第9話 賭け

「お前らのお父さんの余命はもう少ない。このまま何もしなかったら、お前らの卒業式にも行けない」


少年二人の表情が暗くなった。

ある程度は覚悟していただろうが、直接言葉にされるとのしかかってくるものが違う。

「だから、俺は今から薬を作ってお父さんにそれを飲ませる。効きが良かったら、余命は少し延びるかもしれない。卒業式に出れるぐらいにはなると思う」

うつむいた少年二人の顔が俺に向いた。


「ここからが大事な話だ。よく聞け」


俺は息をゆっくり吸ってから言葉を続ける。

「薬は作るが、効くかどうかは結局お父さんの気持ち次第だ。強い気持ちがなければ病気に負けてしまう。それと、俺が作る薬はあくまで余命を延ばすだけであって、病気そのものを治すものじゃない。卒業式が終わると同時にお父さんは亡くなると思う」

「わかった!」

「それでもいい!」

いい返事だ。俺が勇気づけなくてはいけない立場なのに、反対に勇気づけられている。

「お前らの役割は、立派に卒業式を迎えることと、卒業式が終わってからお父さんを優しく見送ってあげることだ。治療の方は俺に任せろ。今は卒業式の練習に懸命になれ」

二人の肩をポンと叩く。

少年二人の目は希望に満ちていた。さっき公園で会った時とは違う明るい表情。

絶望の中にいても辛いことしか考える事はできない。

希望を見いだしてやるのも医者の治療だ。

「お父さんとの別れは近いが、できることはある。お父さんの病気の苦しみを少しでも取り除いてあげることがお前らにはできる。

これは治療だ。お前らにとって、とても大きくて初めて取りかかる治療と思え」

少年二人は強くうなずいた。

「お前らはいい医者になるよ、自信を持て」

モグリが言うにはおかしい言葉だったと思う。



翌朝、俺は調合した薬を持って旦那さんいる病院へ向かった。

病室へ向かう途中、小太りの医者とばったり会った。日勤の時間帯だからか服装はあの時よりはしっかりしていた。

「あの旦那さんのところへ行くのかね?」

「ひょっとしてもう退院したか?」

「今準備しているところだ。・・・・・・あんたを待っているようだった」

「そうかい」

「少しだけ余命を延ばしてもらえると聞いたそうだ。希望を与えたつもりか?」

小太りの医者は鼻息を荒くしていた。

「半端な希望を持たせて裏切られた時、それは絶望のどん底だぞ。あんたはそうやって絶望のどん底に追いやって人を死なせる気か?」

「医者が一方的に希望を与えているんだったら、あんたの言うとおり絶望のどん底に行くだろうさ。だけど、俺は希望を見いだす道を示してやるだけ。その道に行くかどうかの最終判断はあの旦那さんに委ねるつもりだ」

俺は再び歩き始める。小太りの医者は立ち止まったまま俺を見ていた。

「道を示してやるのも俺たち医者の仕事だろ」

背中から言葉は返ってこなかった。



「おぉ、放浪医さん。ちょうど退院しようとしていたところですよ」

病室に入ると、ボストンバッグを肩に提げた旦那さんがいた。

ふらつきなどは見られないが、昨日よりもやつれて見える。

ガンが身体を蝕んでいるのがわかった。

「薬を持ってきました。まずはこの液体の方を飲んでください」

俺は小瓶に入った透明な液体を旦那さんに渡した。

「え、今ですか?」

「一刻を争いますから」

俺は真剣な表情で旦那さんを見ながら、二つの錠剤を取り出した。

一つは赤色。もう一つは黄色。

「今渡した透明な液体は、ガンに対して身体がどれほどの抵抗力が残っているかを判別する薬、いわば検査薬です。飲んだときの味によって抵抗力がどれだけあるかを確認することができます。その抵抗力に応じて、飲んでもらう錠剤が変わります」

俺は二つの錠剤を旦那さんに見せる。

「抵抗力が少ない場合は赤色の錠剤を。抵抗力がまだある場合は黄色の錠剤を飲んで貰います。ここまで聞いたらなんとなく察しがつくでしょうが、抵抗力が少なく赤色の錠剤を飲んだ場合、無理矢理身体の抵抗力を高める成分のため副作用もかなりきついものになります。反対に黄色の錠剤はまだある抵抗力を継続させる成分です。自分としてはなるべく黄色の錠剤で済んで欲しいと思っています」

「この検査薬はそんなにすぐ結果が出るものなんですか?」

「ええ。俺はこの検査薬で多くのガン患者のガン進行を判別してきました」

「こ、こんなにすごいものが病院で普及してくれていれば・・・・・・」

「それは大人の事情ですよ。こんな便利なものが普及してしまえば、これまでのガン検査を否定することになってしまう。血液検査からレントゲン、カメラ検査。これらで収入を確保していた病院は軒並みこの薬に破産させられてしまう。病院側は儲けのためにこの検査薬を承認していないんです」

「くっ」

旦那さんは歯ぎしりをした。病院を恨むだろうか。

もし自分が病院で働く身であるとしたら、もしこの検査薬のせいでリストラに追い込まれたら、そう考えるとこの検査薬を承認しない病院側の気持ちも少しわかるだろう。

「で、味はどういうふうに変わるんですか?」

「単純ですよ。抵抗力が少なければ苦くなり、抵抗力があればあるほど甘く感じます。シロップ状でどろっとしていますが一気に飲み干してください」

「どうせ苦いさ。もうすぐ私は死ぬんです。身体は弱っているに違いない」

旦那さんはまだ小瓶の蓋を開けないでいる。

事情はどうあれこれまでガン治療から逃げてきたのだ。

検査ではっきりと現実を突きつけられるのが怖いままでいる。

「どうでしょうかね」

俺はポケットに手を突っ込んで壁にもたれかかった。

「あなたは自分でそう思っているかもしれないが、身体はまだ諦めていないかもしれない。決めつけは良くないと思いますよ」

旦那さんが手に持った小瓶を見つめる。

「子供さんの卒業式に行くんでしょう?卒業式に行く身体はあなたの身体だ。自分の身体を信じてやれないでどうします」

「うぅ・・・・・・」

旦那さんはしばらく小瓶を見つめていたが、

「ええいクソォ!」

やがて覚悟を決めたように小瓶の蓋を外して、中の液体を一気に飲み干した。


「・・・・・・そんな、信じられない」


小瓶が旦那さんの手からするりと落ちた。


小瓶の液体を飲み干した旦那さんは、息を切らしながら目を見開いていた。

両手が震えていた。

「どういう味がしました?」

旦那さんは震える両手を自分の目の前に持ってきた。白くて細い手だった。

「私はまだ・・・・・・まだ頑張れるっていうのか・・・・・・」

その言葉で俺は旦那さんの身体の状態がわかった。

一つの錠剤をポケットに、もう一つの錠剤を旦那さんの前に持って行く。


「甘かった!とても甘かった!私は・・・・・・私はまだもう少し長く生きることができる!」


旦那さんの目の前に俺が差し出した錠剤は、黄色の錠剤だった。

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