11 密会
リタと出会ったその後、私は毎夜にして彼女の部屋に行った。
下口をくぐるたびに吐くような思いをしたが、そんな不快感よりも、彼女に会える幸福感の方が圧倒的に勝っていた。
私は「箱庭」の物たちをリタの元へ持って行った。数々の絵本を中心に、造花のバラ数本、部屋の隅っこで巣を作っていた蜘蛛、飛んでいた蛾、キラキラと光を反射する砂の粒など、持っていける物はなんでも持っていき、リタと共有した。私の話を、彼女は大きな藍色の眼を輝かせて聞いてくれた。私はその反応が好きで、どんなにささいな物でも持っていった。
私の部屋とは対照的に、リタの部屋には物が何もなかった。本棚もなければ机もない。黒いカーテンの掛かった鉄柵のある窓、トイレに洗面台とベッドだけが、私の部屋との共通点だった。毛布は私のものと同じようにちくちくと粗かった。
だから、私は自分の「箱庭」の物を持ってきて彼女にあげた。私が好きだった絵本『おやすみ、メメ』もあげた。彼女は喜んでそれを受け取ると、私の目の前で読んでは、良かったところを饒舌に話した。
「メメの名前はここから?」
「うん」
私は正直に答えた。
「自分の名前なんて、忘れちゃったから」
「たまたまかと思ったよ」
リタは謎を解き明かす探偵のような口ぶりだった。
「いい名前だね、メメ。この絵本の主人公で、願いを楽しみにするひと。うん、あなたにぴったり」
ありがとう、と私は言ってリタの手の甲に触れた。冷たい手だった。
私たちは叶えたい願いについても話した。リタは「願いは叶ったから、今はないよ」と言った。私は自然と頬が緩むのを感じた。この想いを伝えるための言葉は果たして出てこなかった。私は言葉の代わりにリタの指を握った。小枝のような指だった。
ある日の夜、いつものようにリタの部屋へ行くと、リタは窓際から外を見ていた。彼女の隣に立つと、夜鏡と化した窓には、二人の少女がぼんやりと映っていた。リタの細い指は、しきりに金髪を触っていた。
「そこから何か見える?」
リタから返事はなかった。代わりに、カツン、と歯の音がした。彼女は自分の髪の毛を噛んでいた。窓の外も、窓に映る自分の姿も、何も見ていなかった。見開いた瞳からは涙が溢れていた。目尻に近い頬が赤く腫れ、その上を雫が通り過ぎていった。
私は横から彼女を抱きしめた。「どうしたの」と訊くと、彼女は絞り出すように「転んでしまったの」と言った。転んで手をつくのが遅かったから、痛い思いをしてしまった、と。
「それは痛かったね」と私は顔を近づけた。リタは髪の毛を噛み続けていた。それをしていないと落ち着かない、といった様子だった。
抱きしめる私の腕は震えていた。私の震えもあり、それよりも強い震えが伝わってくる。
リタは見えない何かに苛まれているようだった。怖いと思ってもどうしようもない、だから静かに泣くしかない、と。彼女の怪我は、リタの言う過失以上に、彼女だけの恐怖を物語っているようだった。その正体は何なのか——私には分からない。
この時はただ、私はリタの傍にいることしかできなかった。
パパの部屋に行き、リタの部屋に行く。『パパの日』の直後でも関係なく、毎夜としてリタに会いに行った。
リタには底の知れない依存性があった。私が一人でいる意味は、彼女の部屋でなくしてしまったらしい。リタに会わないといけない、リタのそばにいなくてはならない——いつしかそう思うようになっていた。私のために、そして何よりも、リタのために。
依存性、なんて言葉は、この密会に正当性を立てるための口実に過ぎない。しかし、ないよりはあったほうがいい。私たちはお互いに支え合うべきだ。逃げることも叶わないこの箱庭に閉じ込められた、そんな私たちは。
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