第59話 勇者レイドは町に着くが、その心はすでにズタボロだった。
ある日の黄昏。
たったひとりになった勇者レイドは、奪った馬車にのって小さな町に訪れていた。
小さな町であっても、勇者の存在はすぐにわかってしまう。
たったひとりになってもまだ冒険を続けているレイドに、町の人々は感嘆と同情の念を向けていた。
疲れ果てやつれてしまっている彼を、町の人は歓迎し、町長は自らの屋敷にある綺麗な部屋へと招く。
誰もが勇者に会いたがったが、本人の希望で面会謝絶。
窓もなにもかもを閉めて部屋を暗くし、身も心もボロボロの状態でソファーに座り、なにかに怯えるように身を震わせるレイド。
「ぼ……僕は、僕は……なにも、やってないッ! 僕は……悪くない」
いつまでも陰鬱に呟いているとき、彼の座っているソファーの向かいにあるソファーで軋む音が聞こえる。
長い足を組み、両手の指を絡めるようにして膝上においている人物が、突如彼の目の前に現れた。
『随分と……精神的に参っているようだね』
蝋燭の光が声の主のシルエットをぼんやりと映す。
レイドはその声に聞き覚えがあった。
勇者一行として共に歩んできた
「なんだ? ……あ、アナタは死んだはずじゃ」
『かもな。だが私の存在よりも……君のは、今の状態を気にした方がいいのではないのかね?』
これは幻覚。
精神を病んだレイドの頭の中に存在するマクレーンの姿を借りたレイド自身の最後の良心そのもの。
口調そのものは本人とは思えないほどに砕けており、どちらかと言えばこっちのマクレーンの方がフレンドリーには感じる。
だが、今のレイドにそんなことを感じる余裕などはない。
マクレーンは口角を上げて優しく微笑み、今尚震えるレイドを見据える。
彼はそっと立ち上がると、乾いた靴音を響かせながら彼の周りを歩き回りながら語った。
『これまで勇者として全力を出し、常に善人の手本となるように、君は生きてきたわけだが……君の選択によって今やとんでもない方向へと動いている』
「そんなことはないッ! 僕の旅は……魔王討伐の旅はこれまでになく完璧だッ! ……そうだ、あれは誤差だ。あんなものはただの誤差の範囲内でしかない」
瞳を激しく震わせながら勢いよく立ち上がり幻覚に言い放つレイド。
呼吸は荒く、今にも胃の内容物をその場に
『……そうやって君はなんでも誤差で片付ける気かね? ん? ……彼等がなにをした? 彼等に一体なんの罪があってあぁしたんだ? 教えてくれレイド。彼等はどうして、アンジェリカと君によって死ななければならなかったのかね?』
語気を強めて詰め寄るようにして問いかけるマクレーン。
それに対し怯えた表情をしながら後退りを始めるレイド。
「やめろ、来るな……お前は幻覚だ! お前は本物じゃない! お前は死んだんだッ! なにも言うな。そうやって僕を惑わそうとしてるんだろ? あぁ!?」
『勘違いしないでくれレイド。私は君を助けたいんだ。この泥沼のような状態から、君を救いたいんだッ! 今の君は魔物と変わらない。君が真っ当な人間に戻るには、私の言うことに耳を傾けるしかないんだ』
「黙れぇええッ!! 僕は初めからマトモだ! ……あれは仕方がなかったんだッ! 僕のせいじゃないッ! 皆が、皆が僕の理想を邪魔をするから悪いんだぁッ! 人の揚げ足取りはやめろペテン師め!」
『レイド……君は今自分がどんな状況に立たされているのかまるでわかっていない。思い返してみるんだ。君は最初どんな思いでこの旅に出たんだ? あぁん? そして、セトやヒュドラを追放したとき、君の精神状態はどうであったか。ちゃんと冷静に自分自身を分析するんだ』
「うるさい……うるさいぞ……ッ! 僕にかまうな。消えてくれッ!」
頭を掻きむしるように手を頭の上で動かし発狂するレイド。
ふらつく足がソファーやテーブルに当たり、大きな音を立てる。
そしてまたうわ言のようになにかを呟きながら、その場に座り込んでしまった。
そんな彼に靴音を響かせながら近づき、ため息を漏らすマクレーン。
彼の顔を覗き込むようにしゃがみ、ゆっくりと口を開く。
『君は私の命令に従う他ない』
「誰が、従うものか……この、悪魔めッ。消えろ……消えてくれ……お前は死んだ。幻なんだ……」
『でなければ君の行く所は、死よりも恐ろしい孤独と絶望だ。思い出したまえ。君は確かに信頼され、愛されていたはずだ。この町の住民達を見たかね? えぇ? 皆君のことを愛してくれている。……なのに君は、自分の殻に閉じこもろうというのか? ……君とアンジェリカが殺してきた無実の人達の死の先に、なにがあるか君は一度でも考えたことがあるか? 少しでも償う気があるのなら、今ならばやり直せる』
「ふざけろッ! 僕は、なにも悪くないッ! 僕の旅は、フヒヒヒ、順調だ順調。イヒ、イヒヒヒ。そうだわかってる。オーケーオーケー。そうだ……なにひとつ問題はない。僕の旅の先に、皆の望む平和と自由があるんだ。僕は正義なんだ。ヒヒヒ、苦難なんかに負けないぞぉ……ウヒヒ」
レイドの精神は
不気味な笑い声が、蝋燭に薄く照らされた暗い部屋で響く。
いつの間にかマクレーンの姿は消えていた。
悪魔の誘惑に勝ったと言わんばかりに、レイドはこれ以上ない邪悪な笑みで暗闇に向かってニタニタと笑っていた。
そんな中、悲劇はまたしてもその歯車を動かし始めていることにレイドは気付いていない。
場所は変わり、勇者が乗って来たとされる馬車を停められる広い場所まで動かす町の人間が数人。
彼等はあることに気付いていた。
「なぁおい」
「あん?」
「勇者様の馬車って確か、かの王国の職人たちがデザインした最新モデルだろ? この馬車随分と古くないか?」
「そういやそうだな。……いくら過酷な旅だからってここまでボロいくかな? まるで何十年も使い古されているかのような」
そんなことを言いながらも彼等は馬車を停める。
馬車を引いている馬を休ませ、彼等も一仕事終えたという雰囲気で、この場所を離れようとした直後だった。
「……あれ? あのマーク」
「ん、どうした?」
「いやホラ、馬車のケツの所に紋様が……」
町人達がその紋様を更によく見てみた結果、あることに気付いた。
「なぁこれって。商会の馬車じゃないか? 俺このマークを使ってる商会見たことあるぞ?」
「本当だ。……なんで勇者様が商会の馬車に?」
このときはなにか理由があるんだろうと、そのまま彼等は引き返したが、その後これが大きな疑念へと変わっていくことを、彼等は知る由もない。
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