第141話 絡まり合う運命を前に

 深い夜に浮かぶ月。

 それをさえぎるカーテンの奥で、ふたりはまた同じベッドで寝転んでいた。


 サティスの眼差しはまだ寝入らないセトを月の代わりに見守り、そんな彼女に撫でられながらリラックスしていくセト。


「なぁサティス」


「どうしました?」


「サティスには家族っていたのか?」


「家族、ですか?」


「うん、ちょっと気になった」


 自分の境遇、そしてヒュドラの話を聞いての好奇心。

 他人のことを知りたくなる。


 それが自分の好きな人ならなおのこと。

 サティスは魔人であるので、その半生は人間とは違うものかもしれない。

 

 子供にとって大人は完成された生き物の印象が強い。 

 セトであってもそのイメージは完全には拭えていない。


 だからこそ、知りたかった。

 自分とここまでの関係になるまで、否、それよりももっともっと前のこと。


 そんなセトの好奇心に目を丸くしながら、サティスは少しずつ話していく。


「そんなに面白くないですよ?」


「別にいい。サティスのことが聞きたいんだ」


「……私がまだアナタくらい小さかった、いや、アナタよりも小さかったころ。とてもではありませんが、その日その日を生きていくのがやっとでした。親なんて存在も私自身知りませんし」


「そうなのか? てっきり……」


「意外でしょうね。でもそういう時代があったんですよ。弱ければ生きていけない。どんなことをしても生き残る。そういうストイックさがなければならない。そんなとき、私に誰よりも魔術の才能があるって、魔術師のところへ行って魔術を学んだんです」


 セトは目を見開いて静かに耳を傾ける。

 どこか彼の境遇に通じるものがあった。


「そこで出会ったのが、あのシィフェイスなんです」


「そうなのか」


「でも、彼とはどこまでも反りが合いませんでした。それ以上に自分の力をもっと振るいたい一心で、魔王の傘下に入りましたから」


「そんな経緯が……。でも、そこでも大変だったんじゃないか?」


「まぁね。同じ魔人も何人かチラホラ見ましたが、成り上がるためにはそれはもう……」


 ここでためらった。

 自慢話のように話す自分に嫌悪する。


 傍から見れば大人の醜い権力争い。

 そしてそれは勇者パーティーにいたころのセトとの関係にもつながる。


「サティス?」


「え」


「……俺はかまわない。ただ知りたいんだ。どんな過去も」


「でも……」


「そんなこと言ったら俺だってロクな過去ないぞ?」


 相変わらず真っ直ぐな眼差し。

 その瞳の中に、一体どれだけの血と闇を見てきたのか。


 サティスはひと息ついてからまた話を進める。

 幹部への昇進、そこから人間相手に奮闘しつつも支配欲と承認欲求を満たしていく日々。


 どれだけの女を蹴落としたか、どれだけの男を惑わし、奈落へと導いたか。


「……今のアナタには、気分の悪い話でしょうけど」


「そのときアンタは幹部、俺は兵士。そういうもんだ」


「本当にこういうことはかなりドライですね」


「それしかないからな。でも……う~ん」


「なんです?」


「過去とは言えなぁ、サティスがほかの男の人に目をやってたのは、その、なんか……」


 かわいらしい嫉妬だ。

 心なしか頬を膨らましているようにも見える。


 大人染みた理性に、歳相応の本能。

 ふたつのギャップにサティスはおかしくなり、クスリと笑んだ。


「な、なんで笑うんだよ」


「いいえ、なんかセトに嫉妬してもらうのって……すごく変な感じがして」


「変なって」


「別にバカにしてるわけじゃないですよ? 安心してください。ちょぉっと幻術でちょちょいといい夢を見てもらったくらいですから」

 

「イイ、夢?」


「見たいですか?」


「いや、いい。今のままで」


「でしょうね。今のアナタにはちょっと刺激的過ぎますから。それに、本物の私がいればそんなのいらないでしょう?」


 さらに寄り添ってくるサティスに顔を赤らめるセト。

 内心温もりが強くなり歓喜に絶えない。


「明日はなにをしようか?」


「セトのしたいことを」


「それ一番困るやつだよ」


「ふふふ、ゆっくり決めればいいじゃないですか」


 時間の流れは緩やかに。

 ふたりの安息を邪魔せぬように、屋敷内も外もなにもかもが静かに感じた。


 世界のすべてが今この瞬間捧げられているかのような安心感に、セトは瞼を重くしていく。

 そして直感していた。


 この安息の先には、怒涛の戦いがあるのだと。

 敵味方問わず避けられない運命が待ち構えている。


 絡み合う糸に火が付き、それは巨大な戦火となり、国、いや、世界を巻き込んでいくのだ。


 ただのちっぽけな元少年兵が、そんな大それたものに挑む覚悟があるのか。

 瞼の裏の暗闇で、禅問答のような自問自答。


 勇者でもない。

 英雄でもない。

 

 握られた刃で敵を殲滅することに卓越した、いち兵士に。

 無意識の不安、否、これは闘う者の一種の防衛本能とでも言うべきか。


 それを感じ取ったサティスは目を閉じたセトを抱き寄せた。

 漂う花の薫り、かつてのクレイ・シャットの街で使った魔術。


 身体が脱力し、精神がほぐれていく。

 セトは徐々に寝息を立てていった。


「大丈夫ですよ。アナタは私が、守りますから……」


 サティスはなにかを決意したように瞼を閉じる。

 セトが強くなったように、サティスもまた強くなることを選んだ。


 そんなふたりの朝の訪れは、日の出とともに始まった。

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