第77話 vs.凶霊・凍てつく憤怒 後編

 セトはクレーターから離れた場所に吹っ飛ばされていた。

 その際深く積もった雪がクッションとなり再起不能には至らなかったが、凶霊の尋常ではない力にセトは内心舌を巻く。


 埋もれた雪の中から出ようとするも、自分が今下を向いているのか上を向いているのかさえわからない。

 涎を垂らすと、セトから見て頭上のほうへと垂れていく。

 真逆の方向へと掘り進むと、外へ出られた。


「なんて威力だ。さすが憤怒って自分から名乗るだけはあるな。よいしょっと」


 態勢を立て直し、魔剣を再びしっかりと握りしめる。

 身体が冷えて仕方がないが、それでもやるしかない。

 セトは周りの瓦礫や木々の陰などに身を潜めながら、気配を追って凶霊のもとへと進む。


 一方、凶霊はセトが近くまで来ようとしているのを感じ取り、その場で立ち止まった。

 物理的に滅茶苦茶にされた大地に猛吹雪からなる冷気が支配する世界で、黒く冷たい刀身を揺らめかせながら周囲に気を張る。

 目立つ衣装をまとっている凶霊からしたら、セトが自分を見つけることはわけないだろうと考えた。


 他の凶霊を倒し、あれほどの攻撃を受けてまだ生きているほどのガッツがあるのなら、きっと自分の場所もすぐに特定する、と。

 

「近いな。さてどんな手段でくる。時間はないぞ? ────我が刃に貫かれるのが先か、凍死するのが先かだ」


 能力的にも地理的にもアドバンテージを持つ凶霊はほくそ笑みながら呟き、あえてセトが近づいてくるのに気付いていないフリをした。

 セトは奇襲で来ると彼女の直感が告げる。


 案の定、しばらく待っているとセトの気配を後方より感じ取った。

 わざと隙を見せて一撃で必殺できそうな雰囲気をセトに匂わせる。


(────愚かな)


 セトが飛びかかって来たのを察し、振り向きざまに強烈な逆袈裟一閃。

 風を孕んだ刀身が不気味な音を響かせながら、命を刈り取ろうとしていた。


「ぬおッ!」


 セトは魔剣の刀身で攻撃を滑らせながら、身を捩って回避する。

 雪の上を転がりながら凶霊の右方へと移動し、切っ先を向けるようにして上段気味に構えながら次の行動に備えた。


「……驚いた。今のは背後から来た暗殺者を確実に殺すための技だったのだが」


 あえて隙を見せて誘い込み、後方へと回転しながら適度な脱力により重心を可能なまで落とし、その落下速度と腕の強さで確実な一刀両断を狙える高速斬撃。

 セトは初見でそれを回避した。

 その戦闘センスに凶霊は内心賛辞を贈りながらも、セトを狙うその目には慢心はなく。


「今のは危なかったよ」


「だろうな。だが悲しいことにその選択は誤りだ。さっきので死んでいれば苦しまずに済んだものを……」


「いいや間違っちゃいない。……さっさとケリを付けよう。寒くて仕方がないんだ」


「なら温めてやろう。お前の流す血でな」


 その言葉を皮切りに、再び斬り結ぶ双方。

 セトは攻めるも大楯が非常に邪魔で、中々切っ先を凶霊に近づけられない。

 通常より長い刀身を持つバスタードソードによる攻撃が、リーチの短いセトを圧していく。


 だがこうして斬り結んでいくごとにセトのポテンシャルは高まっていった。

 凶霊が剣を振ったその一瞬の隙をついて間合いを詰めると、大楯に勢いをつけたローリングソバットを当てる。

 突然の衝撃にバランスを崩した直後、セトの素早い行動からなる刺突を腹に入れられた。


「ぬぅッ……────!」


 凶霊が一瞬苦悶の表情を浮かべる。

 だがここからが本番だと言わんばかりに攻勢を強めていった。

  

「我が憤怒の刃に平伏すがいいッ!」


 凶霊の攻撃の精度と速度が増した。

 時折闇色のエフェクトのようなものが斬撃とともに宙に浮かぶことがある。

 セトは一瞬闇属性の魔力かなにかが漏れ出ているのかと思ったが、正体を知ったときは思わずギョッとした。

 

 ほんの一瞬だが、斬られた空間が削り取られ、『無』へと還っているのだ。

 削られては戻り、削られては戻りを繰り返している。


 ただの斬撃で空間を構成するあらゆる因子を斬り裂くその技量は、強い戦闘能力を持つ魔剣使いと同等かそれ以上か。

 ランダムに現れるあの一撃をその身に喰らえばアウト、恐らく魔剣で防ごうとしても魔剣ごとし斬られて終わりだろう。


 セトは冷静にその太刀筋を見極める。

 けして見切れない速さではないし、すべての攻撃があれになるわけではないとわかった。

 なによりこちらも魔剣解放を使えば、凶霊以上の速度と破壊力を出せるだろうと。


「このまま朽ちるがいいッ!」


「まだまだぁ!!」


 凶霊は翼を広げ、セトは魔剣解放を行い、互いに地上スレスレを超高速移動しながら斬り結んだ。

 黒と赤がぶつかり合う中、凄まじい刃風が風と雪を薙いで、互いの剣閃が残照のように煌めく。

 セトは凶霊の太刀筋を見極め、あのエフェクトの出る攻撃に細心の注意を払いながら、峻烈な太刀捌きを披露していった。

 

 双方が戦う度に周囲が地響きと爆発を起こし、この戦いが如何に苛烈にして人外めいたものであるかを物語らせた。

 山を斬ってはその断片を弾丸のように飛ばす凶霊に対し、目にも映らぬ速さで掻い潜ったり断片を斬り裂いたりするセト。

  

 凶霊との戦いで確実に実力を付けていくセトに、凶霊も攻めあぐねている。

 勝負を長引かせまいとセトはここで打って出た。


 セトは力を解放したまま突如魔剣を空間に戻し、居合斬りのような構えを取る。

 魔剣解放の力を使った超高速を越える居合斬り。

 凶霊はハッとし大楯を前に構える。


「────無駄だ。


 セトの言葉と同時に凶霊の身体のあちらこちらから、凄まじい量の血液が出た。

 そこから少し遅れて真っ赤な無数の斬撃が彼女を包み込む。

 

 その威力に凶霊は荒い呼吸をしながら片膝をついた。

 綺麗な髪をその血で汚しながらも、クツクツと妖しく笑む。


「まだだ……我が、力……我が、憤怒……けして」


「やめろ、アンタの負けだ」


「果たし、て……本、当に、そう、かな? クククククク」


 そう言ってズタズタに斬られた翼を広げて飛び上った。

 その直後、あれだけ温まっていたセトの肉体が一気に冷えてくる。


 それだけではない。

 この世界を構成するすべてのものが歪な音を立てながら凍っていくではないか。


 空に浮かんでいた雲も、風も、空気中に漂う魔力もなにもかもが。


「────……終焉凍土グラウンド・ゼロ


 宙に浮かぶ凶霊が呟くは最後の切り札の名。

 それは死の零度つめたさそのもの。


 絶対零度だの時間を凍り付かせて時を止めるだの、そんな生温いものではない。

 物質も概念もすべて終焉に導く凍土を作り上げるのだ。


 云わばすべての氷属性の技の頂点に君臨する技。

 凍てつけば最期、もう物質としても概念としても機能しなくなり露と消えることとなる。

 

 そしてセトも凍り始めていた。

 速度は尋常ではなく、すでに呼吸も困難で、意識もまた凍りついたように自由が効かなくなっていく。

 

「あ……ぁ……」


「さらばだ。魔剣の子よ。────終焉の氷で安らかに……、いや、もう眠ることも、死ぬこともできないか」


 世界を埋め尽くすように冷気の靄が覆っていく。

 その中で自由に動けるのは凶霊ただひとり。

 彼女は身を返し、靄の中へと消えていった。


 そのとき、凶霊の耳にありえない音が響いてきた。


「なんだこの音。……いや、なんだこの光はッ!?」


 凶霊が感じたのはこの終焉凍土グラウンド・ゼロに匹敵するほどの強大なエネルギー。

 そしてそれはまさしくセトのほうから感じる。


「オ゛ォ゛オ゛オ゛ラ゛ア゛ァ゛ア゛ア゛ッッッ!!」


 あれはセトの雄叫びだ。

 凶霊は思わず息を吞んだ。

 そして、巨大な斬撃が終焉凍土グラウンド・ゼロを斬り裂いた。


「ハァ、ハァ、ハァ……」


 気付けば世界はあの技を出す前の光景に戻っていた。

 その原因たるセトの魔剣は、これまでにないほどの妖しい光とエネルギーを宿している。


豊穣と慈雨バアル・ゼブル……威力が上がった? いや、進化……したのか?」


「馬鹿な、ありえん……魔剣で法則を捻じ曲げるほどの力場を生み出しただと? 言ってしまえば『新たな物理法則』で既存の法則を破壊する行為だ。その魔剣一体どうなっている……!?」


「……さぁな。ただわかることは、この魔剣にはさらに上があったってことだ。正直使いこなせる気しないけど、アハス・パテルにはなにか考えがあるんだろう? だから、試練は最後までキチッとやり遂げる。詳しいことはあとからでも知ればいい。今はこれで、アンタを倒す」


「アハス・パテル……アハス・パテル……アハス・パテル……ッ!! 死の、ウェンディゴォォォオオオッ!!」


 憎悪のこもった声を張り上げながら凶霊は上空から斬りかかる。

 対するセトは特に構えもせず、じっと凶霊を見据えていた。


 そして凶霊の斬撃が、神速で動いたセトの残像を虚しく斬り裂く。

 驚愕の顔をする彼女の背後で、セトは血振りをして、サムライが鞘へ納めるようにゆっくりと空間へと戻していた。


 残心。

 

 魔剣が完全に空間に納められたころには、凶霊は黒い粒子となって消えていった。

 試練は終了し、セトは新たな力を得ることに成功する。

 

 セトの身体がフワリと浮かぶと、周囲が突如真っ暗になった。

 自身が上へと昇っていくのを考えると、どうやら地上へと出られるようだ。


「お、終わった~。終わったぞサティスゥ~」


 ため息交じり戦闘後の回復の心地良さを味わいながら、セトは地上に思いを寄せる。

 愛する人と友が待っていると思うと、セトはワクワクした。


 戦い続きの身体が、触れ合いを望んでいる。

 セトは希望を以て、サティスたちが待つ地上へと昇っていった。   

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