第45話 虚ろにして揺れ動く心、そして昼間の静かな月の下の牢で
ベンジャミン村にある衛兵の詰所。
赤髪の女性キリムが勤務するこの場所の奥にある牢屋。
その中にひとりの少女が、簡素なベッドで端座位になっていた。
その名もヒュドラ、勇者一行のメンバーであり、半ば追い出されると言う形でこの村にいたセトを追ってきたのだ。
食事を与えられている分少しは血色は良くなったが、彼女から漂う雰囲気はどこまでも虚ろで人生の疲労感で思い空気がその肩に圧し掛かっていた。
「おい、面会だそうだ」
「面会?」
「スカーレット村長だ。お前と話したいらしい」
「今更なにを話す? 見ろ、私は罪人だ。かつては勇者一行として国と父、ひいては人類の期待を背負ったメンバーのひとりだったんだぞ。……それが今やこのザマだ」
「そんなザマのお前と、一度話がしたいとのことだ。時間になったらまた声掛けるからな」
そう言って去っていくキリムを力なく見送るヒュドラ。
拳法着ではなく囚人用の衣服を着こみ、まとめていた長い黒髪は乱雑に下ろされている。
かつての勇ましい女武闘家としての凛々しい姿はどこにもなかった。
この世の終焉を目の当たりにした無力な少女そのものでもあるかのようだ。
「……変わり者の村、か」
そう呟きながら項垂れる。
セトを探す為とは言えここに流れ着いたのは運命なのかもしれない。
(そうだな……私も変人か。フフフ、今まで真っ当な道を歩んできたつもりだった。父の教えを守り、善を尊び悪を憎んだ。でもそれは……どこで間違っていたんだろう?)
虚ろな瞳を床に向けながらしばらくそうしていた。
大分経ってからキリムが再び現れ彼女に手枷を付ける。
「フフフ、入念だな。今の私に抵抗の意思なんてあると思うか?」
「武闘家だからな、油断ならん。言っておくが抵抗しようとしても……」
「わかっている。もうタックルはごめんだ」
自嘲的な笑いを浮かべ、詰所に設けられた面会の場へと赴く。
そこにはスカーレット村長とリョドー・アナコンデルとがいた。
「具合はどうかしら?」
「……見ての通り最悪だ」
ヒュドラは俯きながら答える。
「アナタのことは知っています。確か今魔王討伐の為に旅に出ていらっしゃる勇者御一行様の……」
「正確には、"元"だ。もう私は戻れない。国にもパーティーにも……。どの面下げて戻れって言うんだ」
「一体なにがあったんです? アナタの様子はサティスさんやセト君から聞きました。とてもじゃないけど……」
「わかってる。……幽鬼のようだったと? そうさ、かつて私は勇者の意見に賛同し、セトを追い出すことを容認した。その後どうしたと思う? セトが抜けた分の穴を埋めることが出来ず、パーティーの秩序は乱れ、互いに憎み合うようになった」
ヒュドラはセトを追放した後のことを詳らかに話した。
最初は自嘲気味に話していたが、だが段々涙が溢れ出て、まるで懺悔のようにこれまでに溜まった心の邪気を吐露していく。
「今の私にはもうわからない。セトを追い出したことは果たして正しかったのかと。確かにアイツの戦い方や考え方は残忍だ。死ぬまで攻撃を止めない……私はそんな奴を軽蔑した。殺すことのみを追求した戦いを"野蛮"だとも思った。そんな私は、少年兵という奴の立場に疑問すら抱かず、ただ目先の善悪だけに囚われ、いつしか父が教えてくれた仁義を歪めて捉えていた。戦場という過酷な環境で必死に生きてきたセトを、悪魔のように残忍な子供としてしか見なかったんだ。セトを見下すことで、自分は正しい側だとずっと思い込んでいた」
そしてこの村でセトと再会し、彼自身の変化に触れる。
だが、彼の態度は、追い詰められていたヒュドラには受け入れ難いものだった。
殺戮を軽蔑していたはずが、自らの保身の為に殺戮を欲し、いざその少年と再会したら断られた。
────もう兵士ではない。
────自分の人生を歩みたい。
その言葉はこれまでのヒュドラの辛苦を否定されたかのようで、疲弊した精神を激昂させるには極めて効果が抜群だった。
挙句の果てにセトの傍で暮らしていたとされるサティスに負け、この村の牢屋にて囚われることとなる。
同時に、セト達はこの村を出て行った。
「そもそもだ……。セトは戦いを、敵を、悪を憎んでいたのか? いいや、
「……それは恐らく、あの小僧の生まれ持った高い感性からだろうな。兵士は敵を憎み殺すことを国から強要される。それは少年兵でも同じだ。きっと小僧も最初は敵を憎んでいただろうが、途中で『それは無意味なことだ』と悟ったんだろう」
ヒュドラの言葉を黙って話を聞いていたリョドーが付け加える。
「だがそれがわかった所で兵士である以上、戦場は避けられない。少年兵なら尚更だ。小僧は戦い続けた。大人達が作り上げた不条理とわかっていながらも国や大人達の為に戦い続けたんだ。……そして、勇者一行(おまえたち)の為にも」
「────ッ!?」
ヒュドラはあることをふと思い出す。
それは戦闘が終わったときのことだ。
セトは敵を蹂躙した。
魔物であろうが人間であろうが、容赦なく。
だがそこに殺戮の快楽や死への悼みは存在しなかった。
その瞳に映るのは果てしない空虚。
事務的に、作業的に、戦争的に敵を滅した『殺し』の顔だった。
無機物のように冷たい無表情で、それは年頃の子供がしていい顔ではない。
セトの戦場への思いは他のメンバーの思いとは乖離したものだったのだ。
殺すことになにも感じないというのではなく、『もう感じても無駄だ』というのがセトの結論だったのだと。
「────なぜ、誰も優しくしてやれなかったんだろう。どうして私はあのとき、手を差し伸べなかったんだろう。皆に嫌われてひとり陰で食事をしているとき、どうして私は歩み寄らなかったんだろう。"一緒に食べよ"って言わなかったんだろう……それが、父が私に語ってくれた仁義じゃあないのか? 私は……なぜ仁義の意味を履き違えてしまったんだろう」
「仁義……慈しみの心、人情というやつね? ……素敵な考えをお持ちじゃない。アナタのお父様は」
「だが私はこの旅の中で……そんな父の教えすらも踏みにじった。ハハハ、なんだったんだろう、私の人生って」
ヒュドラは涙を流しながら自嘲的な笑みをこぼす。
武闘家という屈強な人生を歩む者とは到底思えないほどに、その姿はか弱かった。
「サティスさん……アナタ達と敵対していた頃は知らないけど、素敵な女性だったわ。セト君のことを心から愛している。きっと彼が変わったのも、彼女のお陰というのもあるんじゃない?」
「サティスの? ……そういえば、もう魔王軍の配下ではないって言ってたな。どういう経緯かは知らんが……そうか。セトはもう自分が愛されることを知ったんだな。なのに、私はそんなアイツを……道具のように扱おうとしてたんだな……。なにもかもが根本的に間違っていたんだ、私は」
涙で濡れながらもその顔はどこか満足気だった。
そして、このとき初めて心からセトの自由を祝う。
追放されてから途方に暮れていただろうあの日からサティスと出会い、自らの人生にようやく花を咲かせた。
今彼が感じている幸福を、踏みにじっていい権利が誰にあるだろうか。
ヒュドラの心から邪気が抜けた。
同時に身体に圧し掛かっていた絶望もまた消える。
「あら、随分と明るい表情になったわね」
「……村長、この度は私の稚拙な思想からなる浅はかな行動により、この村に多大な迷惑をおかけしました。どうぞ、処罰を」
ヒュドラは改まり、彼等に首を垂れる。
自らの罪と向き合う覚悟は出来ていた。
例え首を刎ねられようとも、彼女はそれでもかまわないと。
「処罰、ねぇ。……どうしましょうかリョドーさん」
「俺に聞くのかよ。そうだな。……キリム、とりあえず手枷を外してやれ」
ヒュドラは驚いたように顔を上げる。
キリムによって手枷が外れ腕が一気に軽くなった。
「……なぜ?」
「特に意味はない。俺はお前みたいな若い女が、手枷だのなんだのを付けられているのを見てるとムシャクシャする性質でな」
「でも、私は凶悪犯です。悪い人間なんですよ?」
「理由があったんだろう? 悲しい理由だ。お前もまた時代に弄ばれた。俺達のように……」
「え?」
「ヒュドラさん。今からアナタは自由よ。……とは言っても、村を出る前にまずは養生してからね。村の魔術師に回復してもらったとはいえ、身体は休めないとだわ。しばらくこの村にいなさい」
「な、なぜ……ッ!? なぜこんな私にそんな待遇をッ!? おかしいじゃないですか。私は……卑劣な、人間なのに……」
椅子から立ち上がり悲痛な声を上げる。
そんなヒュドラをスカーレットは微笑みながら返した。
「さぁ、なんでかしらねぇ? ……ここが"変わり者の村"で、私はその村の長だから、かな」
この言葉を残し、スカーレットとリョドーは詰所から去っていった。
ヒュドラはこの村の温情を深く受け止め、この村に残ることにした。
「なぁ、本当にいいのか? もう一度牢屋に入るって……」
「いいんだ。あと一日だけ入らせてくれ。……今は、牢屋にいたい」
牢屋の中で再びベッドに腰掛けるヒュドラ。
壁に備えられた小さな鉄格子の向こう側には空が見えた。
昼の月が出ており、白い表面を薄っすらと見せながら、静かにヒュドラを見守っている。
(……)
ヒュドラの顔は憑き物が取れたかのように穏やかだった。
これから己はどうすべきか、それはこの村で考えてみようと。
セト達が見出そうとしたように。
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