第3話 救命
「今までで一番綺麗だった景色は、南国の海に広がる夕日でしたね。放浪医さんはそういう景色を見たことはありますか?」
「放浪医さんは甘いもの派ですか?辛いもの派ですか?肉と魚だとどちらが好きですか?私は断然、お肉です!」
「放浪医さんはお酒飲める方ですか?私、実は底なしに強いんですよー。ん?未成年じゃないかって?失礼ですね!ちゃんと成人済みですよ!」
俺はアルレットという少女と一緒に下山していることを後悔していた。
静かに流れる時間が一切ないほどに彼女は話す。
話し相手ができたことに喜んでいるのかもしれない。
ちなみに成人してたんだな。
俺は適当に相づちを打ちながら、街に着いてからどうするかを考えていた。
といっても、宿を先に確保するか、先に夕飯を済ませてしまおうかどうしようか、といったたいしたことのないものだ。
道中で人が倒れていたりしたらまずどうするか、などを考えようともしたが、
「放浪医さん、お荷物お持ちしましょうか?多少なら持てますよー」
アルレットのマシンガントークに遮られるので考えることをやめた。
ちなみに荷物持ちは断った。
医療器具が入っているし、器具の中には繊細な造りのものもある。
途切れることのないアルレットの会話は面倒くさいとは思ったが、うるさいと黙らせることはしなかった。
別に少女の話を聞いていたいとか癒やされているとかいうわけではない。
俺はそこまでこじれてはいない。
まぁ、彼女が可愛らしいことは認めるし、彼女に積極的に話しかけられたら鼻の下が伸びてしまう男は多いだろう。
ただ、俺は色恋関連には無頓着でドライだった。
「うるさい」とピシャリと言って、変にアルレットとの間に溝ができて互いに気まずい空気を作りたくない。
余計面倒なことにならないよう、大人な対応をしているだけだ。
「あ、街が見えてきましたね!」
アルレットが前方を指さして俺に言った。
無邪気な笑顔だった。
そんな彼女を見て、人によっては
太陽のような明るさ、とか
満開の花のよう、といって彼女の笑顔を形容するのかもしれない。
街に着いたのは、夕日が地平線から消えつつある時間帯だった。
労働者たちは疲れた顔を滲ませながら帰路を歩いており、街灯が点々と灯り始めている。
街につくと、まずアルレットが宿へ一旦戻り、身支度を整えに行った。
俺はアルレットが宿へ戻っている間、近くの噴水広場でタバコをふかしていた。
今日の宿を取ってもよかったが、なんとなくそんな気分ではなかった。
これから酒場で食事をするが、それが終わればそのまま別の街に移動するかもしれない。
食事が済んでからの気分でどうするか決めようと思っていたので、ただタバコをふかしてボーっとアルレットを待っていた。
今のうちに宿を確保しておかないと野宿になるかもしれないが、それも承知の上だ。野宿はもう何度も経験しているし、そこまで野宿が嫌なわけじゃない。
しばらくしてからアルレットが戻ってきた。
泥で汚れた服は着替え、財布をバッグに入れてきたとのこと。カメラは相変わらず首にぶら下げたままだった。相当のカメラ好きなことがここでわかった。
それから俺たちは酒場に向かった。俺もアルレットもちょうど空腹だったからである。
アルレットはもう空腹だったらしい。山道で食事をしてまだ数時間程度しか経っていないのにだ。
遅い時期の成長期なんじゃないかと思ってしまう。
酒場は多くの客で賑わっていたが、まだ空席がちらほらとあった。
夜がこれから更けてくると、この空席もやがて埋まるのだろう。
「繰り返すが、この酒場で夕飯が終わったら俺たちはお別れだ。いいな」
「はい、助けていただいてありがとうございました」
席につくなり俺はアルレットにそう言った。
アルレットは俺に頭を下げて礼を言ってきた。
アルレットは笑顔だったが、山道で見せた満面の笑顔ではなかった。
別れを言われて悲しい感情を隠すために作った誤魔化しの笑顔だった。
「でも・・・・・・少し寂しいですね」
それが旅というものだ。
俺の旅路はアルレットの旅路と同じではない。
旅路は誰かの道と交差することもある。だが、いつまでも重なっているわけではないのだ。
「すいませーん、ビールおかわりお願いします!」
アルレットの酒飲みは底なしだった。どうやら本当だったらしい。
これで大ジョッキ10杯目である。
「おい、そんなに飲んで大丈夫か?」
「全然問題ないですよー、放浪医さんは反対に少ししか飲まないんですね」
「俺は支払いのことを心配してるんだけどな・・・・・・」
アルレットの顔はほのかに赤くなっていたが、呂律もしっかり回っており会話も問題なかった。
アルレットは酒だけじゃなく肉料理、魚料理、野菜料理と雑多に口の中へと運んでは酒をグイとひっかけることを続けていた。
彼女の小さな身長からは想像できないほどの食欲だった。
山道での食事は片鱗だったのか。
ただ、テーブルで対面する俺から見ると、女のおしとやかさはアルレットにはなかった。
一言で言うと自由過ぎる。
「今日豪遊したら明日を節制すればいいんですよー」
「後で金貸してくれって言われても貸さないからな」
奢ってもらう身であるのに不安が生まれてしまう。
ちなみに俺はビール中ジョッキ一杯だけを頼み、料理を食べながらチビチビと飲んでいた。
酒は強くもなく弱くもなく。
ただ、酒をそこまで好きで飲むことが少ない。
これから寝るまでに患者とでくわしたら、という考えが頭の隅にずっとあるので、飲む量をセーブしている部分もある。ある種の職業病かもしれない。
アルレットが何も考えずに食べて飲んでを繰り返す姿を、俺は少しうらやましいと思った。
支払いは問題なかった。
俺は内心ほっとした。
酒場を出るともう夜も更けており、空には明るい満月があった。
「ごちそうさん。料理も酒も美味かったな」
「本当良かったですね!これは明日の夜も行くことに決定です!」
「明日は節制するんじゃなかったのかよ」
俺たちはアルレットの宿へと向かっていた。
宿前まで送ればそこで別れることにしていた。街の中とはいえ夜道だ。
アルレットは成人しているとはいえ小柄な少女にしか見えない。
宿まで送ってやらないと危険だろうと思い、こうして夜の街道を歩いている。
道の途中で二人の少年がはしゃぎながら追いかけっこをしていた。
その後ろを若い夫婦が「やめておきなさい」と優しく注意しながら歩いていた。
幸せそうな四人家族。
男三人に女一人。あの奥さんはこれからどんどん男勝りな性格になるんだろうな、と思いながら俺はアルレットの話に相づちを打つ。
全ての家族がああいう幸せな家庭であるとは限らない。
虐待を受けた子供を治療したこともある。
神経衰弱した子供をカウンセリングしたこともある。
そんな子供を見てきたからこそ、ああいう家族はいつまでも幸せになっていてほしいと願ってしまう。
俺という医者が必要ないぐらいに。
だが、俺たちとその家族が道ですれ違った時、俺のその小さな願いは崩れた。
「お父さん!!」
ドサッ
という音が俺の背後で聞こえ、女性の悲鳴が響いた。
俺は足を止めて振り向いた。アルレットも同じように後ろを振り向いていた。
男が前のめりで倒れていた。
妻は夫に寄り添い、身体を揺すっている。
はしゃいでいた少年二人も追いかけっこをやめて、倒れた夫の元へ駆け寄る。
「お父さん!お父さん!」
妻は涙を流しながら必死に夫の身体を揺すっている。
突然の出来事にパニックになっている様子だった。
このままだと夫の体調は変わらない。
救急の処置をするか近くの病院へ駆け込んだ方が解決する。
しかし、妻にはそのような冷静な思考はなく、少年たちもどうしたらいいかわからず顔が青ざめていた。
この街に救急車があるのかわからない。
しかし、応急の処置は可能だ。
俺がパニックになっている家族の方へ歩こうとしたその時、俺の腕を握る小さな手があった。
「放浪医さん、いきましょう!」
お前はそのまま宿に戻っていれば良いものを。
俺と行動を供にしても、お前に得などないだろうに。
彼女、アルレットはどうもお人好しのようだ。
「旦那さんの応急処置をするから、パニックの嫁さんを落ち着かせてやってくれ。少年二人も相手してくれると助かる」
「任せてください!」
どうも、今日は患者が多い日らしい。
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