最終話 真実
「探しましたよ放浪医さん!私をほうって先に旅立ってしまうなんてどういう神経してるんですかぁ!!!」
次の街の酒場でアルレットに捕まり、胸ぐらをつかまれて怒鳴られていた。
これでは痴話喧嘩だ。
他の人たちはびっくりしていたり、微笑ましく見ていたりする。
頼むから微笑ましく見ないでほしい。
「俺の仕事が終わったから街を出ただけだ」
「水くさいですよ!治療の具体的な話もしないでこそ泥のように姿を消すなんて!今日こうして会うまで、私はあの旦那さんの治療のことを知らないままで生殺しでしたよ!眠れない夜を過ごした睡眠不足の責任を取ってください!」
アルレットの手が胸ぐらから俺の首に回った。息ができない。
やめろ、このままだと痴話喧嘩が殺人事件に変わる。
アルレットの興奮が落ち着くのを待ってから、場所を変えて話すことにした。
俺は酸欠ギリギリのところで首に回ったアルレットの手から解放された。
小さい手からは考えられないほどの握力だった。
人通りの少ない河川敷に俺たちは腰掛け、川のせせらぎを聞いていた。
風が少し吹いていて心地よい。まだ昼間だ。
アルレットがいなかったらこのままのんびり眠るのもよかったかもな。
「放浪医さんは餓死寸前の私を助けてくれましたよね?」
「あぁ、助けたな」
「その後、私は晩ご飯をおごったので貸し借りなしになりましたよね?」
「あぁ、そうだったな」
「でも、放浪医さんは私が疑問に思っていた旦那さんの治療の話を、一切せずに街を出て行きましたよね?」
「そいつは初耳だ。治療の何を聞きたかったんだ?」
「全部ですよ全部。というかはぐらかしても無駄ですよ。私に話すのがめんどくさいとかそんな理由ですよね」
あぁ、めんどうなことになった。
こいつがここまで執念があるとは思っていなかった。
こんなことなら置き手紙とか書いておけばよかったな。
「悪かった。何も言わずにあの街を離れたことは謝るよ」
「ということは私に貸しができたってことでいいですね?」
誤算だった。こいつ、バカじゃない。
頭はけっこう回るらしい。
「そういうことになるな」
「では貸しをチャラにしますので、治療の事を話してください」
「・・・・・・イエッサー」
俺は葉巻タバコを取り出して火をつけた。
「そのまえに聞きたい。旦那さんの最後は安らかだったか?」
「私が最後に見たのは双子たちの卒業式が終わってからの記念撮影でしたけど、」
アルレットが首に下げたカメラに視線を落とす。
「とても元気でした。顔はやつれていましたけど、とても大きい病気とは思えないぐらいに」
「そうか。そりゃよかった」
おそらくそのまま安らかに息を引き取っただろう。
苦しまずに亡くなったのなら、俺もモグリとはいえ役に立てたと思える。
「旦那さんすごかったですよ。精神的に衰弱していた奥さんを励まし、自分の余命のこともしっかり話していました。そして子供さん達の卒業式をこの目で見たいと。奥さんも薄々旦那さんの病気については勘づいていたらしいですが、旦那さんの口から説明してくれたので、悲しみもありましたがどこか安心もあったようです。子供さん達も将来は医者になるって言ってました。素晴らしい家族でした」
家族も旦那さんを温かく見送れた。
旦那さんの死は決して悲しみだけを生まなかった。
「だからこそ不思議なんです。病院にいた旦那さんが絶望にやられていたのに、どうやってあんなに元気になったのか」
「OK。全部話そう」
俺はそう言って、自分のトランクケースから透明な液体の入った小瓶を取り出した。
あの旦那さんに飲ませた検査薬の余りだった。
「俺はこの瓶に入った検査薬を、退院前の旦那さんに飲ませた」
「どういう検査薬なんですか?」
「ガンに対して身体がどれほどの抵抗力が残っているかを判別する薬、て説明した。飲んだときの味によって身体の抵抗力がどれだけあるかを確認することができる。苦ければ抵抗力はほとんどなくなっていて、甘ければ抵抗力が十分にあることになる」
「そんなすごい検査薬が本当にあるんですか?」
俺はアルレットの問いに、瓶のフタを開けてアルレットに差し出した。
「飲んでみろ」
「え?私が飲んでもいいんですか?」
俺は返事をせずにうなずいた。
アルレットは瓶を受け取って首をかしげている。
ドロっとした透明な液体をまじまじと見て、匂いをかぐ。
「身体に悪いものは入ってない。安心しろ」
俺の言葉を聞いて覚悟が決まったのか、アルレットは一気に瓶の中の液体を飲み干した。
飲み干した後、アルレットの眉間の皺が増えていた。
「どうだった?」
「甘いです。びっくりするぐらい甘いです」
種明かしといくか。
「そうだろうな。なんせただのシロップだ」
「え?シロップ?シロップってコーヒーとかパンケーキにかける?」
「それ以外のシロップがあれば俺も教えて欲しい」
アルレットの頭の中はハテナマークでいっぱいだろう。
「でも、これ検査薬なんですよね?」
「あぁ。旦那さんには検査薬と言って嘘をついた」
アルレットは何から聞いたらいいかわからなくなっていた。混乱している。
「順番に説明していくぞ」
話を振り返る。
俺とアルレットが夕食を終え、街道を歩いていたときに旦那さんは倒れた。
救急車を呼び、俺たちも同伴した。
旦那さんの症状は意識消失。
それは失神とかではなく、ガンによる合併症だった。
旦那さんはガンの終末期。余命いくばくもない状態。
根本的にガンを取り除くなどの治療はもうできない状態であった。
しかも、旦那さん本人が治療を拒んでいる。
貧しいため自分の治療費よりも家庭の生活費に充てたいのが理由。
病院側からは何度も治療を受けるよう言われていたが、頑なに拒否。
点滴だけに通院するぐらいであった。
「ここまでは大丈夫か?」
「はい」
「俺はこの時点で医学的治療はできないと判断した。無理に治療をしても身体に負担がかかるだけで、亡くなるまでに生き地獄を味わうことにもなるからな」
「それで放浪医さんは旦那さんに心残りを聞いたんですね?」
「正解」
医学的治療を拒む理由はどうあれ理解した。
では、心残りは?
奥さんにも少年二人にも(結局勘づかれていたが)病気のことを隠し、最後まで家族のことを一番に考えて生きてきた旦那さん。
自分を押し殺してきたといってもいい中で、願いがあるとすれば。
もしその願いがかなうのならば、旦那さんはあの暗い表情のまま亡くなることはないだろう。
俺はそう考えた。
幸い、旦那さんの最後の願いは俺が手を施せる範疇だった。
少年二人の卒業式を見る。最後まで家族のことを思った旦那さんらしい願い事。
「病は気から、って言うだろ。俺は旦那さんの気を前向きになるよう騙そうとしたんだ」
薬を調合するために一度病院を離れたのも嘘。
もちろんシロップは必要だったが、買って戻るだけだと数時間あれば十分。
だが、俺はいかにも難しい薬を作っていると見せかけるために長い時間をかけた。
ちなみに旦那さんに見せた黄色い錠剤と赤い錠剤。
あれもただのビタミン剤だ。
どっちを飲んだとしても旦那さんの身体は変わりない。
錠剤を飲み続けることで体調を維持すると説明したのも嘘。
だが旦那さんから見れば、病院の医者ができないことをモグリがやろうとしている、と錯覚する。
もし、あの旦那さんが疑い深く、医学を知っていた人であったなら、この嘘はすぐに見抜かれていたかもしれない。
「嘘のおかげで旦那さんは完全に俺に騙されていた。後は旦那さんの身体を騙すだけだった」
旦那さんは自分の身体のことをわかっていた。もう余命がないことを。
そこを騙す必要もあった。
まだ身体は元気であると旦那さんに思い込ませる必要があった。
そこで検査薬の説明を真剣な表情で話した。
もし検査判定が悪ければ、願い事もかなわないとプレッシャーをかけた。
こうすることで、どう転んでも抵抗力がまだあると判定される検査薬を、旦那さんは飲み、まだ頑張ることができるんだと錯覚をさせた。
補足として、シロップを買いに出ている時に少年二人に会ったことをアルレットに話した。
もし、旦那さんだけが家族のことを思っていて、肝心の家族が旦那さんを好いていなければ、余命を少し延ばしたところで無意味である。
子供は純粋だから、少年二人の思うところを聞いたことで、俺は旦那さんを騙すことを決定した。
もし、少年二人が旦那さんのことを疎ましく思っていたなら、シロップは少年二人のおやつになっていただろう。
「これが俺の治療の全てだ」
アルレットはしばらく口を開けたまま呆けていた。
仕方がない反応かもしれない。
モグリとはいえ医学知識のある奴がそれっぽく治療をしたんだと、おそらく全員が思っているはずだ。
旦那さんは嘘を見抜けないまま亡くなった。
将来、もしあの少年二人が医者になったなら、そして医学知識を身につけて昨日までの出来事を思い出したなら、
俺のやった嘘にもしかしたら気づくかもしれない。
俺のやったことはお医者さんごっこであった事を。
「話をまとめるぞ。俺は医学的治療をそれっぽくやっただけだ。旦那さんがあたかも身体はまだ抵抗力があり、まだ余命があるように騙した。ガンに対して直接治療を施したわけじゃない」
俺は葉巻タバコの火を消し、立ち上がる。
「これでわかっただろ。俺は皆が思ってるような医者じゃない。早く街を出たのも、この治療まがいの事がバレると困るからだ」
アルレットに背を向ける。
彼女も俺のことを蔑むだろうか。
「これで貸し借りは、なしになった。黙ったままあの街を出て行ったのは謝るよ」
トランクケースを手に持つ。
「俺のようなやつに騙されないようにな。世の中には汚い大人がいっぱいいるんだ」
汚れきった俺にアルレットはもう付き合う必要はない。
彼女は純粋だ。
俺と接して汚い部分が移るのは良くない。
なにより、こんな純粋な子を汚してしまうのは流石に罪悪感があった。
俺とアルレットは正反対の存在。それでいい。
「待ってください!」
アルレットに思い切り腕をつかまれた。
正直、痛かった。
「私はそうは思いません!」
逃げたかった。
でも、できない。
「でも……それでも……放浪医さんは旦那さんの願いをかなえることができました。病院のお医者さんにはできないことを、放浪医さんはやってみせました!」
そよ風が吹いて髪の毛を撫でてくる。
「放浪医さんはお医者さんではないかもしれません。あの旦那さんに医療を施していないかもしれません。だけど、あの旦那さんにとって本当の治療を放浪医さんはやったんだと確信しました。だから、私は……放浪医さんこそが本当の名医だと思います!」
トランクケースが手から落ちそうになった。
俺はひょっとすると誰かにこうして認められたかったのかもしれない。
俺のやっている事が誰かにとって必要であることを、こうして言葉にしてほしかったのかもしれない。
あの旦那さんほどではないが、自分も不器用だなと思った。
俺もそこまで人間ができているわけじゃないようだ。
固まって動かない俺を見ながら、アルレットは俺の前に回り込む。
「放浪医さん、次はどこに向かいますか?」
眩しい笑顔が俺に聞いてくる。
「まさか、ついてくる気か?」
アルレットは大きくうなずいた。
「放浪医さんから今回多くの事を学びました。もっとたくさんのことを放浪医さんの隣で学びたいと思ってしまいました」
アルレットがニコっと笑う。
「それに、治療でお手伝いできることもあるはずです。今回の一件、多少でもお役には立ちましたでしょう?」
そうだな。びっくりするぐらい手際がいいところもあったしな。
俺は歩き出し、アルレットが俺の背中を見つめる。
俺からの言葉を待っているようだった。
「簡単な応急処置から教えてやる。わからない事があったらすぐに聞け」
アルレットが飛び跳ねながら俺の横をついてきた。
これから騒がしい旅になりそうだ。
だが、助手がいるっていうのも悪くはないかもしれない。
放浪医に助手ができた。
さて、と教える順を考えている俺の頭は、確かな充実を覚えていた。
完
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