第58話 セベクの愛は大地を染める
場所は変わり、ウレイン・ドナーグの街からずっと離れた寂寥の荒野にて、かの戦いで敗れ去った魔王軍の敗走が尚も続いていた。
指揮官を失った魔王軍の誰も彼もが負傷し、魔王領の城へと帰還しようとしている。
ウェンディゴの森を含む、ウェンディゴの出没が予想される場所を避けながら、重苦しく陰鬱な面持ちで自らの肉体を引きずるように進んでいた。
中には道半ばで倒れる者も現れ、最早数えるほどしかいない。
そんな中、セベクは終始薄ら笑いを浮かべながら、傷だらけのゴブロクの傍で鼻歌交じりに歩いていた。
半部とはいえ魔人の領域に踏み込んでいる為、その回復力も早い。
もっとも、それほどの大ダメージを受けたわけでもない彼にとっては、瞬時の回復も造作もないことだ。
「随分と楽しそうだなアンタ。帰ったら魔王様は真っ先に粛清を行うだろうぜ? 見てみろ周りを。皆処刑を前にした罪人みたいな顔をしている。……まぁ、アンタは一兵卒とはいえある意味で特別な待遇を受けているからな。粛清の心配はないと思うが……」
このときゴブロクには、セベクへの多少の嫉妬の念があった。
ただの監視役としてついているゴブロクと違って、セベクには魔王すらも恐れるほどの実力があり、一番下っ端であるはずの身分でありながら、それを感じさせない貫禄がある。
その後ろで着いていくくらいしか出来ないゴブロクは、彼と比べると自分自身が惨めに感じられた。
無論、醜い感情とは理屈ではわかっていても、心がそうはいかない。
しかし、こうしてふてくされるように言ったものの、セベクはどこ吹く風。
不気味に笑いながら関係のない話をする。
「なぁゴブロクぅ。セトっちってさぁ、
「はぁ!?」
「いや、それが俺のことだったら……嬉しいなぁって」
目をギョロつかせながらニタニタと笑い、歪な妄想に耽っていた。
あの戦場で出会った少年セトとの斬り合いが忘れられないでいるのか、興奮で時折身体を震わせている。
「この感覚…んんッ! そうだこの感覚だ。やっと出会えたぜぇ……俺の俺による俺のための強敵ぃ……ッ!! アイツも俺を殺したがってるはずだ! アイツも俺と同じように今飢えているに違いない。即ち俺等は相思相愛ッ! ……フゥ」
恍惚の表情のまま虚ろに宙を見つめるセベクの目に、ゴブロクは絶句した。
このときばかりはセベクの近くにいることに寒気を感じる。
「イヒ、イヒヒヒッ。……セ~トっち~、あ~そ~ぼ~。イヒヒヒ」
セベクにとって戦いとはなんであるか。
どちらが強いかという疑問は勿論のことではあるが、それ以上に重要視しているのが、どちらがどれだけ『飢えて』いるかを主点に置いている。
セベクはそこに生命の熱を感じているのだ。
ゆえに自分自身も常に飢えている状態を維持しており、その為の自己研磨も怠らない。
表情や態度・言動ではわかりにくいところもあるが、セベクは強敵の出現を前にすると急激に飢える。
即ち、戦いに対してとことんまで貪欲になるのだ。
セベクはそんな瞬間を、心から愛している。
この感覚が味わえるなら、たとえ己が負けることになろうともかまわない。
飢えた者同士の戦いの味を知っているからこそ、セベクは深い渇望を抱くのだ。
魔王軍に入ったのも、戦いの理由に事欠かない為であり、魔王への忠誠など初めからない。
そして人外に堕ち、強靭な肉体を手に入れても尚、それを永遠に求め続けている。
「アンタ……本当に戦いしか頭にないんだな」
「当たり前だ。……でも、魔王軍にはちょっと幻滅だなぁ。魔王軍……魔物の集まりって血に飢えた修羅ばっかりかと思ってたら意外に理知的って言うか保守派が多くてよぉ。力だけでのし上がるには些か窮屈だ。まぁ、俺にはもう関係ないことか……」
舌なめずりしながらセベクは魔王領への道を進む。
しかし、前方にいた魔物達が恐怖の叫びを上げて止まった。
前方に人間達の軍勢が現れた。
魔王軍の残党を一匹残らずに抹殺せんと、雄々しい音楽を鳴らし、勇ましい行進にて魔王軍に向かっている。
「ひぃッ! 人間ッ!」
「あんな数どうやって……ッ!」
「ひ、怯むなッ! 我等は偉大なる魔王様の
魔王軍にとっては泣きっ面に蜂。
勝ち目などないことは目に見えていた。
だが、こんな状況になっても面白可笑しく表情を歪めるセベク。
興奮し火照った肉体が、戦うことを強く求めている。
「クックックッ、いいねぇ。見た感じ雑魚の集まりだが……この火照りを冷ますにゃ、丁度いい」
空間から魔剣を異国の剣士『サムライ』のように勢いよく抜刀する。
地響きと共にやってくる人間達の熱の束をセベクは敏感に感じ取っていた。
そして魔物の誰よりも速く人間達の軍に向かって走り狂喜する。
それはずっと傍にいたゴブロクですら見たこともないような笑みだった。
「待ってろよセトっちぃぃいッ!! 次また会うときには、俺もっと強くなるからぁああッ!! きっと強くなるからぁああッ!!」
セベクの剣捌きが、無数の兵士の命を瞬く間に散らしていく。
狂戦士染みた闘気とは裏腹に、あらゆる動作において生じる一切の無駄を省いた一太刀で、対多数を軽々とこなしていた。
兵士たちから見れば、魔術かなにかを見ているような、化け物染みた剣捌きだった。
長槍の間合いを以てしても、瞬く間に懐に潜り込まれ、その首を胴から斬り離される。
「ハーッハッハッハッ! ハーッハッハッハッハッハッハッ!!」
次々と魔物が討たれる中、死体の山と血の池の上で笑い声をあげるセベク。
魔剣使いは通常の人間と違って元々の戦闘能力が高い傾向にある。
だがその男の力量は、そんな常識を遥かに凌駕した境地にあった。
「……鬼だ。アイツは、人間と魔物が紡いできた歴史から生み出された"鬼"にほかならない」
ゴブロクはひとり呟く。
今まで以上に精度の上がっているセベクの剣術に、彼は思わず魅了された。
空で戦場の様を嘲笑うかのように大きな鳥が鳴き声をひとつ。
死体を漁り喰らう鳥だ。
セベクが人間を死体に変え終わるのを今か今かと待っている。
そしてその思惑通りに、戦場だった荒野は最高の餌場へと変現した。
人間の軍勢はセベクひとりに大部分を殺され撤退。
魔王軍残存兵力、2名。
セベク、そして彼に負けじと奮闘したゴブロクの2名だけだった。
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