10 奇跡
女の子は鈴を転がしたような声色で「リタ」と名乗った。
今度は彼女が名前を尋ねてきたので、私は咄嗟に「メメ」と名乗った。大好きな絵本の主人公の名前にあやかったことは言わなかった。
電灯も付けず夜の光も差し込まない、ひっそりとした暗闇の中で、私たちは身を寄せ合った。リタは私の脇に顔を押し当て、静かに呼吸をしていた。脇腹あたりがじんわりと温かくなるのを感じた。
私たちは互いのことを延々と話した。
部屋の中でいつも何をして過ごしているか、寝るときに何を考えているか、昨日どんな夢を見たか、何を綺麗だと思うか、好きなご飯、好きな景色、好きな色、好きな感触、好きな時間帯、好きな指の組み方など——好きなこと、好きなものはなんでも話した。しかし、パパのことだけは話さなかった。いくら「同じ境遇」に立っている者同士だとしても、そのことについて話す気はなかった。私は、彼女のことが、リタのことだけが知りたかった。そして、私のことだけをリタに知ってほしかった。
私が「箱庭」について話すと、リタも同じ世界があると言った。この場所が彼女にとっての「箱庭」で、リタにとって好きなものがたくさん詰め込まれた場所なのだと。私はリタの頭をそっと撫でた。リタが上げたかすかな笑い声は、草木の覆い茂る中に咲く、可憐な一輪の花を彷彿とさせた。
話が弾み、私たちの声はあっという間に掠れた。二人で笑い合う声は、風が狭い通路を通り抜けたときに鳴る音に似ていた。私はその声が自分のものとは思えず、不思議な気持ちになった。普段こんなにも声を出す機会はないし、「箱庭」でも意味のない独り言をこぼすぐらいだ。声が掠れてしまったのは、意味のある言葉をはっきりと相手に伝え続けたからだと思った。
リタと一緒にいる時間は一瞬で過ぎていき、気が付いた頃には、黒いカーテンの隙間から淡い光が差し込んでいた。
薄暗くなった部屋の中、私はリタの顔を見つめた。同じようにリタも私を見つめていた。
淡いえんじ色のワンピースを着たリタは、私と同じ歳に見える顔立ちをした少女だった。黄金で出来た糸のような長い髪に、乳白色の瑞々しい肌、大きな藍色の瞳、長いまつ毛が空気に震え、細い眉は水に濡れたようになめらかで、赤白い唇は厚く、鼻はすっと高く、耳がうさぎの子どものように伸びていて、輪郭は丸くて柔らかく、首が脚のように細く、腕や足はそれよりも細く、手は小さくて柔らかく、指は触れたら折れてしまいそうで、胸は私より少しだけ大きくつんとしていて、お腹がまっすぐになっていて——彼女は、私が日記に描いた想像図とほぼ同じ容姿をしていた。
奇跡というものは、そう簡単に起こるものだろうか?
妄想で描いたリタの姿が、これほどにも一致することなんてありえるのだろうか?
私はこの奇跡をリタに伝えたかった。寝かけていた頭を一瞬で叩き起こし、散らかった引き出しの中を探すように言葉を探した。しかしやはり、伝えたい言葉はなかなか出てこない。
こんなとき、言葉をたくさん知っていれば、この奇跡を言葉で表せることができるのならば、どれほど嬉しいだろうか。
そう思っていた時、リタが片手を伸ばした。細い人差し指は私の耳元に触れた。
「メメは、すごくきれいだったんだね」
リタの声は掠れていても、鈴の音だった。
「私の想像よりも、ずっと、ずっとすてき」
リタの言葉は、この部屋に差し込んだ淡い朝陽のように、じんわりとした熱を持っていた。私の悩みを全て吹き飛ばしてくれる、大きな太陽だった。そして彼女が持つ藍色の瞳は、言葉の意味以上に、リタが持つ「ほんとうの想い」を伝えてくる。
私はとうとう最後まで言葉が出なかった。言葉の代わりに、リタのことを抱きしめた。お腹がひどく苦しくても、その手の力を弱めることはしなかった。
いつか、私の「ほんとうの想い」を彼女に伝えられるようにしよう——そう心に誓った。
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