第60話 勇者レイドの成れの果て

 その夜、とても耐え難い出来事が起こる。

 町長の娘が、勇者レイドによって殺された。


 時間を遡ること夕食の時刻、町長の娘が部屋まで呼びに行ったことから始まる。

 彼女は勇者一行が魔王討伐の旅へ出たという話を聞いたときから、勇者に想いをよせていた。


 どんな人物なのだろうかとずっと思い描くこと数日、ついにそれが叶ったのだ。

 たった一人となり、あんなにもやつれてしまっても戦い抜こうとする勇者レイドの姿に、彼女の心は陥落した。


 夕食の声掛けをしに部屋へ訪れるのは本来使用人の仕事だ。

 だが、あえて彼女はその役を買ってでた。


 絶世の美女というわけでもないが、彼女は見目麗しく、身体つきにも自信がある。

 これを機会に更に勇者に近づくことが出来れば、どれほど幸せなことかと彼女は胸を躍らせた。


「勇者様? もし? 勇者様? 夕食の準備が出来ました。さぁ私と一緒に参りましょう」


 緊張の面持ちでノックをして声掛けをする。

 だが、一向に返事がない。


 そればかりか、なにやらブツブツと呪詛のようなものが中から聞こえてくる。

 弱弱しくも恨みに満ちた小さな言葉の数々が、扉の隙間から漏れていた。


(なに……? なんなの……?)


 凍えるような感覚が、彼女の中に揺らめく。

 乱れた呼吸を小さくして生きながら、ドアノブを回してみると、すんなりと扉は開いた。


「ゆ、勇者様? お食事……」


 蝶番の軋む音と共に、部屋の中に光が差すが、勇者レイドの姿が見当たらない。

 不気味なほどに静まったこの異質な空間に、だんだん不安を覚え始めた。


「勇者……様? あの、どちらです……? お食事が」

 

 その直後だった。

 足元になにかが滴り落ちる。

 

 恐怖のまま上を見上げると、そこには勇者が器用に天井にへばりついていた。

 剥き出しの目と歯茎を見せながら、彼の武器である剣が歯で挟まれている。


「ひっ!?」


 思い描いた男性の思わぬ姿に、彼女は思わず声を上げた。

 次の瞬間には、一閃と共に彼が床に舞い降りる。


 首から噴き出る血に、部屋が濡れていく。

 安息の部屋は一気に血の池地獄と化してしまった。


「フーッ、フーッ! ……悪魔め。悪魔めぇ……ッ!!」


 倒れた彼女に馬乗りになって、まるで魔物の弱点を探るかのように上衣を引ん剝く。

 そして露わになった胸肌に目掛けて剣を何度も振り下ろした。

 果物の皮から果汁が漏れ出るように、彼女の胸部からドロドロと床へと染み込んでいく。

 

『なにをしているッ! やめろッ! やめないかッ!!』


「うぉおおおッ! ……ハァ、ハァ、……は? え? あ、悪魔は……あのアンジェリカの姿をして僕に侮辱の言葉を浴びせるあの恐ろしい悪魔はッ!?」


 突如聞こえたマクレーンの声に、正気を取り戻したレイド。

 自分がなにをしたのかを冷静に目の当たりにする。

 

 罪もない女性が死んでいた。

 絶望とも、怒りともとれる表情と虚ろな瞳をレイドに向けながら、勇者レイドによって、理不尽にもその人生に幕を閉じたのだ。

 

『……これが、君のやった結果だ。彼女は君のことを心配していた。なのに君は……自らの行いでそれを踏みにじったんだ』


「……ぁ、いや、違う。これは……なにかの間違いだ」


『なにが間違いなものかッ!』


 荒々しく靴音を響かせながら幻覚マクレーンはレイドの前に立つ。

 怒りに満ちた神父の顔は、精神の弱り果てたレイドを真っ直ぐ見据えていた。


『こんなことをする為に、君は勇者としてここまでやってきたのか? あぁッ!?』


「違う、誤解なんだッ! どうしよう、どうしよう……ッ!」


『この期に及んでまだ逃れようとするのかね君はぁッ! このバカがッ! これが君の正しさの末路かねッ! いい加減君は自分の愚かさを学ぶべきだッ!』


 マクレーンが怒鳴り散らす中、レイドは村長の娘から飛び退くように離れ、壁際に身を縮こませて震えてしまう。

 だが、そんな彼にもマクレーンは容赦なく言い立てた。


『君は、君自身に対しても大きな勘違いを起こしている。君がこれまで培ってきた『正しさ』は本当に正義と言えるほどまでに成熟したものであり、立派なものだったか? え? 周りの環境や相手が気に入らなくて……思い通りにいかないから、自分の中で正義をでっち上げただけではないのかね? えぇ!?』


「ち、違う違う違ぁうッ!! 僕は……、僕は本当に、世界の為に……」


『世界の為の行動が、なぜひとりの罪のない人を殺すことになるのか……。理解すべきだ。君はもう、元には戻れないのだ。私は……、君を助けたかった。本当だ』


 凍えるようにして震えるレイドを傍目に、マクレーンは死に絶えた彼女を見る。

 勇者の部屋と、皆がいる場所は離れていた為、騒動にはまだ気づいていない。


 そんな状況下で悲しい死を遂げた彼女に、祈りをささげた後、マクレーンはレイド

へと歩み寄る。


『レイド、剣を捨て、罪を告白しに行くのだ。もう、君に残された道はそれしかない。勇者としての生を捨て、その命を贖罪に費やすのだ。もしかしたら、恐ろしい断罪が待っているかもしれない。非難は避けられない道だろうが……君は、この茨の道を進まなくてはならないんだ。……さぁ、私の手を取って。行こう』


 マクレーンはレイドと目線を合わせるようにしてしゃがみ、そっと手を指し伸ばす。

 その表情にもう怒りはなく、憐憫に満ちていた。


 レイドの震えも止まり、呼吸も整ってくる。

 だが、それはまさに信じられない行動の始まりでもあった。


『……ッ!? レイド、なにを考えているやめろッ!』


 突如、マクレーンの姿にノイズが走り、存在そのものが朧気になっていく。

 ここにいるマクレーンはレイドの幻覚であり、彼の姿を借りたレイド自身の最後の良心そのもの。


 レイドはその存在そのものを完全に否定しているのだ。

 それは幻覚としてでも大きく左右されていた。


「贖罪? なにを言っているンダ? 僕はナニもまチがっテないヨ? 冒険に困難は付き物さ。僕に乗りコえられナイ困難はなイよ」


『レイド考え直せッ!! 私を消したらもう二度と……二度と戻れないんだぞ!?』


「うるサいなァ……。僕ハ正義の為、セかいの為に動いテいるンダ。こンナところデ、つまヅイテはいらレない。後は僕がなんトかするカラ、────消えてよ」


 その言葉と同時に、マクレーンは断末魔を上げ消えていった。

 レイドの中に、爽快感にも似た気分が染み渡っていく。


「ふぅ~、疲れたな。そうだ、僕は勇者だ。世界の救世者だ。立ち止まってはいられないんだよまったく。……あ、そうだ。この娘を隠しておかないと」


 そう言ってレイドはドス黒い意志を秘めた瞳を死体となった彼女に向けながら歩み寄り、まず、自身が使える魔術で傷口の縫合、そして防腐用の魔術をかけておいた。

 まるでなにもなかったかのように綺麗になった彼女の身体を抱えて、押し入れの中へと隠す。


 次に荷馬車の中にあった魔導薬を懐から取り出し、床や壁に飛び散った血を拭き取った。

 完全にではないが、部屋に誰も入らせなければきっとバレないだろう。


「さぁて、服も汚れちゃったから薬品で綺麗にして……うん、これでよし。さてと、おいしいディナーに行こうかなぁ」


 そう言ってレイドはなにごともなかったかのように、夕食の席へと顔を出した。


「すみません。遅れてしまいました。え? お嬢さんですか? あぁ、僕に声を掛けてくれた後、外へ行かれましたね。僕に見せたいものがあるから取ってくるとか」


「えぇ、先に行っていて欲しいと言われましたので。はい、ではお言葉に甘えてディナーを。……ん? 僕の匂い? あぁ、少しだけ魔導薬を使いました。やはりおもてなしを受けた以上、エチケットは守らないと……。アハハハ! はい、では、────

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