第61話 禁断の試練へ……
ベンジャミン村での生活に慣れた頃、ヒュドラは多くの賢人達と触れあい、学び、鍛錬を続けていた。
ヒュドラはもう一度旅へ出ることを決心したのだ。
勇者達とは合流せず、自分自身の意志で魔王討伐への道を歩んでみようと、これまで以上の力をつけていった。
しかし、彼女が今最もしたいことはセトへの謝罪だ。
力を身に着けるまでにだいぶ時間が経ってしまったが、まず彼に謝らないことには、一歩前進とは言えない。
これまでの遅れを取り戻したいと、彼女は村を出ることを決意する。
今日は朝早くから起きて、いつも通り鍛錬を行った後、ある人物の下へと訪れた。
多くの賢人の中でもより多くのことを教えてくれたその人、祈祷師ゲンダーである。
「おはようございます。ゲンダー殿」
「ほう、早いな。まぁ座りなさい。お茶でも淹れよう」
ゲンダーは熱湯で紅茶を作っていく。
そのほんの待ち時間に、彼は早速話をしてくれた。
「決意に満ちた顔だ。夜明けと共に勢いよく飛び立つ鳥のような。……行くのかね。危険だな」
「ゲンダー殿、私は自らの弱さに気付きました。それを克服するには、自分の足で歩き、目で見て、耳で聞き、肌で触れ、自ら感じる他ないのです。考えるのではなく、ありのままを感じとる。この村では多くの賢人そして達人の方々と出会い、自分の視野を昔以上に広げられたと思っています。だから……ッ!」
「さよう。君はこれまで以上に強くなった。今やその武は比類なきモノと化しているだろう。……ゆえに危険なのだ。手にした力に比例して、君の中に大いなる焦りが露わになっている。結果を急ごうとしているのだ」
「……今の私のことが、わかるのですか?」
「わかるとも。その腕があれば魔物は倒せるだろう。もしかしたら魔王すらも……しかし、本当に君はそれでいいのかね? まず君は自分自身をもう一度見つめるべきだ」
ゲンダーに諭され、ヒュドラは悲し気に俯く。
まだまだ未熟であると痛感する中、紅茶の良い香りが立ち上ってきた。
彼は紅茶をカップに注ぎ、彼女の前にあるテーブルに置く。
「まぁ飲みなさい。我が紅茶で魂まで癒されよう」
「……いただきます」
紅茶の水面に息を吹きかけ、ゆっくりと啜る。
喉を通って染み渡る風味に、思わず息が漏れて、身体の力が抜けていく感じがした。
「紅茶の一杯で揺らいでしまう程度の私の決意……。強くなったつもりでいても、根本的には変わらないようですね私は」
「気に病むな。誰とてそうだ。強い意志を持ったつもりが、ほんのちょっとしたことで揺らいでしまう。ダイエットなどがいい例だろう? 現実と理想には必ずズレがあるものだ」
「……だからこそ、かつての私の正義には大きなブレがあったのですね。現実と理想の区別もつかない小娘の正義なんて……紅茶一杯分の重みもない」
かつての自分が蝋燭の火で陽炎のように揺らいだ気がしたヒュドラ。
まだまだ修行が足りないと思ったとき、ゲンダーは優しげな顔のまま彼女と向かい合うように座る。
ヒュドラを観察してわかったことだが、彼女は中々に思い込みの強いタイプらしい。
ポジティブにおいてもネガティブにおいても、そのブレが凄まじいタイプだ。
「ふぅむ、君は正義というものを信じすぎる。それでは呪いとなんら変わりはしない」
「え、でも……」
「いいかね。正義とは実に気まぐれで尻軽だ。思いやりや慈しみから生まれることもあれば、憎しみや嫉妬からも当然の如く生まれるものだ。中にはどちらの人数が多いかで決まることもある。それゆえに、誰もが絶対の正義を求め続ける。この世における不変の、永遠を約束し、自分達を守ってくれる正義を。……だが、残念だがそんなものは存在しない。否、そもそも、
「ゲ、ゲンダー殿。それは流石に暴論では? それに私は……えっと、その……」
狼狽えるヒュドラにゲンダーは笑い声を上げながらも続ける。
「そうかもしれないな。だが、君は山の正義を見たことがあるかね? 海の正義は? 海の恵みは間違いなく人間にとって善であろうが、荒ぶる海はたちまち人々を飲み込んでいく。これは正義かね? ……無いのさ。風にも、水にも、火にも、土にも、彼等自然には正義というモノは存在しない」
────自然において、正義はこの世で最も非自然的なものである。
彼はそういったことを最後に呟き、紅茶をすすった。
その話を聞き、ヒュドラの心に涼風が通ったような感覚が宿る。
正義に絶対的なものを信じ、現実との差に苦しんでいた彼女には大いなる知識だった。
「正義を無闇に追い求めてはいけない。それは自分を非自然的な存在にしてしまう。そんなものに耐えられる魂はないのだ。では、魂とはなにか? それは"自然と共にあり続ける為の本能"の敬称だ。……忘れてはいけない。君の魂は常にこの天と地と共にあるのだ。己を見失わず進み続ければ、天地もまた君に応えてくれるだろう」
そう言ってゲンダーは微笑む。
彼の話はどこか哲学的で、それでいて生への慈愛に満ちていた。
ヒュドラは鼻から空気を取り込み、ゆっくりと口から息を吐く。
ゲンダーの家の中はどこか薄暗く、周りのイェーラー族の道具の数々も合わさり、一目では不気味に映るものだ。
しかし、彼と関わり、話していくうちに、この暗さに落ち着きを感じていく。
呪われた空間ではなく、夜の大地の安らぎのようなものを、ヒュドラはその身に受けていた。
ひとつの生命として自分はこうあるべきだという、確信に満ちたものが芽生えてきたのだ。
「ゲンダー殿。見ての通り私はまだ力を得ただけの未熟者です。まだまだ学ぶべきことがたくさんあります。きっとここで何十年と学べば、アナタ方の境地に近づけるかもしれません」
「そうだろうな」
「ですが、私には時間がありません。確かに今の私は焦っています。こうしてお話して頂いたにも関わらず、私の心は今尚くすぶっています。……そこでお願いしたいのです」
俯きがちに、しかし透き通るような声調で話した後、ヒュドラは真っ直ぐゲンダーの顔を見る。
ゲンダーにはすぐにわかった。
彼女は自ら死地へ踏み込もうとしていると。
「この村で多くの方々と触れあい、そして多くの話を耳にいたしました。────ゲンダー殿、どうか私に『禁断の試練』を受ける許可をッ!」
「……あれを、受けるというのか? だとすればそれ以上の危険だ。これまでの魔王討伐の旅よりずっと過酷にして残忍な道になるぞ? 神聖と邪悪の彼岸に立ち、その恐怖を乗り越えることが出来るか?」
「構いませんッ!! ……私は強くならねばならないのです。心身共に強くなり、旅を続けなければなりません。……そして、彼に、セトに謝らないと」
「その前に死ぬかもしれんぞ?」
「ゲンダー殿には、未来はどう映りますか?」
今度はヒュドラが微笑み返す。
武闘家としての雰囲気はなく、ただの小娘のような朗らかな柔らかさでイスに座っている様は、さっきまでとは見違えるほどだ。
全ての運命を受け入れる気だ。
例えその先に死が待ち受けていようとも、彼女は立ち向かおうとしている。
「……これも
こうして、ヒュドラとゲンダーは村長の家へと向かった。
禁断の試練を乗り越え、この空に飛ぶ鳥達のように、自らもはばたく為に。
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