぎょろりと、覗き込むように上杉定実だけを景虎が見据える。びくりと、身体が芯から震え、怖気が止まらない定実は何も言えず、大量の汗だけをかいていた。まるで今にも殺されそうな、そんな気配に当てられたのかもしれない。

「違いますかな?」

 再度、景虎は定実にだけ、問う。

 笑顔が張り付いている。言葉も丁寧。なのにその佇まいは、微塵の敬意も見せず、ただこの場に君臨していた。

「ち、違わぬ。其の方の、言う通り、だ」

「そうでありましょう。ようござった。これで守護殿のお許しの下、黒田一門を根絶やしにすることが出来ます」

「ま、待て! 根絶やしにするのでは遺恨が残ろう。確かに黒田は欲をかき、愚かな選択をした。し、しかしだぞ――」

「残りませぬ」

 景虎が定実の言葉を、遮る。

「黒田の血を根絶やしにすれば、遺恨など残ろうはずがありませぬ。血の一滴も残さず、徹底的に取り除けばいい。おお、柿崎よ。ぬしの女房も、黒田であったのぉ」

 突如矛先が向いた柿崎は、その圧に生唾を飲み込んだ。視線で人が殺せるのではないかと思うほど、その眼は鋭く、無機質な殺意を孕んでいた。

 まるで刀が喉元へ突き付けられているかのような、緊張感。

「景虎。今のは礼を欠く言葉だ。柿崎は此度、綾を救ってくれた。我らの味方としてここまで来てくれてもいる。慎め」

 その空気を裂くは、晴景の言葉であった。

「ふむ。確かに兄上の言う通りだ。すまぬな、柿崎よ。つい、思い出してしまっただけなのだ。其の方も大変な立場であろうに、俺の気遣いも足りなかった。姉上を救ってくれたこと俺からも感謝する」

 景虎は柿崎に向けて頭を下げた後、

「で、黒田の処遇は如何いたしますかな、守護殿」

 再度、定実に問いかける。

「まさか……許す、なぞありえませぬよ、なァ」

 その声は、冷たく、熱く、定実を穿つ。彼は今、思い出していた。長尾為景が己を守護に据えようとした時のことを。有無を言わせずに、逆らう気も起きなかった暴力的なまでの強制力。言葉にもあるのだ、そういうものが。

 しかし、目の前の男はまだ十代半ば。

 十代の若造が、守護を討ち滅ぼした為景と、この時点で張る。

 いったいどれほどの、大器だと言うのか。

「守護殿ォ?」

 全てを見透かされているような眼。忘れていた、忘れようとしていた、記憶がよみがえる。そして彼は思い出した。

 自分が何者でもない、ただの飾りであったことを。

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