第5話 対談
「そいつは失礼」
小太りの医者が俺に頭を下げた。
ただ、俺にはわかっていた。
気持ち程度に謝罪しただけで、根っこから申し訳ないとは思っていない。
上っ面だけ保っておこうってところだ。
「気にしてない。医者はみんなそんな目で見るからな」
皮肉まじりに俺は言ってやった。
この言葉の反応は医者それぞれだ。
医者の部分ではなくその人自身の部分が見えてくる。
ムキになって胸ぐらを掴んでくる奴もいれば、俺を睨む奴もいる。
呆気に取られる奴もいれば、聞こえなかったフリをする奴もいる。
「君、今夜は時間あるかね?」
この小太りの医者は言葉に言葉で返すタイプだった。
「あると言ったら?」
「フン。なに、そんなモグリの君に問題でも出そうかと思ってね。というのも、この街の夜間は暇なものでね。普段お目にかかれないモグリの考えを聞いてみたい」
「あの旦那さんの治療はいいのかよ?」
「ナースが全部やってくれる。最終判断だけ私が言えばいいだけだ。彼はこの病院の常連だし、治療法もほとんど決まっている。私が出る幕はあまりないということだ」
性格の悪い医者だ、と俺は思った。
医者なら患者の側に立って状態が安定するまでいてやるのが筋じゃないのか。
全部ナース任せにしやがって。
「なんだよ、問題って」
俺はポケットに手をつっこんで小太りの医者を見た。
普段なら下らん話だと言って帰り支度をしていたと思う。
ただ、今の俺はこの生意気な医者と真っ向勝負する気持ちがあった。
冷静さは消えてしまっていた。
「あの旦那さんの病気が何かわかるかね?」
「末期ガンだろ」
「何?」
小太りの医者は俺の即答に目を見開いた。
「き、救急隊から話を聞いていたのかね?」
どうやら俺がズルをしたと思っているらしい。
即答でガンだとわかるとは信じられない気持ちだろう。
「いや、旦那さんの病気については何も聞いていない。家族からもな。今回、意識を失ったのはガンから合併する脳症だろう。内臓にも合併症をおこしているだろうな」
一つの病気から別の症状が生まれることを、合併症と呼ぶ。
呼び方は色々あり、併発する、と言ったりもする。
反対に、合併症の原因となった発端の病気を、原発と呼ぶ。
原発ガンと呼べば、簡単に言うと初めてその人に生まれたガンのこと。
原発不明ガンという病名もあり、それは初めのガンがどれなのかわからないガンということだ。
「原発の部位がどこかとか、合併症のある内臓部位までは流石にわからないが、旦那さんの様子を見るに予後もあまりないといったところだろ。違うか?」
小太りの医者は歯ぎしりした。
モグリと聞いて舐めた態度を取ってしまったことを後悔している様子だった。
戦う相手を間違えたように少し前の自分を呪っている。
「君はガン専門医だったのかね?」
「専門は特にない。総合的に何でもやってきた。内科しかり外科しかり整形しかり」
「そんな君が、なぜモグリなんかに?」
「本当に助けたい患者を助けることができないから、かな」
権力と金にくらんだ病院の医者では、患者の望む治療をすることができない。
もちろん、全部の病院がそういうわけではない。
ただ、医者の地位や権力のために患者が振り回されている事実もある。
使命感の強い医者は、権力などに利用されてしまい、使命と権力の間で葛藤する。
家族がいて保身に回らざるを得ない医者は、使命を捨てたりもする。
俺はそうなるのが嫌だった。
「旦那さんはこのまま入院になるのか?」
小太りの医者が出した問題は終わったと思い、俺は話を戻した。
「あぁ、点滴加療だろうな」
「となると、二日三日ぐらいか」
俺は旦那さんの様子を救急車で見ていて一つだけ疑問に思ったことがあった。
「旦那さんのカルテはあるか?少し興味がある」
「は?」
この大きな病院ならば、それなりの治療は約束されている。
この病院で難しい治療ならば、より専門に特化した病院を紹介することも容易だ。
旦那さんの症状は言い方は悪いが、大きな病院に勤めていればよく見ることになるガンのケースである。
つまり、治療法はある程度ガイドライン化している病気と言える。
ただ、この旦那さんはそんなガイドラインに沿った治療をしているように感じなかった。まるでずっと手つかずで放ってきたような様子。
「個人情報だから外部に漏らすことはしないと約束する。なんなら今ここで誓約書にサインしてもいい。それか俺が不正しないようにあんたが俺を見張るとかな。この街の夜間は暇なんだろう?」
「あぁ、もう、わかった。降参だ。認めよう、君はすごい。モグリとつっかかって悪かった」
小太りの医者が両手をあげて謝罪した。
これから俺がどんな要求をしてくるか恐れたのだろう。
賢い選択だと思ったが、それなら最初からつっかかってくるなとも思った。
「いや、こっちも高圧的だった、謝るよ。で、カルテは見れるのか?」
「黙認は可能だ。しかし、カルテを見てどうするつもりだ?まさか治療を施すとか言うまいな?」
「患者が必要としているのであれば」
「無駄だと思うぞ」
小太りの医者は椅子に座り直して、手を肘掛けに置いた。
今度は皮肉や嫌みなどは混じっていなかった。
仕事をこなす医者の顔だった。
「君がどんなに凄腕であっても、そして治療を旦那さんが望んでいたとしても、旦那さんはきっと拒むだろうさ」
俺はその言葉を聞いてなんとなく旦那さんの事情を察した。
旦那さんは治療を望んでいるが拒んでいる。
後ろめたいことが何もなければ、本来は治療を受けているはずなのだ。
世の中は基本的に望むものを手に入れるには対価を払わないといけない。
横暴な王様とかであれば例外だが。
「あの旦那さんは高額な治療費を払うことができないんだ。だから、治療を拒んでいる。定期的に点滴を受けに来ているだけで根本的な解決はできていないんだよ」
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