第71話 vs.凶霊・降り注ぐ恐怖 前編

 次にセトが降り立ったのは、寂れた街と崩れた聖堂がある広場だった。

 広場の中央には、焚刑台がこの冷えた空気の中で佇んでおり、それを見守っているかのように大きな木が広場の片隅に生えている。


 今にも雨が降りそうなこの空間で、セトは魔剣を手に凶霊が現れるのを待った。

 遠くで雷の音が聞こえる。

 それはまるでこの街に眠る怨念が目を覚まし、唸りを上げるような。


 だがそれはだんだんと悲鳴に聞こえてきた。

 なにかが燃え盛っているような音に、男と女、子供の声が入り混じり、喧騒となって耳介に響いてくる。

 セトは思わず顔をしかめた。


 本来ならありえないほどの速度で雷雲がセトの上空まで覆い、稲光を走らせる。

 風もきつくなり、聞こえてくる悲鳴もさらに大きくなった。

 そして、一発の落雷が焚刑台に。


 真っ赤に燃え盛る焚刑台から黒煙が立ち昇る。

 同時にあれほど荒れ狂っていた風や音がピタリとやんだ。


恐怖こわい、恐怖こわいの……。恐怖が私を、こんなにまで狂わせ……燃え上がらせる!」


 炎の中から若い女の声が聞こえる。

 恐らく凶霊だろうと、セトは魔剣を右手に、ナイフを逆手で左で持ち、ジリジリと焚刑台に近づいていった。

 どんな攻撃がくるかわからない。

 そして、思わず深い憐れみを抱いてしまうかのような声調で語りかけてくるこの声に惑わされぬよう気を張る。


「私はなにも悪いことはしてないのに……誰もわかってくれないの。皆、私を求めるのよ? 私が恐怖と絶望で押しつぶされる姿を」


 煙と炎の中でなにかが動いた。

 そしてそれは大きく翼を広げる不死鳥のように、高く舞い上がり、焚刑台の前に優雅に着地する。


 左右非対称の黒い髪型の美女だ。

 オレンジ色の踊り子風の衣装からは、人外的なプロポーションを見せつけ、そのなだらかな曲線美は見る者を魅了する。

 豊かな胸は布地をはち切らんばかりに押し上げ、スリットの入ったスカートから艶やかな美脚を晒しだしていた。


 しかしその表情はどこか物憂げなもので、自らの命の儚さを真っ赤な瞳ににじませている。

 そのせいか、その衣装も数々の運命に翻弄された結果、無理矢理にでも着せられたかのような雰囲気に思えた。

 それらのギャップが、逆に見る者の獣欲を駆り立てる。


 セトも危うく欲望にのまれかけたが、呼吸を整えながら魔剣とナイフを構えた。

 

「私の名は『降り注ぐ恐怖』。……逃れられない恐怖の中で、私はいつまで踊らなければ……────」 


 踊るように身体を反らし、豊かな胸をより強調する如く、布地を限界まで押し上げる。

 真っ赤な瞳でセトに悲し気な微笑みを投げかけ、舌を少し出す仕草をするこの凶霊。

 その悲しい妖艶さの裏側には、抑えきれないほどの感情が彼女を支配していた。


 ────恐怖だ。


 セトは凶霊の意思を感じ取ると、目を細めながら黙って見据える。

 正直女性を斬るのは忍びないと感じており、どことなくサティスに似た雰囲気を持っている眼前の敵に若干の戸惑いはあった。

 だが、ここは切り替える。

 乾きゆく哀傷との戦いでやったように、自らの中でスイッチを入れた。


「あぁ、恐怖こわい……。アナタのその目が、アナタのその剣が、私の心を震え上がらせる。どうして? どうしてアナタも私を恐怖こわがらせるの? ねぇどうして?」


「理由はわからないけど、アンタが凶霊である以上、俺はこの先へ行かなきゃいけない。……待ってる人がいるんだ」


「そんなの理由にならない。ねぇどうして? どうして? どうして皆私を求めるの? 私の身体を、私の心を恐怖で蝕むの?」


 凶霊が嘆きに近い声と吐息を漏らす。

 脱力したようなポーズ、そしてその白く透き通るような肌は、恐怖の熱で湿潤し、今にもとろけて地面に消えてしまいそうだ。

 赤い瞳を、惚れた男の目の前にいるかのようにうっとりと変形させるも、まるで絶望しきったかのように光を失わせ濁らせていた。


 まさか試練の場で無抵抗に等しい存在を相手にするとは思ってもみなかった。

 だがセトの眼光に油断の色はない。

 こういった敵が侮れないのだ。

 あのような態度をとっているのには必ず意味がある。


 乾きゆく哀傷とはまた違う雰囲気を持ったこの凶霊に対し、セトは自らの中にある『容赦』の二文字を切り捨て、真っ向から斬りかかった。


 セトが独自に作り上げた戦場双剣術。

 右の魔剣で相手との間合いを保ちつつ薙ぎ払いや牽制を繰り出し、それでも近づいてきたところを見計らい瞬時に懐に潜り込み、左のナイフで急所を抉ったり、左のナイフで相手の攻撃を防御し、巻き付くように絡めとった後、右の魔剣で胴や脛を刈り取るなど多岐にわたる。

 時には旋風が如し剣捌きと足運びによる連環斬撃で周囲の敵を一掃するのだ。

 あらゆる状況で数多の剣技を使い分け、戦場にて己の生存率を高める。


 中でも、左逆手に持ったナイフを上段に構え蟷螂のように見せ、左脇を通すように横薙ぎの構えで魔剣を後方へと持っていく構えからの斬撃は、セトがよく使っていた技だ。

 相手が斬りかかってきたところを、大きく肘を伸ばして強く振るう。

 下方からすくい上げるような斬撃にて、相手の手や腹を薙ぎ斬るそれは、かつて戦場で戦った剣士たちにとっては脅威そのものだった。

 双剣術によって間合いがセトの方が広くとれるからだ。


 そして今回もその構えによる斬撃を凶霊に浴びせようとした。

 乾きゆく哀傷との戦いで凶霊との戦いは一筋縄ではいかぬと学んだ。

 

 セトの気迫に凶霊は脱力したまま薄く笑う。

 このまま一気に魔剣で斬り払うべく右手を前へと出そうとした直後。


(なにッ!?)


 どこからともなくナイフが飛んできた。

 それはまるでオシリスの魔剣の斬光のように鋭くも速い流星だ。

 セトは狙いを変更し、飛んできたナイフを魔剣で弾く。

 飛んできた方向には誰もいない。

 謎を解きたかったがゆっくりしている暇もなく、四方八方からナイフがセトへと飛来する。


「この……ッ! これがアンタの能力か!?」


 すべてを弾き飛ばしながら凶霊のほうをみるが、すでに距離をあけられていた。  

 無数のナイフ攻撃は豪雨のようにセトへと降り注ぐ。

 巧みな剣捌きでいなしていくセトは、この攻撃の正体を理解するに至った。


(空間から召喚して撃ちだしているのか。道理で地面からもナイフが飛んでくるワケだッ!)


 セトは駆け抜けるタイミングを見計らう。

 飛んでくるナイフの速度は皆等しく同じ。

 無造作に飛んでいるため間隔にはばらつきがある。


 ほんの一瞬ともいえる時間。

 僅かだが目の前に活路を見出せた。

 セトは魔剣解放で一気にナイフの攻撃を潜り抜け、凶霊へと迫る。  


「あぁ、恐怖こわい。恐怖こわい……恐怖こわい……ッ」


 眼前に現れたセトが魔剣で薙ぎ払おうとした直後、赤い瞳をカッと見開いた凶霊の動きが突如機敏になった。

 迫る切っ先を舞うように躱すや、手品のように両の掌からナイフを出現させて、投擲する。

 セトはナイフを躱し、弾きながらも凶霊に魔剣を振るい続けた。


(なんだコイツの動きは。まるで全部振り付け通りにみたいに踊りながら回避しやがる)


 鋭い刺突も、強靭なバネからなる袈裟懸けも、情熱的かつ蠱惑的な身のこなしで凶霊は躱していく。

 恐怖だ、セトへの恐怖が凶霊の回避ダンスの質を上げていた。

 セトを怖いと思えば思うほどに、凶霊にはセトの剣の軌道が具に感じ取れるのだ。


「見えるわ。恐怖が……ッ!」


「このッ!」


 こちらの攻撃が当たらないのと合わせて、飛来してくるナイフによってまたしてもセトは足止めを喰らった。


 これだから遠距離を戦法とする相手は骨が折れる。

 セトは堪らず広場から離れて家々が立ち並ぶ方面へと急速で駆けて行った。


「あぁ、逃げたのかしら。でも無駄よ。この空間からは逃れられない。────恐怖は降り注ぐ。アナタが私に与えた恐怖は、すべてアナタに返ってくるの」


 凶霊にとって恐怖の根源たるセトが目の前から消えたことにより、ナイフが黒い粒子となり霧散する。

 だが、すぐにでもこのナイフたちはセトの命を射抜くだろう。

 恐怖セトが存在し続ける限り、凶霊は際限なく力を振るうのだ。

 乾きゆく哀傷よりも厄介と言える。


 そんな中、セトは


(あのナイフの群れは厄介だな。まるで女王蜂を守ってる蜂みたいだ。……だが、あの凶霊の習性を活かせばあるいは……)


 セトは今、戦場にいた。

 記憶の中にあるあの数多の地獄。

 恐怖以上に心を蝕む怪物が潜むあの血生臭い歴史の一端を。


 生兵法は大怪我の基と言えど、この窮地を乗り切るには思いっきりの良さがときに味方になる。

 セトは反撃に出た。

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