第62話 試練、禁断の聖地と眠れる洞穴の美女

 村の背後にある山脈、その麓のとある場所。

 そこは村ができる前から聖地であるとされており、人間は勿論、獣すらも近寄らないところとなっていた。


 遥か昔、あるイェーラー族の者たちはここに存在する"雪のウェンディゴ"の脅威に脅かされていた。

 彼らはかの魂を鎮めるため、あらゆる手段をこうじるも、上手くはいかなかった。


 そこで、この一族の巫女たちの中のひとりが立ち上がり、みずからが人柱になると言ったという。

 彼女は雪のウェンディゴの住処である聖地へと赴き、その白銀の世界の中へと消えていった。


 その後、彼女がどうなったかを知る者はいない。

 彼女はウェンディゴの住処へ行く前日に、神託にも近い言葉を残していった。


 それは『雪のウェンディゴを祀るための祭壇を聖地内にある洞穴に作れ』とのこと。

 その場所や行き方、途中でウェンディゴに襲われぬよう安全に辿り着くための道具と手順をこと細かに。

 自分が戻らぬことを承知の上で、彼女は未来を一族の者に託したのだ。

 

 それに従い、ウェンディゴから身を守る手段としてウェンディゴ除けのお守りと特別なトーテムポールを作り、それを打ち立てながら洞穴に向かって行き、祭壇を築き上げた。


 彼女の言葉通り、最後に祭壇に空っぽの"石櫃せきひつ"を置いて……。

 これがなにを意味するのか、それは謎のまま。



 そして現代。

 

 ヒュドラは試練のため、装備を整えて吹きすさぶ吹雪の中を歩いていた。

 この山脈は夏場であっても常に雪を携え、すさまじい猛威を振るっている。

 実はこの聖地の奥には、ある秘宝が眠っているという噂があるのだ。

 

 いつの時代か、それを求めて多くの冒険者や調査隊が訪れたらしいのだが、誰ひとり戻ってはこなかったという。

 以降この地に踏み入る者はいなくなり、後のベンジャミン村にて語り継がれるひとつの伝説となったのだ。


 ヒュドラは自分を乗り越えるために、この"伝説"に挑む。


 「うう、なんて吹雪だ……ここだけ別世界みたいだぞ」


 防寒対策は村でしてきているとはいえ、雪風の強さと鋭さに行く手を阻まれそうになった。

 それでも村で鍛えた体力と精神力をもとに、道に迷わぬよう聖地へと一歩また一歩と進んでいく。

 聖地のスタート地点の目印はトーテムポールで、それが聖地の奥まで一定の間隔で立っているとか。


 そしてようやく最初のトーテムポールを発見し、次のトーテムポールを白い世界の中で発見する。

 吹雪で見にくかったが、そのまた次のトーテムポールも発見。

 あとはこれらを順に辿っていくだけらしい。

 ただ絶対条件として、絶対にトーテムポールから外れたルートを行ってはならないということ。


(目印があるのはいいな。だが、それでも誰ひとりとして戻ってこなかったということは……)


 ヒュドラはあることを思い浮かべる。

 それは魔物以上に恐ろしい存在"ウェンディゴ"だ。

 

 この聖地にはウェンディゴが住んでいる。

 人間はおろか、魔物でも歯が立たない存在である以上、ヒュドラはこれ以上ない恐怖を抱え込むこととなった。

 この環境を含むすべてが、ヒュドラにとっての敵だ。

 

「……行くか。私は乗り越えなければならない。乗り越えて……強くなって……もう一度会いに行くんだ」


 恐る恐る聖地に足を踏み入れる。

 ザクリと雪の潰れる音がかすかに耳に聞こえた。

 視線だけで周囲を確認するが、特に異常はない。

 トーテムポールを伝っていけば安全だ。


 ほんの少しだけ胸を撫で下ろし、トーテムポールを伝って聖地の奥へと足を進めていった。

 聖地の光景は、ここまでの景色とはさほど変わり映えはしない。

 一面の銀世界に、枯木や雪がこびりついた岩が多少見える程度であり、トーテムポール以外の色彩は大体それくらいなものだった。


「ここまでは、うぷ……順調だが、逆に不気味だ。なんだろう……さっきまでなにも感じなかったのに」


 

 殺意や敵意といったものではない。

 この吹雪の中で、ただこちらのことをじっと見つめているような。


 そんなことがよぎるや、思わず発狂しそうになる。

 なにせここに人間はヒュドラひとりしかいないのだから。


 他に誰もいないはずなのに、明らかにこちらを見ているであろう明確な気配。

 後ろを振り返ったり周囲を見渡そうとするのが怖くなる。 


「す、進もう。トーテムポールを伝えば大丈夫だ。な、なにも問題はない」


 胸の中から込み上げてきそうな感情の波を抑え込みながら、雪を踏みしめていく。

 雪をまとう風が、首筋を冷たく舐め回すように通り抜けていくと、前方の白い景色の中にぽっかりと開いた黒が見えた。

 

 洞穴だ。

 その方向にトーテムポールは続いており、あそこが目的の場所となる。

 あの中に秘宝が隠されているに違いないと、ヒュドラは気合を入れ直し、勇み足で前へと進んだ。

 

 洞穴の中は銀世界とは隔離された薄暗い岩の空間。

 白から黒と土色の空間に入ると、あの冷たい風も雪も彼女から離れていく。


「……どうやら一本道らしいな。トラップが待ちかまえているものかと思ったが」


 ヒュドラは覚悟を決めて奥に進んでいくと、いくつものトーテムポールが並べられた祭壇に辿り着く。


 祭壇には石櫃(せきひつ)あり、横の面にはうっすらと輝く魔力で浮き出た文字が描かれていた。

 これはイェーラー族の文字であり、ゲンダーにイェーラー族の言葉を少し教わったことがあるので、少しばかりだが読むことができた。


「『我』……『永遠』、『ウェンディゴ』……『僕(しもべ)にして』、『番(つがい)』……『大いなる』、『契約』……。要所要所ではあるがわかる。だが、この言葉はなにを意味しているんだ……?」


 石櫃には蓋となるものがない。

 中には民族衣装をまとった女性の遺体が納められている。


 しかし、死体というにはあまりにも美しい。

 つい先ほど眠りについたかのような肌の艶と滑らかさが、彼女には宿っている。

 黒く長い髪は、まるでベットのシーツのように、彼女の肉体の下に広がっていた。


 まさに眠れる洞穴の美女。

 そして腕には大事そうに抱かれている一振りの剣が。


「この女性は? はて、禁断の試練は確か聖地の奥にある秘宝を手に入れろとのことだが……これは」


 ヒュドラは次に剣に目を向けた。

 黄金色の造りの鞘と鍔には製造された当時の輝きが宿っている。

 腕に抱かれるようにして棺の中に横たわる剣を、ヒュドラは慎重に手に取り、引き抜いてその刀身を外気に触れさせた。


「なんて綺麗な……。両刃で、細身でありながら極めて頑丈。あ、銘が彫ってあるな。……イェーラー族の文字だ。『天翔ける豹の涙ティカムセ』? これはティカムセの剣、というのか? ……これが、多くの者たちが求めた秘宝か」


 演武をするようにその剣を振ってみせる。

 これまで扱ってきた剣とは風の鳴りが違った。

 なにより、ずっと手に馴染む。


「……これがさらなる力と叡智を与えてくれるというのか? 今のところなにも感じないが」


 そう疑問を抱きながらも剣を鞘に納めた直後だった。

 洞穴の壁が一気に揺れる。

 強い力で圧縮されたような響き方だった。


「……どうやら、そういうことではないらしい。そりゃそうだろうな! 剣を手に入れるまでが、試練というにはあまりに容易すぎるッ! この剣を手にしたときからが、試練の本番なんだッ!」


 剣が薄く光り反応している。

 これから降りかかる災厄を、ヒュドラを知らせているようだった。 

 ここまでの道中もまた過酷であったが、ここからはさらに過酷になるだろう。


「この剣を手に取って……どうする? どうすれ……────ば」


 ふと視界に死体が映り、硬直する。

 閉じていた目を開き、じっとヒュドラの方を見ていた。


 目と目があう。

 それはきっと生前の穏やかな眼差しではなく、もっと別のなにかなのだろう。

 猛禽が如き眼光をヒュドラに向けるそれは、言うなれば物のそれに近い。


 視線を向けたまま、死体だった彼女はゆっくりと上体を起こす。

 瞬きひとつしない彼女は身体を這わせながら、石櫃からずり落ちるように出てきた。

 

 そして四つん這いで雌豹のように鋭く、なおかつゆっくりとヒュドラに近づく。

 凍り付いたような表情には人間らしい色はない。

 一歩また一歩と後退りしながら、ヒュドラは彼女から距離を離していった。


 しかし、まだこれは禁断の試練においては序の口とも言えるものだった。

 この石櫃に納められていた女性こそ、まさしくかつての巫女。

 

 そして、巫女の目覚めとともにかの存在も動き出す。

 ────雪のウェンディゴ。

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