第37話 月よ、憐み給え。

 ────どうしてこうなってしまったんだろう。


 ある日の夜、勇者レイドは目の前の惨状を見てふとこう思う。

 イメージしていた冒険とかけ離れた世界に絶望しながら、レイドはそれでも妄想の中へ逃げ込んだ。


「アーッハッハッハッ! すごいッ! コイツ等こんなお宝を荷台に積んでいたなんて!」


 魔術師アンジェリカの笑い声がする。

 血塗られた者の笑い声だ。


 そして今この現場は、地獄絵図と化していた。


 横たわる馬車に、絶望の形相で死んでいるその持ち主達。

 


 満たされない空腹感と突きつけられる厳しい現実の連続が、彼等をついに蛮行へと至らせた。

 国境が封鎖された際に、街へ戻ろうとする馬車を襲い、そこから金品や食料を強奪。


 それは一体何度繰り返されたことか。

 今や理想と正義に輝いていた勇者一行は見る影もない。


 月の光降り注ぐ大地に、罪なき人々の血を捧げ、強奪する様はまさに彼等がもっとも毛嫌いしていたであろう類の存在。


 ────外道である。


「仕方ないのか? そうだ、仕方ないんだ。……ここから。そう、ここから挽回すればいい。ここから善行を積み上げればチャラになる。フフフ、そうだ。旅を続けるには食事もお金も必要だ。これは……やむを得ない行動なんだ」


「もう、それ呟くの何度目レイドさん? それより御覧なさいな。この豊富な食料と金品の数々。これなら当分は食いつなげるわッ!! 新しい装備だって買えるし、なによりフカフカのベッドで寝られる! 早く街を探しましょ」


「あ、あぁ……」


 この蛮行を最初に提案したのはアンジェリカ。

 守るべき存在から奪うことを決断した彼女の言葉に、レイドは揺らいでしまった。


 この最初の襲撃がきっかけで、魔王討伐の任を課せられた勇者一行ではなく、強奪を生業とする賊の類へとなり下がったのだ。


「僕は勇者なんだ……僕は勇者なんだ……間違ってない、僕はなにも間違っていない」


 かつて分捕った馬車に、強奪品を乗せながら虚ろな瞳で涙を流すレイド。

 ほんの一瞬、死んだ彼等の目が一斉にこっちを向いたような錯覚に陥り、背筋が凍った。


 対するアンジェリカは狂気の笑みで鼻歌交じりに金品を見ていた。

 水を飲み、血の付いた手でパンを掴み喰らう。

 その様は最早死肉を漁るハイエナだ。


「恨むなら自分の不甲斐無さを恨んでくださいな。アナタが役立たずだからこうなったのよ?」


「ぼ、僕は常に最善を尽くしてる。……僕は悪くない」


「フン、またそれぇ? 勇者の伝説なんてアナタには荷が重すぎたみたいね。そのせいでこんな強盗紛いなことする羽目になってるんじゃない。おっと、私を責めないで下さいね? 私の提案のお陰で馬車に乗れるし、水にも食料にもありつけるんですから」


 それを言われると、レイドにはなにも言いようがない。

 実際レイドはパーティーの苦難に対して、なに一つ対処出来ていないのだから。


 だがそれを認めることは、レイドのプライドが許さない。

 今出来るのはこうやってアンジェリカの提案に乗ることだけだ。


 しかし、こういった態度が逆にアンジェリカの癇に障る。

 そこで彼女はある恐ろしいことを考えたのだ。 


「ハァ、もうしょうがないですね。……少し向こうへ行って話しませんか?」


「え、あぁいいよ」


 馬車を降りて、2人して月がよく見える崖まで来た。

 血塗られた彼等に対し、月明かりのなんと優しく慈悲深いことか。


 心が浄化されていくような気がしたレイドは、ふと目を閉じて全身で光を感じ取る。

 大きく息を吸って、大自然の恵みを肺の奥へと染み渡らせると、幾分か気持ちが楽になった。


「で、アンジェリカ。話って────」


 背後にいた彼女に視線を向けた次の瞬間、背中に衝撃が走って身体が崖下の暗闇に向かって前のめりに傾く。

 アンジェリカが不気味な笑みを浮かべて、両手を突き出していた。


「ぐわぁあああッ!!」


 咄嗟の反射行動で身を捩り、崖端に捕まるレイド。

 狂ったように笑いながら彼の手を足で何度も踏み始めるアンジェリカに、レイドは恐怖した。


「グアッ! や、やめろぉおッ!! なにをするんだぁあああ!!」


「見てわからないかしら? もういい加減アナタの無能に付き合うのはゴメンってこと! ここで死になさぁい!」


 勢いを強めるアンジェリカに対し、ひたすら耐えるレイドの頭の中は困惑の色で埋め尽くされる。

 ただ必死に崖を離すまいと力を込めていた。


「大丈夫安心してぇ? アナタが死んだ後も魔王討伐の旅は続けてあげる。そ・の・ま・え・に。街へ行って美味しいもの食べてお風呂に入って綺麗にしてから、再度冒険者を募るわ。今度は私を中心にしたパーティーを組むのッ!」


「そんな……させないぞ……ッ!」


「フン、これから死ぬ身でなに言ってるのよ! 新しいパーティーを組んで魔王を倒せば、私の名は永遠に歴史に残る。誰もが私を讃美することでしょう。アーハッハッハッハッ!」


 下卑た笑みを浮かべながら何度も、それはもう何度もレイドの手を踏み抜き、これから始まる新しい旅を夢想した。

 だが、運命は彼女の味方をしなかった。


 タイミングを見計らったかのように、レイドがアンジェリカの足を掴んだ。

 力を振り絞ってレイドは反撃へと出る。


「この悪魔めッ! お前が地獄に堕ちろぉおおッ!!」


「きゃあ!? は、離して……離せオラァアアッ!!」


「ぬぉおおおおッ!!」


 レイドの膂力がアンジェリカのフィジカルに勝った。

 アンジェリカはバランスを崩し、レイドの引っ張りに導かれるまま、崖下の暗闇へと堕ちていく。


「ぎゃあああああああああああああッ!!」


 断末魔を上げて、貴族の娘にして魔術師アンジェリカは、最期まで外道として堕ちるべき所へ堕ちていった。

 

「うぐ……ぬぉおッ!」


 なんとかしてよじ登ることに成功したレイドは、呼吸を整えてから、今し方行ったことを冷静に思い浮かべた。


「こ、殺した……殺したのか? 僕は……仲間を殺したのか?」


 悪寒に襲われ身も心も震えた。

 嗚咽と嘔気が治まらず、これまでの悪事の数々が脳裏にて再生されていく。


「違う……僕は悪くないッ!! あれは仕方がなかったんだ! 僕は殺されかけた。あれは正当防衛だ!」


 彼が抱いたのは明らかなる罪悪感。

 アンジェリカを殺したことがスイッチとなり、これまでの強奪や殺人の記憶が重圧となって圧し掛かった。


「そうだ! 僕は! 僕は悪くないッ!! 僕には義務があるッ! こんなことで立ち止まってちゃいけないんだ! ヒャハ! ヒャハハハハハハハッ!!」


 狂気と恐怖で笑うレイドを、月はいつまでも見下ろしていた。

 理想と現実との間で全てを砕かれたこの哀れな少年には、美しい月光に照らされる世界は如何に見えていたのか。

 

 笑い転げるように走り、馬車に乗るレイド。

 仲間を失って尚、進み続ける彼は、最早魔物でも人間でもないなにかへと成り下がる。

 

「僕は負けないぞ……魔王を倒して、世界を救うッ!」

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