第72話 vs.凶霊・降り注ぐ恐怖 後編

「あぁ恐怖こわい。幸せを感じているときに降り注ぐ雨。それは身体を打ち付け、肌を伝い、心の熱を奪っていく。恐怖、恐怖よ。どんなに幸せに包まれても、誰も恐怖からは逃れられない」


 広場で凶霊が呟く最中、セトは家の中にあった物品を使い、策の準備をしていた。

 

「これと、これ……。結構色々あるな。なんとかできそうだ」


 セトは緊張を和らげるよう深く息を吸ってから、ゆっくり吐いて頭の中をスッキリとさせる。

 ここからは迅速な行動が必要だ。


 まさに戦そのもの。

 かつて兵士だった自分自身が、自分で策を立てて自分で動くなど、考えてもみなかった。


 軍師の才など持ちえぬため、きっと粗だらけであろうが、それでも行動に移し勝利を掴まなければならない。

 それほどまでに飢えていなければ、きっとあの凶霊には勝てないだろうと、セトは先の戦闘で実感していた。

 そして、────セトの反撃が始まる。



 一方、一向に姿を見せないセトに凶霊は半ば苛立ちを覚えていた。

 だが突然の爆発音と業火に肩を震わせる。


「なに? なにが起こっているの?」


 家々が燃えている。

 恐怖を感じた凶霊に反応するように、自動的に炎の中へとナイフの群れが降り注いだ。


「あの子もしかして街に火を? ……なんて凶暴で悪い子なんでしょう。私をこんなにも恐怖こわがらせるなんてッ!」


 凶霊は燃え盛る蛮行を前に恐れ戦く。

 広がる火の手の中にセトはいないか必死で目で探り、炎を降り注ぐナイフで瓦礫や材木ごとかき混ぜた。


 だが手応えはなく、時間とともに街は無情な赤に染まっていく。

 風が広場まで炎を運び始める中、凶霊はその勢いにたじろき、一歩また一歩と後退していった。

 気づけば広場の片隅にある大木に背中を預けてる状態になる。


 そしてセトは、その大木の上に潜んでいた。


(随分派手にやっちまったなぁ。……さぁこっからが正念場だ。素早くしないと)」


 風を読み、街を焼いて炎に注意を引きつけつつ大木へと誘導する。

 そして自らはその大木の上に待機し、次の作戦に移るのだ。


 正直ここまでトントン拍子に作戦が上手くいくとは思わなかった。

 セトに軍師の才などなく、ましてや作戦を一々立てて計画的に動くなど、そんな高等戦術は今までやったことがないに等しい。


 常に言われたとおりに動くセトにとっては、初めての知略とも言える。

 だからこそ、ここまで上手くいくという状況がこの上なく恐ろしかった。


 なにかの悪い前兆かもしれないと。


 だが、セトはその恐怖を内なる気迫を以て振り払う。

 右手の魔剣を握りしめ、左手のナイフを口に咥えて、次の策に入った。

 

 ────兵は拙速を貴ぶ。

 セトの覚悟が、恐怖を上回った。


 一方その下では凶霊は炎を睨みつけるように、周囲に警戒の気を張っている。

 セトがいつ現れてもいいように、ナイフを飛ばすその用意はできていた。

 だが、思いがけない出来事が凶霊を襲う。


 突如、凶霊の背後の大木、その上部分が炎をまとって落下したきたのだ。

 セトが火をつけ、燃え盛る前に魔剣でバラバラに斬り裂いたそれらは、容赦なく凶霊の頭上へと迫る。


「ひッ! いやぁあッ!!」


 凶霊の抱く恐怖が、その炎の落木たちを回避させる。

 舞踏のように距離を取ったあと、後方や左右を確認するがセトの姿はない。

 それがより一層恐怖をあおった。


(なに、なんなの? 一体あの子はどこに?)


 そう思ったとき、「カランッ」と向かって右の方向から音がした。

 振り向くとナイフが落ちていて、石畳の上に転がっている。

 セトが使っていたナイフだが、肝心のセトがいない。


 凶霊は一瞬呆気に取られた。

 その隙をセトは捉えた。


 それはまさしく、夜の森にて狩りを行う梟が如し。

 音も気配もなく、上空から凶霊の背中目掛けて魔剣を振り下ろす。


 呆気に取られ、ほんの一瞬恐怖を薄れさせられた凶霊はセトの攻撃に気付くことなく、背中を縦一文字に斬り裂かれた。


「がッ……え?」


「────……」


 恐怖を感じるほどに回避の精度が増す。

 だが、ほんの一瞬でも恐怖を薄れさせることができれば?


 街や大木に火をつけたのはブラフだ。

 最大限にまで恐れさせ、妙な光景を見せ意識を逸らせる。


 正直な話、賭けに近い作戦だった。

 だからこそトントン拍子に上手くいくのが逆に恐ろしかったのだ。

 下手をすれば途中で見抜かれて反撃を喰らう。


 上手くいったのは、ひとえにこの凶霊が戦闘慣れしていない一般人の魂だったからだとセトは思う。

 凶霊になってから力を貰っただけで、恐らく戦闘そのものには縁のない人間だったに違いない、と。


 ────ザクッッッ!!


 凶霊が背中から血を噴出しながらも、左手でハラリと落ちそうな、胸部を覆う布を抑え、右手からナイフを幾本出現させて斬りかかってきた。

 セトは慣れた動きで素早く凶霊の喉に切っ先を突き刺す。


 両手持ちで真っ直ぐに肘を伸ばした強力な刺突に、凶霊は成す術もなく膝をついた。


「……────あぁ、負けたのね。私」


 セトが魔剣を引き抜くと、凶霊は諦めたように項垂れる。

 そこに恐怖はなく、むしろ安堵に近い雰囲気を感じた。


 燃え盛る街に囲まれた広場にふたり。

 それは市街戦の一場面か、それとも処刑場の一場面か。


 ユラユラと焔がふたりの姿を明るく照らし、同時に影を不気味なほどに濃く描いていた。

 セトは今回も凶霊に勝利したが、その勝利への余韻はまるでない。


 命懸けの戦いを終えても、殺戮に酔える感性はなく、己の強さを誇る余裕もセトは欠片も持ち合わせていないのだ。 

 ただひとつの現実リアルとして、正確無比な剣の軌道は容赦なく凶霊の命を刈り取った、それだけである。


 そこに懺悔の念はなく、せめてもの供養の意思もない。

 戦いのあとにあるのは常に『空虚』だ。


 広場に血の華が咲く。

 凶霊はそれ以上なにも言わず、上体を後方へ反らせるような倒れ方をした。


 柔らかな肉体はアーチを描き胸を反らせ、脱力した両腕は天に向かって大きく開く。

 血に濡れた扇情的な死に様だった。


 輝きのない瞳を薄く開いた瞼から覗かせ、涙を流しているのが見える。

 女性の死、セトにとってはそれは戦場で見慣れた光景のひとつであったが、やはり見ていて気持ちのいいものでもない。


 凶霊の身体が黒い粒子となって消えていくのを見送り、セトは気を取り直すように血振りをして、ナイフを拾い上げるとまた別の凶霊のもとへ向かった。

 

 乾きゆく哀傷に降り注ぐ恐怖。

 恐らくは死に対する特別な感情であろうか。


 それらの名を冠する凶霊と言われる存在たちの生前の経歴が少しばかり気になったが、セトはすぐにその気持ちを捨てる。


(この試練で俺にできることはただ斬るだけだ。自分が生きるために。サティスと一緒にいるために)


 炎が風であおられ、歩くセトに熱風を飛ばす。

 だがその熱すらも、セトにはどこかニヒルに感じた。


 そんな中で唐突に寂しさを感じる。

 サティスと離れてまだちょっとしか経っていないはずなのに、まるで何十年も会っていないかのような錯覚がセトの心を包む。


「恐怖か……俺にとっての恐怖は……そうだな。大事な人を守れなくなることかな。なら、強くならないとな」


 そう呟き、セトは燃え盛る音と崩れ行く建物の音をバックに、前へと進んでいった。

 

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