第肆拾参話:京を巡りて

「寄進、感謝いたしまする」

「いえ。少額で心苦しいのですが、少しでも仏門に帰依出来れば、と」

「その御心あらば、必ずや成仏が果たされましょう」

「ありがたきことです」

 虎千代は覚明の助言に従い、寄進(寄付)をしたいと申し出、寺院を見て回るようにしていた。寺院にもよるが応仁の乱以降、焼失した寺院も多く、銭はいくらあっても困らないため、喜ばれるだろう、とのこと。

 寄進と言う名目があれば僧侶ともそれなりに話し込むことが出来る。色々な寺院で話を聞いてくると良い、とかなりの銭を渡されていた。

 節約していたのはおそらくこのため。

「……再建もままならぬ、か」

「何か?」

「いえ、お話には聞いておりましたが、少し心を痛めてしまいまして」

「……心苦しい思いをさせてしまい申し訳ございません。応仁の乱以降、幾度かの焼失、再建を繰り返しているのですが、中々苦しい状況が続いております」

 応仁の乱で多くが焼失し、その後も天文法華の乱などで炎上を繰り返す京の都。その中に在って寺院の運営もまた厳しかろう。

 この寺院もかなりの格を持つが、再建が果たされているとは言えぬ状況である。そもそもこの混迷の状況下で、どれだけの寺院が本気で再建をしようと思っているのか、その辺りも甚だ不透明であるが。結局燃えるのであれば、再建したところで意味はない。それならその分の銭を、『有効』に活用した方が良い。

 そう考える者がいてもおかしくはない。

「その、もう少しお出しできるのですが――」

 そう虎千代が述べると、案内していた僧侶の眼の色が僅かに揺れる。

「寄進を、と言うことですかな?」

「はい。御仏への祈りを捧げる寺院の惨状を見て、少しでもお力になりたいと改めて思いました。ですが、その、折角わたくしも京に参りましたので、他の寺院にも寄進しようかと思っていたのです。主人もそのつもりで……」

「……なるほど」

「ですのでその、他の寺院のことを少し、勉強させて頂ければ……寄進すべきでない寺院も見えてくるのではないかと思いまして」

 僧侶はにやりと微笑み、

「承知いたしました。これよりの話は、他言無用に願います」

「ありがとうございます」

 虎千代と覚明の謀に、乗る。


     ○


 初めから寄進する銭を絞り、その後他の寺院の話を聞きたいから、と寄進の額を吊り上げる。それで他の寺院から見た生の話が聞けることになる。

 全てを信じるわけではない。相手を下げるために盛ったことを言う者もいるだろう。寄進欲しさに根も葉もないうわさを流す者もいるかもしれない。特にそれを、寺院ではなく自らの懐に収めてしまおうと思う者にとっては。

「どうであった?」

 一日じっくりと寺を見て回った虎千代に覚明は声をかける。

「今日は禅寺を中心に回ってきた。再建、進まぬようであるな」

「仕方がない。荒れた時代だ」

「ぶはは、そうだな。仕方がない、なぁ」

 禅寺、京であれば臨済宗が大半である。禅宗の代表格には臨済宗と曹洞宗があるが、そもそも曹洞宗の成り立ちとしては教えの違いの他に、権力との結びつきが強い臨済宗とは異なる道を行く、と地方に散った経緯がある。

 ゆえに畿内は臨済宗の勢力が圧倒的で、地方に行けば曹洞宗の勢力が増す。

 また、臨済宗は室町幕府の隆盛と共に勢力を伸ばした経緯がある。鎌倉時代末期に鎌倉と交えた五山が制定され、足利義満の代に南禅寺を別格とした京都の五山及び十刹、十五の寺院における寺格を正式に示した。

 元々、鎌倉幕府の時代、増長する宗派に対するカウンターとして新興の臨済宗を保護し始めたのが隆盛の始まり。室町幕府に移り、その流れは一層強まった。不入権、諸役免除を受ける傍ら、幕府の事務を代行したり上納金を支払ったり、と幕府とは蜜月の関係を築き上げていた。その代わり、朝廷と懇意にしていた旧勢力、延暦寺や興福寺などとは常に緊迫した関係性となっていた。

 まあ、結局は応仁の乱によって畿内、特に京の寺社勢力は痛手を被り、その混乱に乗じて各国守護が力をつけ、最大の収入源である荘園を管理する手段を失った。だからこそ彼らはどこも銭に飢えている。かつての栄華、その残滓があるから。

 特にそれが顕著であったのが京を中心に幕府と蜜月を築いていた臨済宗で、幕府の力が弱まって影響力は激減し、度重なる火事にも見舞われ満身創痍。別格とされた南禅寺など応仁の乱でことごとくを焼失した伽藍の再建も出来ず、未だ傷痕は癒えていない。それは他の五山十刹、どの寺院も同じようなもの。

 覚明のいた建仁寺もまた五山が一角。ちなみに今川義元らが所属していたのは妙心寺であり、彼らは同じ臨済宗であっても幕府との距離が遠く、厳しい修行を重んじる禅風の『林家』と呼ばれる寺院であった。他の寺院と同様に応仁の乱で伽藍を焼失するも方々の手を借りて再建し、幕府勢力の斜陽に対し徐々に勢いを増していた。

 虎千代も妙心寺を見てきたが、なるほど、と思わされた。今の状況であれば虎千代でもこちらを取る、そう思ったから。

「再建が進んでいる所と進んでおらぬ所。わかりやすくていいのぉ」

「苦心して再建するも法華の乱で燃えたところもある。一概に全て汚れているとは思わんよ。全てが潔白とも当然思わないがな」

「……そうさな。その通りだ」

 全てが悪いわけではない。だが、全てが良いわけでもない。善悪は常に存在し、清濁もまた共生している。それが世の理、理解は出来ている。

 ずっと前から、飲み込んでいたはずだった。

「覚明よ、最近知ったのだがな」

「なんだ?」

「どうやら俺は、俺が思っているほど大人ではなかったらしい」

「……そうか」

「飲み込んだはずのモノが、今になって刺すのだ、俺を」

「…………」

 降り積もる想い。畿内の寺社勢力は腐っている。だが、それは別に今になって始まったことではない。そもそも仏教伝来の始まりが政治、国家鎮護の道具として用いられただけであり、純粋な信仰ゆえ広まったわけではない。古事記に刻まれた神々とて同じ。大和政権の正統性を示すために編纂されたモノ。

 それは他の宗教もそう。その時の統治者の正当性を示すため、またそのカウンターカルチャーとして、必要に応じて生み出されたのが宗教であり、そこに人以外の存在は介在しない。何がために、誰がために、その時点で偏向しているのだ。

 最初は純粋な願いであっても、何かの介入によって捻じ曲げられ、気づけば誰かのためのモノに変じている。そこに在るのは正義でも祈りでもない。

 ただの力、それだけのこと。

 しかし、それを心の底から信じる者にとって、神仏に縋るしかない者たちにとって、その事実は刃より鋭く、残酷に絶望へと叩き込む。

 弱き者の心の拠り所として宗教は必要、これはわかる。

 強き者の意を通すため、奪い富むための手段としての宗教、これは――

「……もう、理解はしているのだ。だが、もう少し、ほんの少しだけ、俺に時間をくれ。答えは出す。必ずだ」

「ああ」

 自分の中にある青臭さ、飲み込むか、捨てるか――

 『昇華』するか。


     ○


 虎千代は色んな格好をして、男だったり女だったり変装し、京の寺社を歩き回った。覚明から渡された銭はとうに底を尽き、自身が駿府で荒稼ぎした内の一部、へそくりとして持ち出した分を切り崩してでも、見て、聞いて、回った。

 その度に汚い話を聞いた。あそこの僧侶は寄進の一部を懐に入れている、再建ではなく遊興に銭を投じている、女遊び、酒、その他多くの、噂たち。

 全て記憶し、頭の中で相関図を作れば色々と見えてくる。真実を語る者、嘘を語る者、まるで算術の問題が如く、浮き上がり、真実に失望する。

 綺麗なモノがないわけではない。だけど、荒廃しているからか、そう見せることすら困難で、より際立ってしまうのだ。

 綺麗なモノの希少性が。本当に在るのかと疑ってしまうほどに。

「……餓死者か。ぶは、飽いたのぉ」

 春日山でも見た光景。だけど、数が違う。しかも今はまだ、冬ですらないのだ。冬の手前、ここからさらに死亡者は増える。凍死する者も出るだろう。

 これが京の都、失望ここに極まれり。

 躯の中には街道で遭遇した親子のように手を合わせている者もいた。来世こそは、輪廻転生に期待し、その祈りと共に散ったのか――

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 別に神仏など信じていない。ただ、苦しみに満ちた世界に仏教とはとても噛み合うのだな、とは思う。それはきっと成り立ちが苦しみに満ちていたから。征服者によって虐げられた者たち、その苦しみが、絶望が、祈りが産んだ宗教だから、絶望に沈んだ者たちにとっての希望となり得る。

 だからこそ、そこに利用価値が生まれるのもまた、世の常。

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」

 ただ唱える。今、倒れ伏す躯がどんな宗派を信じていたのか、それを知る術はない。だから虎千代はただ、一番手軽で、一番俗っぽく、それでいて正直な祈りを口に出す。そして、心の中で世界に問う。これに意味はあるのか、と。

 手を合わせ、呟き続ける。

 少し早い、雪がちらつく。頬を、冷たい結晶がふわりと、撫でる。

「……馬鹿らしい」

 物言わぬ躯の前で嗤う虎千代。

 見ず知らずの死体。何を想うわけでもない。悲しむ道理などない。旅立つ前の自分なら、旅の道中の自分なら、今の自分を見て大笑いするだろう。

 何を神妙な顔をしておる、と。こんな世であることなど理解していたことだろう、と。自分には関係が無い、そもそも己は武士の、守護代の子、奪う側だろうに、と。実際にここまで奪い続けてきただろうが、と。

 飯沼の亡霊、野盗、刺客、いくらでも。今更何を言っている。己に道理はない。大勢殺した。生きている限りまだまだ殺す。長尾虎千代はそう決めている。だから自分は罰せられるべきで、神罰が下り滅びるが道理である。

 だけど、死なない。その気配すらない。この畿内に、京に蔓延る悪意が裁かれている気配もない。神仏に正す力など無いのだと、知る。

 神仏に力はない。世は荒廃したまま、正そうとする者すら現れない。世界は歪んだまま、ゆるりと腐り、落ちていく。

 いっそ全て――

「まったく、京の雪は根性がない。春日山ならば、なァ」

 あの世界は全部塗り潰してくれた。真っ白で、どれだけ自分が跳ねっ返ろうとも、真っ白に覆い、純白の世界が広がっていた。

 汚いモノも、全部まとめて真っ白に。

 だけどこちらの雪は、どうにも少なくて――


     ○


「虎千代、雪が本格的に降り出す前に――」

「もう充分だ。全部、見た」

 京に入る前、いや、畿内に入る前とは別人のように生気のない貌。あれほど溌溂と、奔放で快活だった少年の姿は、そこに無い。

 その代わり、化生の如し妖しさは、増しつつあった。

「ならば、明日にでも都を出よう」

「それで、比叡山か」

「そうだ」

「……そこから先は?」

「長尾虎千代の思うがままに」

「くく、そうかよ。なら、そうしよう」

 春日山にいた時の彼は真っ白だった。世のことを知っているつもりで、だけどあの狭い世界だけしか知らなかったから。如何なる意図があったかはともかく、質素で厳格な林泉寺に押し込められ、天室光育の下、正しさの中に在った。

 旅に出て、多くに出会った。綺羅星が如く輝ける人々。関東で彼らに出会えたのは虎千代にとって大いなる財産となるだろう。真っ白な彼は様々な色を飲み込み黄金が如く輝いて、駿府では東の都を飲み込むほどの光を見せた。

 彼は見た目に反し、とても素直に飲み込む性質であったのだ。

 だから彼は今の、荒廃した京を飲み込み、黒く染まる。

 全ての色が混ざり合い、何かが胎動する。

 人成らざる、何かが――

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