第74話 vs.凶霊・煮え滾る空虚 前編

 セトが今いる場所は、見るも不思議な光景が広がっていた。

 辺り一面金属でできている。

 直方体のような形状の広大な空間で、床は硬い金網状の物でできており、そこから下は底が見えない巨大な空洞のようになっていて、いくつもの歯車が連動して忙しなく動いていた。

 この空間には半径2mほどの円柱が8本あり、天井を支えるようにして、金網から下へと突き抜けている

 

 巨大な音とともに、不気味な唸り声を上げて風がセトのほうまで吹き込んでくる。

 この空間に蔓延る乾いた暑さとジメジメとした暑さが融合し、セトに独特の不快感を抱かせた。


 周りを見渡せば金属の壁や天井に沿うように、いくつもの曲がりくねった金属製の管が通っている。

 真っ直ぐなのもあれば、グニャグニャと曲がりくねったものまであり、時折繋ぎ目あたりの部分から白い蒸気が噴き出ていた。

 

 管は金網より下のほうにも伸びており、壁の内部へ入り込むよう直角気味に軌道を変えていたり、そのまま真っ直ぐ下へと伸びるものもる。

 まさにスチームパンクを意識した機械的な世界観だ。


 自然とはまったく縁のない人工的な建築物の内部だろうとは思ったが、あまりにも時代を先駆けすぎているような気がしてならない。

 まるで自分だけタイムスリップして遥か未来へ飛んでしまったのかと思ってしまうくらい、セトには衝撃的だった。


「なんなんだここ……? 凶霊の心象風景にしてはなんていうか無機質な場所だな。……今までのとは全然違う。もしかしたら、さっきのふたりより強いのが現れるかも」


 セトは魔剣を構える。

 歯車の忙しない音や蒸気の噴き出る音が反響してやかましく耳介に響く中、セトの集中力は研ぎ澄まされていった。

 一定のリズムの音の中から、そのリズムに合わない物音を聞き分けるのだ。

 じっとりと汗が流れる中集中していると、セトはほんの一瞬気配を察知したので後ろを振り返った。


 しかし誰もいない。

 何者かが背後を通り過ぎた気がしたのだが……。


 セトは視線を動かしながら周囲を警戒する。

 片手で下段に落とした切っ先を小さく柔らかに揺らしながら相手の出方を見極めることに。


 その後も何度か不気味な笑い声とともに気配を感じては反応したが、やはり誰もいない。

 弄ばれているのかと思ったときだった。


「────この世は空虚むなしい」 


 喧騒の中、はっきりと声を捉える。

 

空虚むなしさだけが魂を蝕んでいく。……空虚むなしい、空虚むなしい!」


 凶霊、これは男の声だ。

 姿を見せない敵が声を張ると、周りの金属の管が軋みを上げ、地震に揺られたかのように振動していく。

 蒸気がいくつも勢いよく噴き出て、一気に湿度が上がった。


「嗚呼、心が搔き乱されるッ! 空っぽのはずの心が……空っぽになったはずの心が、────沸々と煮え滾るのだ!」

 

 それは怒りにも取れる言葉だった。

 空虚な心が、なにもないはずの心が喚きながら暴れている。

 まるで見えない力で生殺しにされ、その果てに心を滅茶苦茶にされているかのような。


 凶霊の感情に呼応するように蒸気の勢いが強くなり、セトの視界すべてを覆うほどになったとき、声の主は金網を踏みしめながら白い靄の中から現れる。


 迷彩柄の戦装束に身を包んだ長身痩躯の男だ。

 熟練の暗殺者か名うての殺し屋のような不気味な気配を持つ凶霊の見開いた赤い瞳は、爛々と妖しい光を宿してセトを睨みつけ、肉食獣のように尖った歯を剥き出しにして見せつける。


 吸血鬼ドラキュラ

 セトは凶霊を見てそう思った。

 無手ではあるが、そのイメージにそぐわないだろう強大なパワーを秘めていることが、対峙しただけでわかった。


「────私の名は『煮え滾る空虚』。数多ある感情で『憎しみ』に最も近しい存在。……感じるぞ。貴様の中にあるけして拭えぬ空虚を。血と錆にまみれた孤独なうろを!」


 空虚。

 それはセトが戦場でずっと感じ取っていた感情。

 命の儚さをずっと目の当たりにしてきたがゆえに現れた心に開いた穴。

  

 サティスのお陰で埋まりつつあるそれは、まだ完全ではないということを凶霊は見抜いた。

 凶霊とセトの違いは至極単純なもの、囚われているか否かだ。


 セトはこの世に受ける虚しさをあるがままに受け入れようと努め、この男は自らを凶霊と化してまで空虚に固執している。

 死と空虚のみが、この凶霊にとっての真理であった。

 その混沌とした思考に囚われたがゆえに、凶霊の顔はかつての顔を忘れ、異形のそれへと変貌してしまっている。


「貴様の魔剣か、私の空虚か……。さて、死はどちらに軍配を上げるか」


 凶霊はしたり顔を浮かべながら右手を背後に回し、左手をヒラヒラと動かしながらおどけるような仕草をして見せる。

 背後に武器を隠し持っているのかとセトは身構えた。

 魔剣を顔の位置まで掲げ、切っ先を相手に向けるような構えで、円を描くように間合いを取っていく。


 右へ、さらに右へと移動するも凶霊はその場を動かず視線を真っ直ぐ向けたままセトを見ようとしない。

 凶霊が動かぬ不気味な時間の中、うるさい音をたてる機械たちとセトのみが息づいていた

 金属に囲まれた静と動の空間で、セトは斬りかかろうとするも、異変を素早く感知する。


 不自然な音がかすかに聞こえた。

 まるでなにかを無理矢理引き千切ろうとしているような。


「────上かッ!?」


 セトはすぐさま反応し魔剣で頭上にふたつの剣閃を描く。

 先の尖った細い金属の管が4本。

 それは矢のように飛んできて、セトを串刺しにしようとしていたのだ。

 

「残念、下からもだ」


「────!?」


 今度は金網を突き破って同じく4本の管が飛んでくる。

 セトは華麗に回避しながら、凶霊に再度狙いを定め、短期戦を挑もうとした。

 だが凶霊は白い蒸気に紛れて、まるで蛙か虫のように飛び跳ねながら柱の陰を移動する。


 ふと天井を見上げると、千切られただろう細い管から膨大なガスが噴き出ていた。

 ガスはセトのいる場所を金網を通って下へと降りる。

 ぼんやるとする視界の中、凶霊の声が聞こえた。


「どうした? 私はここだ」  


 セトは身構えながら柱を背をつけて周囲を見渡した。

 これまでの敵とはタイプが違う。

 ここは凶霊の心象風景にして支配領域ホームグランウンド

 姿を隠しながら仕留めるのに適しているのだろう。

 

 案の定、第二波がやってきた。

 今度は金属の管だけでなく、細かい破片までもが飛んでくる。

 セトは左へと飛び回避すると、管や破片が柱にめり込み、無数の衝撃による痕がその破壊力を如実に物語っていた。


「自在に物を操る……。念動力サイコキネシスの類か? さっきの攻撃も、壁や天井から引き抜いて俺に当てようとした」


 サイコキネシス。

 手に触れることなく自在に物を持ち上げたりすることができる力。

 シンプルでありながら、使い手によってはかなり応用が効かせることができる能力であり、その真価は未だ未知数。


「今さら気付いたか。私をほかの凶霊たちと一緒にするなよ? 貴様より遥かに経験を積んだ戦闘のエキスパートなのだからなッ!」


 上のほうからだ。

 見上げると凶霊は柱と直角になるように立っている。

 両腕を軽く広げながら構え、いつでもそのパワーを発揮できるよう掌に力を込めていた。

 

「────空虚だ。空虚こそ心を支配する最も強い思念。私はその力を手に入れたのだ」


「その代償にアンタは……いや、アンタら凶霊はこの世界に囚われている。そんな力のなにがいい?」


「貴様にはわかるまい……こみ上げる空虚むなしさで沸騰していく心を持つ人間の気持ちが」


 格闘術のような構えを取り、柱から飛び降りるようにしてセトに襲い掛かって来た。

 セトはすかさず下段から頭上への切上を行う。


 凶霊のかざした掌の力で剣が阻まれた。

 稲妻のようなエネルギーを発しながら互いの力は反発し合い、小規模ではあるが衝撃波が生まれる。


「クワァアアアッ!!」


 衝撃波に乗るように飛び上がる様はまるでムササビの如くで、凶霊は余裕の表情を見せながら金網の上に着地し、同じく距離を開けたセトと睨む。

 セトはポーカーフェイスを貫きながら、魔剣を下段にして切っ先を揺らした。


「……その目が気に入らん。その闘志が気に入らん。ククク、思い知らせてやる。我が空虚の前では、貴様の力など単なる児戯でしかないのだとッ!」


「やってみろ。そのかわり……俺はアンタをなます斬りにする」


 冷静な口調な冷徹に吐き捨てるセト。

 その目に迷いも恐怖もない。


 これまでの戦いで凶霊の超越的な力には慣れてきた。

 念動力サイコキネシスという厄介な能力を持っているが、必ず仕留める。


 周りにある金属類よりも遥かに固い意思が、セトの瞳と刃に宿っていた。



「私に挑んだことを後悔させてやる。いくぞぉ!」

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