12 遠雷


「メメはいつも何をしてるの?」

 

 私の髪の毛を手で梳きながら、リタはそう訊いてきた。

 黒いカーテンの向こうでは雨の音がしていた。そこに淡い閃光が差し込んだ。きた、と心の中で数を数えてみると、「6」を数えた時に、ゴロゴロと音がした。雷はここより遠くで鳴ったらしい。その後も、具合の悪いお腹のように雷は鳴り続けていた。

 リタの手の震えが私の髪から伝わってくる。私は背中を彼女の胸に預けて返答をした。


「んーとね、絵本読んで、ご飯食べて、寝て……かな」


「そうなんだ。他には?」


「えっと……」

  

 私は少し考えた後に、日頃行っていることを洗いざらい話すことにした。


「お昼寝して、窓の外を眺めて、天井のシミを数えて、日記書いて、鏡の前で踊って、トイレに行って、寝て……かな」


「部屋の外では?」


「そと?」


 予想外の問いに私は面食らい、素っ頓狂な声を上げた。


「うん、そと」


 質問の意図が分からずに私は顔を上げた。二つの藍色が私を見下ろしていた。

 部屋の外で何をしているのか——つまり、私が自室以外で何をしているか、そう問われている。その答えは「リタとこうして遊ぶ」が適切であり、事実として間違いはない。だが、そんな答えは明白であり、彼女はそんな単純なものは求めていないだろう。

 リタが本当に求めている情報。それは、リタが知らない情報であり、私だけが知り得るもの——つまりは、私が話したくないことだった。


「リタと遊んでる、よね?」


 分かりきったその答えに、案の定リタは首を傾げた。


「うん、遊んでるね……他には?」


 リタは『そのこと』を知りたがっていた。

 私はリタにこの話題を持ち出したくなかった。

 彼女と私は似ているものの、少し違っていたからだ。食事は同じような出し方だし、聞けば料理の内容も同じで、固く閉ざされた部屋にいる点まで、私たちは同じ環境下にいる。しかし、何かが根本的に違っていた。その正体を私はまだ掴めていない。私たちの相違が明らかになるまでは、リタとは普通の友達で居たかった。

 その境界線を、彼女は壊そうとしている。

 私はわざとらしく首を傾げてみせた。その反応に、リタの瞳が静かに伏せられた。握られたえんじ色のワンピースは、裾に深いしわを作っていた。


「ごめん。変なこと訊いちゃったね」


 あはは、とリタは乾いた笑い声を上げると、再び私の髪を梳き始めた。先ほどよりもぎこちない手つきだった。


「前から部屋の外に出て遊んでたのかなって気になったの」


「……出てないよ。リタに会いにいく時が初めてだった」


「そう、なんだ」


 そう言うリタは、欲しいものがもらえずに落胆する子どものような表情を浮かべていた。


「ねぇ」


 静かなリタのささやき声。


「なに?」


「もしも、もしもだよ。うまくいけばさ——」


 彼女が続けようとした言葉を、轟音が遮った。私たちは叫び声を上げかけた。腹の底にまで響く雷鳴だった。口を両手で押さえたリタは立ち上がり、恐る恐るカーテンの隙間を覗いた。


「ここには落ちてないみたい……すごい音だったよね?」


「口から心臓が出たかと思った」


 私は胸に手を当てた。心臓はまだ私の中にあった。

 窓際から戻ってきたリタは、突然、私のお腹に両手を当ててきた。


「リタ?」


 冗談そうには見えないリタの雰囲気に、私はたじろいだ。


「だめだよメメ。雷が鳴ってる時はおへそを取られちゃうんだって」


「そ、そうなの?」


「この間、メメが持ってきてくれた絵本にそう書いてあった。おへそって、あまくて、しょっぱくて、コリコリするんだって……」


「だ、大丈夫だよ。きっと」


「おへそ取られるの、すごく痛いよ。殴られるよりもっと痛いよ」


「殴られる?」


「ああうん? なんでもない。殴られたら誰だって痛いよね、ってこと」


 変なたとえでごめんね、とリタはまた乾いた笑い声を上げた。

 私は、リタが今、咄嗟に出た何かを隠したように思えた。それは少しだけ露わになったものの、未だに全貌を見せていない「真実」で、私が感じている彼女との「違い」そのものだった。強く問い質せば、正体を暴くことができるだろう。


「……そうだね、誰だって痛いよね」


 しかし、私はそうしなかった。

 私は彼女と普通の友達で居たかった。

 私のお腹に当てられたリタの小さな手を、両手で包んだ。冷たい手だった。


「リタこそ、おへそ隠さないと取られちゃうけど……いいの?」


「わ、私は、メメのおへそを守ってるし……」


「自分のおへそは?」


「む、むり……ふたり一緒には守れない!」


「じゃあ、こうしよっか」


 私はリタのお腹に両手を置いた。えんじ色のワンピースはすべすべとして、その上から触るリタのお腹は、柔らかくて真っ平らだった。少し上部に指を這うと、浮き出た肋骨がごつごつとしていた。

 ふと、私は気付いた。

 これが私とリタの「違い」だと。

 私たちは「同じ境遇」であり、「違う境遇」でもあるらしい。

 それでもやはり、私はリタと普通の友達でいたいと思った。この思いはリタも同じなのだろうか。互いに秘密はあるけれど、それを隠してでも一緒に居る——普通とは何をもって普通と呼ぶのか難しいが、きっと、私にとっての普通は、これでいいはずだ。


「く、くすぐったいよ、メメぇ……」


「おへそ……」


「取られたくない!」


「じゃあ、がまんして」


 リタが必死に我慢している顔は、まるでくしゃくしゃに丸めた紙のように歪められていた。それを見ていると、私のお腹のあたりが少し温かくなるのを感じた。リタの手は変わらず冷たいままなのに。

 しばらくの間、私たちはずっとそうしていた。また、遠雷の音が聞こえてくる。


「そういえばリタ、さっきなんて言ったの? 雷が鳴ったとき」


「え? 私なんか言った?」


「うまくいけば、みたいなこと言ってたような」


 リタは首を傾げて考える素ぶりを見せたが、再び鳴った轟音に身体が跳ねた。


「今のでぜんぶ忘れちゃった。ごめん……」


「いいよ」


 私はそう言って、リタのお腹を押さえ続けた。

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