第83話 ヒュドラの進むべき道
ヒュドラとリョドーは村長宅へと赴き、スカーレットとゲンダーに試練の証たる宝剣『
ゲンダー曰く、この剣には太古に地上へ降り注いだ隕石を使用しているのだとか。
その隕石の効果によって、退魔の力が色濃く宿り、時折刀身が紫色に光るらしい。
試練を終えて、心身ともにまたひとつ強くなったヒュドラは、すぐさま村を出てようとした。
誰もが休んでからと止めたが、彼女は首を横に振る。
「決意は固そうね。辛い旅になるけどいいの?」
「はい、そして途中でセトと出会ったら……これまでのことを謝りたい。まぁ、本人からしたら私は邪魔者以外の何者でもないでしょうが、それでも謝らねばならぬのです」
「ヒュドラさん、そんな風に自分を責めないで」
「いいえ、これまでのことを鑑みれば至極当然のことです。でも、結果はどうであれ、やはり謝りたいというのが私の願望です。まぁその前に彼に出会わないといけませんが」
「割と早く出会えるとも」
「え? それは本当ですかゲンダー殿」
「王都へ行きなさい。そこに君にとってのすべての答えがある」
「答えとは?」
「今朝君が言っただろう。自分の目と耳、そして肌で感じ取るのだ。恐れるな。道はすでに開かれている。────其方に偉大なるトーテムの加護があらんことを」
ゲンダーは皺のよった顔をほころばせながら、ヒュドラの心を後押しする。
ヒュドラはスカーレットとゲンダーに再度礼をした。
外へ出ると、リョドーが待っていた。
ヒュドラが村を出ようとするのをわかっていたのか、すでに準備を済ませてあるとのことだ。
「リョドー殿。なにからなにまでありがとうございます」
「かまうな。それよりも、馬を用意してある。早く"グリドー"のところへ行け。アイツの馬は兎に角速いからな」
「は、はい。うぅ、グリドー殿か。まだ苦手だなぁ」
「そうだろうな。お前、滅茶苦茶にしごかれてたからな」
この村にいるとき、あらゆる達人たちに指導を受けたが、その中でもグリドーと言われる人物との修業はこれまでの人生で経験した以上の辛さだった。
元は高名な騎士の家系であったとされるが、その戦闘術に何度か死にかけた。
内心怯えながらも、グリドーと言われる人物の住む家まで向かう。
「グリドー殿! ヒュドラです」
「……入れ。話は聞いてる」
ヒュドラは言われるままに入ると、グリドーはイスに腰かけたまま、睨みつけるような仏頂面をヒュドラに向けた。
「座れ」
「は、はい」
到底人が住んでいるとは思えないほどに簡素な内装の家。
必要最低限という言葉にも届かないほどに小ざっぱりしたリビングには、イスとテーブルが寂しく立っていた。
壁には絵もなにも飾られておらず、ただ古い剣と傷だらけの盾が立てかけているだけ。
元騎士らしく家の内部もまたそれに相応しいものかと思ったが、完全に真逆だった。
「なにジロジロ見てんだ。俺の家に文句あんのか?」
「いえ、申し訳ございません。ただ、グリドー殿は元騎士ということでしたので……その、すみません」
「謝んなボケ。……紅茶淹れる。お前も飲め」
「あ、いえ、お構いなく。私はもう村を出ますので……」
「お前俺の紅茶が飲めねぇってのか?」
(ひぇぇ~)
こうしてヒュドラは緊張と恐怖で味のしない紅茶を飲むこととなった。
グリドーは紅茶を味わいながら、ヒュドラをじっと見ながらようやく口を開く。
「魔王討伐の旅を続けるんだって? そんなのよぉ、勇者一行とか、国の連中とかにやりゃしゃいいんじゃねぇか?」
「え?」
「お前が体張る必要なんかねぇって言ってんだ」
グリドーは基本、鬼かと言えるほどに厳しい武人だ。
少なくともこんな風に役目を放棄しろというような人物ではないように思えた。
「あの、グリドー殿。なぜ、そのようなことを? これは、私の使命なのです。私は使命を果たしたい。だから……」
「使命、か。懐かしいなその言葉。……昔、俺にもお前くらいの娘がいたんだ。同じこと言ってたよ。これは私の使命なんだって」
「ご息女が……」
仕えていた国は良い国とは言えず、グリドーの一族は王の命令とあらば自国の民にすら刃を向ける流血の騎士の家系だった。
グリドーもまた祖父や父と同じ、王の命令のもと、何度も何度も傷付きながら、戦場でも自国でも刃を振るった。
そのことに心の奥底で罪悪感や疑問を募らせながらも、煌びやかな兜の中で、それらをひたすら隠し続ける日々が続く。
────こんなやり方では、誰も幸せにはならないではないか、と。
だがそれ以外に生きる方法が思いつかなかった。
自分の心や身体を犠牲にしてでも他人や目上の人間のために尽くす。
これ以外の"正義"や"善"などは、自分は勿論誰ひとりとして考えられなかった。
だからずっと祖父にも父にも母にも言われてきた。
他人のために尽くして負った身体の傷や心の痛みは、人間としての誇りであり、騎士の生き方なのだと。
その理念と現実との乖離・矛盾に苦しみながら、グリドーは歳を重ね、子を授かった。
だが、グリドーの跡を継ぐべき一人娘は成長していくにつれ、王の暴政や一族の所業に疑問を抱き、ついには逆らうことに。
そのときの会話の内容を、グリドーは今でも覚えている。
「……────小っちゃい頃から、ずっと俺が言われ続けてきたことを、言い聞かせてきてよぉ。お前くらいの歳になったくらいか。急に反抗しやがった。王を諫め、民を救うこともせずしてなにが騎士かって。真っ当なこと言ってるだろう? でもよ、俺たちの時代はそうじゃなかった。目上に、ましてや王に個人の意思を出すなんてとんでもねぇ。俺は、アイツを貶すみてぇに反対したんだ。アイツのすべてを否定した。存在ごとな。それがいけなかった……」
「そのようなことが……」
「アイツはそれにショックを受けて、ついに行動を起こした。虐げられてきた民や自分に賛同する騎士や兵士を率いて、王に盾突いたんだ。……俺はどうしたと思う?」
「……戦ったのですか?」
そう言うと、グリドーは悲し気に肩を振るわせながら不気味な笑いを漏らす。
「逃げたんだ」
「え!?」
「おかしいだろ? 自分のトコの娘が国に逆らった以上、家はお取り潰し確定。周りすべてが俺の敵になったって考えたとき、もう居ても立っても居られない気持ちになったんだ。これまで俺の中で溜め込んでいたものが爆発した。俺は、持てるだけの金と剣と盾を持って、妻と……アイツの母親である存在と逃げたんだ」
「その、ご息女はグリドー殿たちが逃げられたことを……」
「それはわからねぇ。アイツは、本気で国を変えようと……自分の守るべき存在たる民を救おうと考えてたから、きっと俺と刃を交えることも覚悟してたかもしれない。でも実際にはいなかったんだから……どう思ってたんだろうな」
グリドーは紅茶をまるで酒を浴びるかのように飲む。
すでに冷めきっていた紅茶が入っていた空っぽのカップの中に、彼の虚脱感が注がれているようだった。
国と娘がその後どうなったか、グリドーは知らない。
というよりも、それに関する情報を知るのが怖かったので、意図的に遮断した。
逃亡生活の中で妻が失意の中で死に、この村に住みつくようになってからも。
グリドーはずっとこの村でひとり寂しく、消えることのない過去を背負いながら生きてきた。
「俺は、自分と同じような生き方をさせようと娘を厳しく育ててきた。きっとこれが俺にできる最善の道なんだって信じてな。でも、結果このザマだ。親のちょっとした言葉が、子供に一生の呪いとして残ることがある。呪いにするつもりなんかはなかった。俺は……これまで通り、自分の子に家を継いで貰って、俺が引退した後もその子供がしっかりと一族を引っ張って王国を支えて貰えるようにって……そう思って……それが立派な道だって思って。でも、アイツは……それに疑問を抱いて……間違ってるって、真っ向からぶつかってきて……」
ヒュドラに対し、これまで抱えてきたやりきれない思いを吐いていく。
その目には悲壮感と涙で潤み、これまでの厳しさからは考えられないような切ない輝きを宿していた。
「この村に住んでから、俺は気付いたんだ。俺はもしかしたら……やりたくもない我慢をずっと続けてただけで、我慢することで、自分は立派だって、誤魔化してただけだったんじゃねぇかって。我慢と忖度やってりゃ、なんとか生きれるだろうって。……自分の心を押し殺して、必死になって他人に合わせて……、それを忠義って呼んで……俺は、それを娘にもやらせようとした。それが世間の当たり前、常識って思ってた。違う。そう思うことで、俺は本当の間違いから逃げてたんだ。そう思うことで、"俺は常識を守ってるだけだ"って……考えることから目を背けてた。……なぁヒュドラ、お前は、どうなんだ?」
「私、ですか?」
「お前は魔王討伐の旅が使命だって言ったな。それは本心か? ホントは親とか周りの大人たちに言われたから、とりあえずやる気出して頑張ってみようって思っただけの目標じゃねぇのか?」
「ち、違います。私は本気で」
「もしも断ったり、途中で止めたら皆にどう思われるかとか。そういうことを考えちまったから、使命なんて言葉使って自分を押し殺してじゃないか? もしもそうだったらやめとけ。別に貶してるんじゃない。そんなことに命張る必要なんてねぇんだ。そんな強迫観念染みたもんより、自分の好きなこととかやって幸せに生きるほうがずっといい」
「グリドー殿……」
「自分の幸せを犠牲にして他人に尽くすなんて価値観はな、俺らみてぇな古臭い世代のもんだ。テメェみたいな若い世代のもんじゃねぇんだよ! テメェら若い奴らが自分を不幸にしてまで他人に尽くすなんてやり方、やっちゃダメなんだよ!! いくら俺たちのやってきたことを真似して頑張ったって、幸せなんかにゃなれねぇんだよ!!」
グリドーの眼差しはまるで娘を心配する父親のようだった。
それがヒュドラの心をきつく締め付ける。
「いいか? 生まれてから死ぬ瞬間まで親や周りの大人の期待に応えられるよう、なんでも我慢できる奴なんていないんだよ。そんなのいるわけねぇんだ。だから、もしもお前がそういう人間になろうとしてんのなら今すぐやめろ。……お前らみたいな若い奴らが……俺みたいな大人になっちゃいけないんだよ!! そんな生き方に、幸せなんかねぇんだよ!」
厳しい武人という面の裏側にある、一人娘を持つ父親の顔。
それはヒュドラ自身の父親の姿と被った。
ふと、隙間から風が吹いた気がした。
ひんやりと冷たい流れが、ヒュドラの頬と首筋を撫でて、落ち着きをもたらしてくれる。
彼女は大きく深呼吸をしてから、グリドーの目を見て、はっきりと答えた。
「グリドー殿。私は、自ら進んで勇者一行に加わり、そして魔王討伐の旅に出ました。そのときから、私の気持ちは変わっていません。しかしその過程の中で大きな過ちを犯したことも事実。ずっと胸に突き刺さっています。ですが、私は逃げたくないのです」
「本心、みてぇだな」
「はい」
しばらく無言で視線を交わすふたり。
グリドーは諦めたように溜め息を漏らし、ぎこちない微笑みを見せた。
「そうか。でもな、どうしてもってときは逃げろ。自分の幸せだけを守れ。周りのことなんか気にすんな。使命も責任も全部捨てちまえ……。お前は、勇者一行だのとか言う前に、周りを愛せるひとりの人間なんだ。俺とは違う……お前は、あのセトに心から謝りたいと思えるほどに強い。……俺にその強さはない。妻が死んで今もなおロクな墓も建ててやれず、娘の生死すら確認しようとしない、元高名な騎士様だった馬鹿な男だ」
「グリドー殿は、馬鹿な男などではありません。私に武の道、そして人の道を教えてくださった、誇り高き師のひとりです。……正直、とても怖い印象しかありませんでしたが、それもまた私にとっての学び。このベンジャミン村での教え、けして忘れません」
「ヒュドラ……。へっ、あの程度の訓練にも死に掛ける程度のへっぽこな小娘がいっちょ前なことを」
グリドーは、まるで心のつっかえが取れたような朗らかな表情を浮かべる。
ヒュドラもまた、満面の笑みで答える。
ふたりはそのまま家の外へ出る。
そこには優し気な白い光に包まれた白馬が待っていた。
「旅の準備は……おう、万端じゃねぇか。この馬は"聖馬"って言ってな、どの馬よりもずっと速ぇ」
「聖馬!? 聖馬ってあの……伝説上の!?」
「お前な、ここベンジャミン村だぞ? いるのは変わり者ばっかなんだから、こういうのだっているに決まってるだろ」
「え、えぇ~……」
「ほら、早く乗れ。王都までは送ってくれる。そのあとは自力で戻ってこれるさ」
「あ、ありがとうございます。では……」
そう言ってヒュドラは馬に跨る。
聖馬は穏やかないななきを響かせ、ヒュドラを歓迎した。
「……行ってこい。皆には俺が言っておいてやる」
「はい! 行ってまいります。────やぁッ!!」
こうしてヒュドラは聖馬とともに、大地を駆け抜ける。
ヒュドラは馬をも超える速さに驚きながらも、真っ直ぐ前を見据え進んでいった。
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