第73話 サティスとジェイクはセトを想う

 セトが凶霊との激闘を繰り出している一方、サティスとジェイクは泉の近くでずっと待っていた。

 サティスは台座の石板に座るようにして心配そうに泉を眺め、ジェイクは祭壇の端っこで三角座りをしながら気まずそうにしている。


「セト……」


「……あ、やっぱり心配ですよね。僕もなんです。時間がかかるなぁ~……なんて」


 女性とふたりだけの空間に戸惑いと気まずさを感じていたジェイクは、思い切ってサティスに話しかけてみる。

 サティスはジェイクのほうにやや悲し気な笑みを見せながらも柔らかな声調で話し始めた。


「あの子、強いけれど結構無茶するところがあるから……でも、私はセトがちゃんと戻ってきてくれるって信じてます。ただ……セトが傷だらけで戻ってくるって考えるとどうも」


「好きな人が傷だらけっていうのはやっぱり、嫌ですか?」


「そうですね。セトには元気でいて欲しいですし、なにより早くふたりでゆっくり暮らしたいです」


 右手で髪を撫でるような仕草をしながらサティスは薄暗い空間の天井を見上げる。

 視界の悪い中でも映える彼女の髪の色と肌の綺麗さ、そしてその物憂げな表情にジェイクは心を動かされた。

 この人はどんなに離れていても大事な人のことを思えるのだ、と。

 ジェイクにとって、こんな思いを抱く大人というものを見たことがなかった。

 

 同時にセトのことも考える。

 彼はこれまでどんな人生を歩んでここまで来たのだろうか、と。

 

 魔剣を持つほどの力を持ち、どんな敵も一刀両断。

 なお且つ性格も優しく、ジェイクのような見ず知らずの者にも"友達になろう"と声をかける。


 自分とは大違いだとジェイクは自嘲した。

 セトと比べてることにより、心がこの薄暗闇に溶け込むように沈んでいく。


(あぁ、いけないな。他人と比べるなんて……いや、これまでもずっと比べてきたんじゃないか。自分がとっても惨めだって。ん、でも待てよ? じゃあセトはどうして……?)


 ジェイクはセトのことで疑問に思った。 

 

「あの、すみません。セトのことでちょっと聞きたいんですが」


「はい、なにか?」


「セトって、アナタと一緒に、その……穏やかな生活がしたいって。そう思ってるんですよね?」


「えぇ、私もセトも、お互いにそう思っています」


 サティスは続けて、これまでのセトとの暮らしをかいつまんで説明した。

 公衆浴場テルマエのことや、村でしばらく暮らしたこと、そして海へ行ったことも。

 それらを聞いて、ジェイクは少し考えてずっと気になっていた疑問をぶつける。


「あの、僕はセトのことを、噂で聞いた程度と昨日今日との関わりの中でしか知らないので、かなり素っ頓狂な質問になるかもっていうか……ちょっとした好奇心からなんですが」


「はい、なんでしょう?」


「セトは、その……どうして穏やかな生活を望んでいるんです? 話を聞いているとなんだか、こう、彼は内心で戦いは極力避けたいようなイメージがあって。セトの強さを活かせば、お金も名声も手に入れられて、もっといい生活ができると思うんです。それだけじゃない」


 ジェイクはゆっくり立ち上がり、少し暗い面持ちで石板に座るサティスに向き合う。


「伝説の少年兵として語られるくらいの強さを皆に……大人たちに見せつけたら、きっと皆セトに惹かれたり、憧れたり、褒めてくれたりすると思うんです。次第に周りに人が集まって、セトを『真の英雄』って認めるとか、そういう輝かしい人生が歩めるんじゃないかって。うぅん、セトはそういう人生を歩むべきなんじゃないかって」


「ジェイク君……」


「いくら大人たちのために頑張ったって、邪険にされたり、うざがられたり……挙句には大人の兵士から無能扱いされて捨てられる。それが少年兵です。たとえ上官の大人がどれだけ恩知らずの恥知らずのロクデナシだろうと、僕たちは逆らうことはできない。逆らえば処罰だ。……そんな中でもブレることなく生き抜いてきたセトは、僕たちの憧れなんですよ。だから、セトはもっといい生活を望んでいい。もっと皆にチヤホヤされていいっていうか。セトにはその資格が間違いなくあるんですよ」


「……」


「……なのにどうしてセトはそうしないんだろうって。どうして、わざわざ勝てないほど強い奴と戦って、そして勝つためにこんな命懸けの試練を受けてまで穏やかな生活に固執するのかなって。嫌な考えかもしれないけど、試練を無事クリアできても、勝てないかもしれないのに」


 穏やかな生活を望んでいながら、なぜリスクの高いものを選ぶのか。

 それよりも自分の実力に見合ったことを多くやっていけば、それだけ成果を得られる。

 今セトがやろうとしていることは、ジェイクから見れば自殺行為にほかならない。

 果たして穏やかな生活とは、そんな危険を冒してまで手に入れたいものなのだろうか。


「いや、逃げずに戦うにしてもだ。凶霊だかなんだか知らないけど、こんな命を懸けなければならない試練を受けるより、もっと手っ取り早く凄い力を得られる方法を探したほうがいいに決まってる。そのほうが安全だ。力も得られて、戦いにも勝てて、そして皆に讃えられれば、セトの人生は今よりずっと輝くものになるんだ。だから……その……えっと、なんていうか」


 ジェイクは自分の思いを吐露していく。

 疑問の念と一種の諦観が合わさり、複雑な感情として心に絡みついていた。

 それゆえか、サティスへの質問も徐々にしどろもどろなものになっていく。


 サティスはただ黙って聞いていた。

 ジェイクの言いたいことをサティスなりに解釈し、考えをまとめていたのだ。

 そして台座から静かに降りると、オロオロしているジェイクを不安にさせないように優し気な表情と声調で語り始める。


「ん~、これは私の主観的なイメージなので、実際のセトとは乖離しているかもしれません。それでもいいですか?」


「えぇ、是非聞きたいです。教えてください」


「まず、セトは『最強』とか『無敵』とかにはかなり無頓着です」


「え?」


「アナタの言った通り、セトの戦闘能力や今後の成長度を見れば、そういった存在になれるかもしれません。加えて私が補佐をすれば、セトを中心とした武装集団を築き上げることも。そうすれば、富や名声が手に入って、アナタの言う輝かしい人生が歩めるのかも」


「だったら……ッ!」


「でも、セトはそれを望まなかった。彼が欲したのは、理不尽な世の中で成り上がることでもなく、復讐することでもない。……誰かと、私と一緒にいることだったんです。一緒に旅をしないかって、セトは純粋な顔でそう言ってくれました」


 サティスは口をつぐむと、かつての森でセトと出会ったときのことを思い出す。

 地位も名声も、果てはプライドさえも砕け散った存在へと堕ちたサティスにセトは手を差し伸べた。

 敵同士であったにもかかわらず、セトはサティスを責めるでもなく、励ますでもなく、ただありのままを受け入れてくれたのだ。


 一呼吸置いてから、再びサティスは口を開いてジェイクに自分の思いを吐露していった。

 

「セトが力を求めるのは一貫して、誰かと一緒にいる"未来"のためなんです。たとえ本当に最強の力を得たとしても、彼にとってはさほど価値のないものになるでしょうね。多分そんな力ですら、すべてが終わったあとにあっさり捨てちゃうんじゃないかなって」


「周りに認めてもらうとかそういうんじゃなく、自分たちの未来のために?」


「そう。……これはかつての私にも言えることですが、目先の利益や結果だけに囚われていると、ヒトは他人に認めてもらいたい、褒めてもらいたいっていう考えの中でしか生きられなくなります。そんな中で欲しい物を得られたとしても、きっともう自由ではなくなっているでしょう。優劣や損得勘定という考えの中でしか生きられなくなることほど、恐ろしいことはありません。……セトは、どういうわけかそういう考えとは無縁のように思えるんです」


 それはきっと栄光とはあまりにも程遠い生き方だろう。

 そもそもセトは富や名声、権力、称賛といった、人生を彩る栄光に対する執着がないのではないかとさえ思えてならない。

 まるで出店に並んでいる誰もが欲する煌びやかな飾りを、群がる人々の中でひとりぼんやりと見ているかのような。


 セトの意志は常に別の方向を向いていた。

 困難に真っ向から立ち向かい、そして必ずやり遂げる。

 そのために最善を尽くすのだと。


 もしかしたら、これはサティスがセトを美化しているだけかもしれない。

 しかし、主観的なイメージという曖昧な意見であるとサティスは言ったものの、そこには確かな信頼があった。


 サティスはセトを信じ、セトもまたサティスを信じている。

 ジェイクにとっては眩しいくらい美しい絆だった。


「羨ましいな……僕とは大違いだ。才能とかそんなんじゃない。もっと根本的なところから違ってる」

 

 ジェイクはやや俯き加減にニヒルな笑みを零すと、また同じところに座り込む。


「ジェイク君……」


「大丈夫ですよ。セトならきっと帰ってきます。元気な姿でね。……だから迎えてあげたいんです。彼の友達として」


「えぇ、お願いしますね」


 待っている間、サティスはもう少しだけセトとの旅の話をした。

 セトと同じ元少年兵のジェイクの表情が徐々に明るくなっていくのを見ながら、思い出を振り返る。



 だが、恐怖の前触れはすでに訪れていた。

 "ある集団"が今まさにこの石窟寺院に向かおうと準備を始めていたのだ。

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