第44話 森のウェンディゴ

 一方、ウレイン・ドナーグの街を目指す魔王軍は幹部であるリザードマンを先頭に深い森の中を進んでいた。

 魔王領から街のある国まで入るのに山や森の中を越えなければかなりの遠出となってしまう為、結果を急いた魔王は癇癪を起こし、最短の道で行くよう無茶な命令を出したのだ。


 案の定、編成された軍勢の士気は著しく低く、誰も彼もが重い面持ちで隊列を組んで行軍している。

 もっとも、この男に限ってはまるで別だが……。


「暇だねぇゴブロクぅ~。……しりとりしよっか」


「アホか。……お前、少しだらけすぎだぞ」

 

 国境を越えた深い森の中、不気味な雰囲気と重苦しい空気が漂う行軍の最後尾である魔剣使いセベクとゴブリンのゴブロク。

 セベクはいつものようにふざけた態度を取っているので、いつ罰則としてこちらも責任を取らされるか内心気が気でないゴブロクは静かに叱咤する。

 

 しかし、そんなときだった。

 セベクはある話題を切り出してきたのだ。


「なぁゴブロク、ここがどういう森か知ってるか?」 


「この森がどうかしたのか?」


「ここはなぁ、ウェンディゴの森だ。出るよぉ~。ヒュ~ドロドロっつって……」


 そう言っておどけて見せるが目が笑っていないセベクに苦笑いしながらも、ゴブロクはその名前に思わず身を震わせた。

 ウェンディゴの存在は勿論ゴブロクも知っているが、実際に見たことはない。

 彼等の姿を目の当たりにするということは、それは死への入り口であり、永遠に畏怖されるものだからだ。


 ゆえに多くの人間達や動物達は、彼等の縄張りや聖域といった場所には近づかない。

 現にウェンディゴを一目見ようと彼等の縄張りに入り込んだ愚かな人間は皆帰らぬ人となっている。

 一部のウェンディゴを除いて、縄張りや聖域から外側へ出ることはないそうだ。

 それ以上の行動がまるで見えない壁に阻まれたかのように困難になるという。


 だがその力は強大であり、現状の兵器や魔術ではまるで歯が立たない。

 遥か昔、ウェンディゴがいるとされている場所を離れた位置から焼き払おうとした者達がいる。

 だが、彼等は忽然と姿を消した。

 

 恐らくウェンディゴの仕業であろうが、如何にして焼き払おうとした者達を消し去ったのか、謎は未だ解明されていない。

 魔物の叡智、人類の進化でも及ばない未知の力を秘めた存在、それがウェンディゴであるという。


「それが奴等だ。魔物だろうがなんだろうが、自分達の縄張りを荒らすような奴には容赦なく牙を向く。喰われるか、それかどこか異次元ってぇ所へ連れて行かれるか……もしそうなったら、それでおわり」


 魔物も例外なく襲う。

 その言葉にゴブロクはにわかには信じられなかったが、セベクがそういう冗談を言う男には見えなかった。

 ここが本当にウェンディゴ達の住処であるのなら、もうすでに彼等は魔王軍に目をつけているということだ。


 武人として数々の苦難と戦場を切り抜けてきたが、この深い森の中に得体の知れない気配を感じるような錯覚に陥る。

 それは鼓動を早め、気を抜けば冷静さを欠いて自暴自棄に走ってしまいそうな感覚だ。

 それに比べてセベクはいつもの調子で、目を見開いたままゾンビのようにやる気なく歩いている。

 

 この森が彼等の聖域と知っていて魔王は進軍させたのかと思うと、ゴブロク自身魔王に嫌気がさしてきた。

 もしウェンディゴがこちらの様子を見ているのであれば、いつ襲い掛かられてもおかしくはない。


「おい、見ろ……下だよ下」


 突如足を止めたセベクはゴブロクに地面を見るよう促す。

 魔物達によって踏み込まれた草と地面の間に、古臭い木造の物が見えた。


「……これは?」


「トーテムポール。……これは警告を伝える為のものだ」


「まさか……」


 このトーテムポールの先が彼等の聖域。

 入れば最早命の保証は出来ない。


「み、皆に知らせねば! ここは危ない。安全なルートを……ッ!」


 ゴブロクが慌てるも、セベクは鼻で笑い、別の方向へと歩み始めた。

 ゴブロクは呼び止めるが、鼻歌交じりに茂みの奥へと進みゆくセベクは聞く耳を持たない。


「く、クソォッ!」


 ゴブロクは先へと進みゆく魔王軍を捨てて、セベクの行く方向へと駆けていった。

 戦いで死ぬのは武人の誉れだが、こんな所で死ぬのは以ての外だ、と。


 そして、ウェンディゴ達の聖域を更に奥まで進む魔王軍に変化が現れた。

 奥へと進むにつれ、奇怪な霧が立ち込めていく。


 緑色でうねるような動きで魔王軍を囲み始め、視界を遮っていった。

 進軍を止めた魔王軍全体が緊張と闘気で張り詰める。


「まとわりつくようなこの霧……貴様等、油断するなッ!」


 先頭を行くリザードマンが声を張り上げる。

 だが次の瞬間、隊列の中心にいた魔物の一体が首を抑え苦しみ始めた。


「う、……うぐ、ぐぇえあああッ!!?」


 叫びを上げると共に、彼の口が大きく裂けてそこから悍ましい者が巨怪な奇声を上げて出てくる。 

 一目での外見は、包帯に無数の苔が生えたようなミイラ。

 人間のような口を大きく開き、人間とは思えないほどに長い手足を伸ばしながら魔物の中から出てくる。


 だが一体だけではない。

 腹を裂き、背中を裂き、無数に湧き出てくる。


 親蜘蛛の腹を食い破って出てくる小さな子蜘蛛達のように、その魔物の中から四つん這いでの素早い動きで魔王軍に襲い掛かった。

 

 彼等はこの森の聖域に住まう森のウェンディゴ。

 ヒトでも魔物でもない慄然たるその様相とその姿。


 まさに"この世のあらゆる既知から外れた未開の悪鬼"だ。

 正常や常識を謳う人間の世界においては、恐らく魔物以上に許容されてはならない存在だろう。

 

 それと同時に魔物達は直感する。

 ウェンディゴが自然の意思であり精霊の一種であるというのなら、こんな存在が至る所にいるとするならば、なんと世界は恐怖で満ち満ちていることか。


 自然は決して沈黙の神などではないのだと。

 文明を満喫する命達を、遥か深淵たる未知の底で、じっと睨みつけている者共もいるのだと。


「うわぁああッ!!」


 物理法則や魔術理論を完全に無視したような突然の登場で、魔王軍は大パニック。

 しかも、他の魔物からも無数に出てくるので、逃げ場などどこにもない。

 戦おうとしても、ウェンディゴ達の動きは予想以上に素早く、瞬く間に大多数の命をこの森に捧げていく。


「は、走れッ!! 急ぎ聖域から脱出するのだぁああッ!!」


 リザードマンは急ぎ前進する。

 総大将たる彼に続いて、魔物達も駆けだした。


 だが、森のウェンディゴはそれを許さない。

 濃い緑の霧で方向がわからなくなり、迷ってしまった魔物を次々と虐殺していく。


「ぎゃあああッ!! あああああッ!!」


 リザードマンの隣を走っていた魔物が木の上から複数のウェンディゴに捕らえられる。

 大きさや重さ、種族系統等、一切の関係なく魔物達を残酷に引き千切り、噛み千切り、肉塊を弄ぶウェンディゴに魔王軍は恐れをなして逃げ回った。


 そして、なんとかあの濃い緑色の霧を脱出した頃には、魔王軍の兵はもう半分より更に下回る数に減っていた。

 濃い霧が晴れていくと、そこにはいつもの森が広がっている。

 先ほどの喧騒が嘘のように静かで、血も肉も、そしてあの断末魔の光景の跡すら残っていない。


「あ、あぁ……。こ、これは……悪夢だ」


 リザードマンはその場にへたり込む。

 部下である魔物達も聖域がまだ近くであるというに彼に続いてへたり込んでいった。


「や、やはり……遠回りをしてでも……時間がかかってでも進軍すればよかったんだ。もしそうだったらこんなことには……」


 しばらくその場にいると、聖域には入らず別のルートで迂回したセベクとゴブロクがやってきて合流した。


「なぁんだ随分減ったな。……いや、これだけの被害で済んだと思えばまだ大丈夫か」


「大丈夫じゃないだろッ! こ、これは……一体……」


 ゴブロクが絶句する。

 他の魔物はセベク達を力なく睨みつけたが、いつものように彼を見下したり罵倒したりすることはなかった。

 最早そんな体力も精神力もない。

  

「ウェンディゴは聖域からは出られない……が、注意した方がいいな。ここを離れねぇかい指揮官さん」


「あ、あぁ……わかってる。命令、するな……」


 リザードマンが力なく答えると、隊列を組み直しもう一度進軍する。

 セベク以外の顔は皆、恐怖と虚無に覆われて、さながら死者の行進であった。

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