第8話 願望

しばらく病室内で沈黙が流れていた。


旦那さんは言葉を出そうとして喉元でつっかえて、を繰り返していた。

俺はせかすわけでもなくただじっと旦那さんが話し始めるのを待っていた。

アルレットも同じく待ってくれていた。

「ち、治療費はどうなるんですか?」

「内容しだいですね。難しいものだったらいくらか請求はするかもしれません」

いくらか請求、という言葉に旦那さんはたじろいだ。

仕方ない。嫌みに聞こえるだろうがこれも言っておくか。


「ただ、あなたは医者の事を金持ちだと言っていました。確かにあなたの家庭と比べればそうでしょう。それはモグリの俺でも一緒です。別にあなたから治療費を貰わなくても食べていけるぐらいの金はある。稼ごうと思ったらいくらでも稼げるんですよ、この仕事は」

アルレットが涙目になって俺を見ていた。

そうだったな。写真家はなかなか収入が安定しないもんな。


「医者というのは、患者が望む本当の治療をするものだと考えています。ですが病院だと組織の意向があって本当の治療ができないこともある。だから、俺は放浪医になりました。あなたの望む本当の治療とは何ですか?」

「私は・・・・・・」

旦那さんはやがて決心したように俺の方を見た。

表情がさっきまでと変わっていた。

「私はこのままだと、おそらく数日中に亡くなるでしょう。なんとなくわかっています。ですが、来週に子供達の学校の卒業式があるんです。せめて卒業証書を持った二人と妻の四人で写った写真を残したい。それが私の望みです」

少年二人は双子だったのか、と俺はここで気づいた。

確かに背格好も似ていたが、双子であるとまでは気づかなかった。

「写真を撮るアテはありますか?」

「いえ、まだでして・・・・・・」

アルレットの目がキラリと光った。

「こちらのアルレットは写真家です。彼女に任せるということでどうでしょう?」

アルレットは任せろとばかりに自分の一眼レフカメラを主張した。

「おぉ、是非。是非、お願いします」

「綺麗な写真ができることをお約束します!」

アルレットが大声でそう言って、直後ここが病院であることを思い出して口を手で覆った。

「写真の方は決まりですね。後は延命治療の方ですが・・・・・・退院予定はいつか聞いていますか?」

「体調が悪化しなければ、明日の朝と聞きました」

「了解です。それまでに延命できる薬を作ってきます」

俺が手を顎に添えてブツブツと独り言を漏らす。

「あの、放浪医さん。本当に延命なんてできるのでしょうか?それも来週いっぱいまでなんて」

旦那さんが不安がる気持ちもわかる。

病院の医者にできないことをモグリが本当にできるのかなんて、誰もが疑問を抱くはずだ。

しかし、俺は今、旦那さんの不安を消すことが大事だと思い、少し自信ありげに言った。

この治療を受けるのは旦那さんだ。旦那さんがガンに打ち勝つ気持ちを持ち続けないといけない。


「治療の方は心配しないでください。俺はモグリとはいえ、過去に何千人とガン患者を診てきた医者ですよ」



話がまとまってから、俺とアルレットは旦那さんと別れ、病院を離れた。

アルレットはこれから奥さんと話をしにいくことにした。

写真撮影の打ち合わせだったり、撮影場所の候補をいくつか探しに行くとのことだ。

アルレットはカメラを手に持って、これからのプランを頭で整理していた。

端から見ていても張り切っているのがわかる。

一方、俺は旦那さんに服用してもらう薬の調合をこれからする。

一旦、俺とアルレットも解散することになった。


俺は念のためアルレットと情報共有をしてから、旦那さんの病状などを話すことは伏せるよう念押しした。

これをしっかりしておかないと、奥さんは錯乱してしまうだろうし、子供の少年二人も学校を卒業する前に不安でいっぱいになってしまうからだ。

奥さんとこれから話をするだろうが、「旦那さんがこれまで家族の写真をあまり撮ってこなかったから、写真家さんに頼んで撮影してもらう」とだけ話すように言っておいた。


「よし、じゃあそっちのことは任せた。俺は俺で仕事をする」

「わかりました。旦那さんの病気はお願いします。ただ・・・・・・」

アルレットは少しうつむいて言葉を濁す。

「ただ?」

「あの・・・・・・放浪医さん、その、少し聞きづらいことなんですが・・・・・・」

「いいぞ、言ってみろ」

アルレットが聞きたいことはなんとなくわかっていた。

「その・・・・・・本当に治療法なんてあるんですか?それも余命がほとんどない人の延命なんて・・・・・・」

まぁ気になるのも無理はない。

余命がほとんどない患者の延命には相応の無理が伴う。

強力なガン治療薬を身体に流し続ければ延命は可能だが、強力な薬はその分副作用がある。

ガン治療薬の副作用は日常生活を送ることが困難なレベルの症状が多い。

延命のためにそんな薬を強引に流し込めば、ほとんどの場合は寝たきりだ。

そんな状態では少年たちの卒業式に行くことはできない。


だから、俺は強引な治療をしない。


現実的に余命を延ばす方法は上記の通り。だが、俺はそれ以外の方法をとる。

そんな方法が本当にあるのか。疑問に思うのも無理はない。

おそらく現役の医者が俺の話を聞いてもにわかには信じられないだろう。


「ある。ただ、旦那さんの気持ち次第だな」

「どんな治療なんですか?」

「話してもわからんだろうさ」

「むぅ・・・・・・」

アルレットが釈然としない顔をする。

アルレットはおそらく俺の治療法がかなり専門的だから、話を聞いても理解できないと考えただろう。

腑に落ちないが、これ以上俺に追求しても意味がないと悟ったのかアルレットは話から身を引いた。

それでいい。治療は俺の領域だ。

「旦那さんの気持ちが強かったら旦那さんの願いはかなう。病は気からって言うだろ。俺は薬を使ってその背中を押してやるだけだ」



「ありがとうございました」

街の雑貨屋を数件はしごして、俺は薬の調合材料を買い集めていた。

便乗してこの一件が終わった後、次の街へ行く道中に食べる食料も買っていた。

両手には複数の紙袋。

適当に公園のベンチで腰掛けて買い足した物を整理しようと思い、俺は街の住宅街の方を歩いていた。

住宅街は俺がさっきまでいた雑貨屋や酒屋が集まるような歓楽街とは違って、非常に閑静な所だった。

等間隔で木が植えられており、アゲハ蝶や鳥が飛んでいる。

今は平日の昼間だからか、人通りは少ない。

住宅街の端っこに公園を見つけたので、俺はその中に入っていった。

公園に人はおらず、ベンチも空いていた。子供達で騒がしくなるのは夕方頃だろう。


「よっこいしょ」

俺はベンチに紙袋を降ろし、買い足したものをベンチに広げる。

そして一方の紙袋に食料。

もう一方に旦那さん用の薬の材料を入れていく。


一通り作業が終わってからベンチでくつろいでいると、

「あれ?」

公園の入り口で俺を指さす子供二人がいた。

子供二人は目を合わせてから、俺の方に近寄ってくる。

「すいません、もしかして昨日の?」

子供二人の顔の輪郭がはっきりしてから、俺も子供二人が見覚えのあるやつだとわかった。


旦那さんの子供。二人の少年だった。

少年二人は学校の制服を着てランドセルを背負っていた。

「こんにちは、昨日の少年たち」

「えっと、ほうろういさん、だっけ。昨日はありがとうございました!」

少年二人が深々と俺に頭を頭を下げた。

とても礼儀正しい子たちだ。しつけがよくされている。

「今は昼間だろ。授業はどうした?」

「今日は卒業式の練習だけなんだ。給食を食べたら学校はおしまい」

なるほど、卒業式も日が近づけば準備することが多い。

先生たちも授業をする暇がないってことか。

「なぁ、ほうろういさんに話聞いてもらおうか」

「うん。こういう話するの、今はほうろういさんしかいないもんな」

少年二人がコソコソと話している。

「ほうろういさん、僕たちの話を聞いてもらえませんか?」

「どういった話だ?」

俺は少年二人の方を向いて膝を曲げる。

少年二人と視線を同じ位置にする。

少年といえど、二人の眼差しは真剣なものだった。

だったら、俺も大人とはいえ、少年二人を見下ろす位置にいてはいけない。

相手が子供とはいえ、対等な立場で話を聞くという俺の意志の表れだった。

少年二人もそのところを感じ取ったのか、重い口を開いた。


「父さん、もうすぐ死んじゃうんだよね?」


どうやら少年二人はなんとなくだが旦那さんの病状をわかっていたらしい。

話が長くなりそうだと思い、俺はベンチの上の紙袋を地面に置いて、三人でベンチに腰掛けた。

「どうしてそう思う?」

三人で空を眺めながら話を始めた。空は晴天。いい天気だった。

「父さん、僕たちの前ではいつも元気なフリをするんだ。でも、一人の時すごく辛そうな顔をしてたのを見たことがある。昨日の晩ご飯の時もそうだった。お店の料理を僕たちは美味しく食べてたけど、父さんはほとんど食べてなかった」

片方の少年がそう言うと、次はもう片方の少年が言葉を続ける。

「僕たちが心配そうな顔をしちゃうと、父さんも辛そうな顔をする。だから、僕たちも元気なフリをするんだ。昨日、帰り道で追いかけっこをしていたのも元気なフリのため。父さんと母さんには幸せでいてほしいから」

子供のカンっていうのはすごいものだ。大人よりも人の変化に気づくことができる。

旦那さんは幸せだろうな。

「ほうろういさん。父さんは後どのぐらいで死んじゃうの?父さんは僕たちの卒業式を絶対見に行くって言ってた。そして家でゆっくり寝たいって」

「ほうろういさん、死ぬってやっぱり怖いと思う。すごく痛いと思う。お医者さんなら怖いとか痛いとかを少なくする方法知らない?」

少年二人はきっと、このことを誰にも聞けなかったのだろう。

病院の医者には聞きづらく、奥さんは旦那さんが重病であることを知らない。

学校の先生に言ったところで解決できる話ではないし、同級生に話せるような内容でもない。


少年二人も誰にも言えずに思いがくすぶっていた。

そこに俺が来た。

少年二人にとっても、旦那さんにとっても、俺は話が唯一できる相手だったということか。

「お前らにとってすごく辛い話になるが、それでも聞く覚悟はあるか?」

大人でも受け入れることができないような話を少年二人にする。

だが、話をして覚悟を決めてもらわないと、本当の治療は進まない。

少年二人にとっては残酷な話だろう。

だけど、少年二人はこくんと首を縦に振った。

「ほうろういさん、僕は父さんの願いをかなえてあげたい」

「僕たちの将来の夢はお医者さんになることなんだ。父さんみたいな人を治せるような、そんなお医者さんになりたい」

放浪医の俺にとっては眩しすぎる話だった。

純粋な少年の目に向かって、やめておけとは言えない。

「立派な夢だ。お父さんも誇りに思うだろうな」

俺は立ち上がって少年二人の頭に手を置いた。

俺も本当の治療をこの少年二人のためにしなくてはいけない。

「その大きな夢の第一歩をしてもらうぞ。よーく話を聞け」


この治療は俺一人だけではできない。

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