第4話 搬送

旦那さんの様態は深刻な状態だった。

あのまま地面に倒れたままだとそのまま亡くなっていた可能性が高い。

吐血や嘔吐はなかったが、意識が朦朧としている。

おそらく脳に何かが起こったもの。


俺は旦那さんの呼吸を安定させるため、仰向けにさせて気道を確保する。

呼吸は浅いができており、脈もある。

アルレットは奥さんと少年二人をまず落ち着かせてから、的確に指示を出していた。

幸いこの街には救急車があるらしく、少年二人に救急車を呼ぶよう指示をする。

奥さんには「まずは落ち着きましょう」と背中をゆすって深呼吸させていた。


正直なところ、俺はアルレットの手際の良さに驚いていた。


人が倒れた状況でここまで落ち着いて行動を起こせる人は少ない。

ナースに向いているかもしれないな、と思った。


ほどなくして遠くからサイレンの音がこっちに近づいてきた。

サイレンの正体は白い大型の救急車。

救急車が停車して、中からタンカーを持った隊員が寄ってくる。


「こちらが患者さんでよろしいですか?」

隊員の一人が俺に尋ねた。俺はうなずいた。

「呼吸が浅いから酸素がいる。吐血などの症状はなし。早急の輸血まではいらないと思う。運ぶなら仰向けのままの方がいい」


スラスラと言葉を続ける俺を見て、隊員たちは初めきょとんとしていたが、やがて我に返って旦那さんをタンカーに移し救急車へ運んでいった。


そうだよな。

一般人がここまでスラスラと患者の様態を話せるわけがない。

旦那さんを運び終えてから、隊員の一人が俺に近づいてきた。

「失礼ですが、お医者様ですか?」

「モグリだけどな。この街には旅で立ち寄っただけだ」

モグリ、という言葉に隊員は少し驚いた様子だった。

「応急の処置、感謝いたします。患者のご家族さまなどは?」

「そこの女性が奥さん。子供はそこの少年二人だ。ここの小柄な子は俺と同じ旅人だ」

隊員は奥さんと少年二人に救急車へ乗るよう伝える。

少年二人は少し興奮した様子で救急車の中へ入っていく。

まぁ、子供の時の救急車ってなかなかお目にかかれないからな。気持ちはわかる。


奥さんの方はアルレットに支えられながら乗っていった。

まだ平常の状態ではないようだ。

奥さんが落ち着くのは深夜ごろかもしれない。

「差し支えなければご同行願えますでしょうか。患者の状況等を向かう先の病院で話せる者がいると治療もスムーズに行くと思うので」

隊員の言うことはもっともだった。

奥さんはまだ人に状況を話せる状態ではないし、少年に旦那さんの症状を詳しく話すことは難しい。

モグリとはいえ、俺が同行して向こうの医者と話した方が話は早い。

専門用語も通じるだろうしな。


「わかった、どれぐらいで着く?」

「30分も走りません。患者さんはおそらくそのまま入院になるでしょう」

点滴だけで帰れそうな状態でないことは確かだった。


俺は昔診たことのある、似たような症状で苦しむ患者のことを思い出していた。

確か、長い間通院を続け、ある時意識を失って救急搬送されてきていた。

そう、ちょうど今の旦那さんのように。


「あの・・・・・・どうかされましたか?」

隊員が考え込む俺を見て声をかける。

俺は大丈夫だ、と言って救急車に乗り込んだ。

救急車は再びサイレンを鳴らしながら道路を走り出した。


旦那さんが倒れた症状は、おそらく元々持っている病気から併発した症状だ。

昔に同じ患者を診たことがある俺にはわかる。

その病気は身体の至る所で合併症を起こす。


旦那さんはおそらく末期ガンなのだ。



俺たちを乗せた救急車がサイレンを鳴らしながら道路を走る。

時々大きく揺れては、旦那さんを支える隊員さんの手に力が入る。

アルレットは泣き続ける奥さんの肩に手を置いて、「大丈夫ですよ」と声をかけていた。

少年二人ははしゃぐこともなく大人しくしていた。

時々、視線を俺や救急隊員さんや車内の医療器具に移している。

誰も少年二人に旦那さんの話をしたわけではないが、深刻な空気を読み取ってくれているらしい。


程なくして救急車は病院に到着し、旦那さんはタンカーで運ばれていった。

ナースがやってきて、酸素吸入器をすぐに病院のものに付け替え、身体の数カ所にパッドをつけて心拍数を測定する。

少ししてから病院の医者がやってきて、救急隊員さんと話をした。


医者は小太りで初老の男。裸足にサンダルを履いていた。ボサボサの髪をかきむしりながら、目をこすっている。表情から疲れがにじみ出ていた。

白衣を着ていなかったら医者とわかるかどうか怪しい。

おそらく1日中働き詰めだった様子だ。夕飯を軽く済ませて仮眠を取っていた最中ってところか。

当直のある病院では医者を日勤から翌朝まで働き詰めにさせているところもある。


救急隊員さんが話している間に、俺たちは待合室に移動することにした。

救急車は必要な連絡が終わればここを去ってしまう。いつまでも俺たちが乗っているわけにはいかない。

俺が指示をして、アルレットと奥さん、その後ろに少年二人がついて待合室に向かう。

奥さんはなんとか歩ける程度にはマシになっていたが、まだ誰かの助けを必要としている。

今はアルレットが助けているが、その役目もこの病院のナースが引き継ぐだろう。


俺も待合室に向かおうとしたその時、小太りの医者と話していた救急隊員さんが俺を指さした。

小太りの医者も俺に視線を移す。

「あちらがお医者様でしたので、同行していただきました。大変助けられましたよ」


俺はモグリだ、医者じゃない。

隊員さんにそう言ってやりたかった。

隊員さんの言葉に小太りの医者の意識も覚醒したようで、目を丸くしながら俺の方に歩いてきた。

「同業者でしたか、どこの病院勤めで?」

医者の共通話題の一つが、どこの病院に属しているか、だ。

挨拶の次に出てくる話ともいえる。


ただ、俺はどこの病院にも属していないし、モグリである。

嘘をつく必要もないから、正直にモグリであることを俺はこれから話す。

このやりとりは放浪医になってから何度も経験している。

そして、尋ねてきた医者は皆同じ表情に変わる。


失望と軽蔑と警戒。


同じ医者であることがわかって距離を縮めてくるが、実際には違ったという失望。

正規の医者ではないことと、どこにも属さないはぐれ者を見る軽蔑。

そんなはぐれ者から心の距離と壁を作る警戒。


そのように見られるのが俺。

闇医者とさして変わらない境遇。いや、資格があるだけ闇医者の方が俺より偉いか。


「モグリだよ。旅の途中でそこの旦那さんが倒れたのを助けただけだ」

小太りの医者は聞いてはいけないことを聞いてしまったような顔になった。

腫れものを見るような目。

同じだ。

この表情をしなかった医者なんて今までにいない。


モグリは医者から見れば、本格的なお医者さんごっこをして儲けているだけの害悪な存在なのだから。

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