第30話 夜中に繰り広げられる女の戦い。────チェストッ!!

 剣を砕かれたヒュドラは残った柄を投げ捨て、身軽な跳躍を以て間合いをあける。

 心身共に疲弊している割にはまだ動けるようだ。


「そうか……お前が、お前がセトをたぶらかしたんだなッ!?」


「セト離れていて下さい。こういうイカれた女を殴るのは女の仕事です」


 そう言ってサティスは眼鏡を外し、数歩進んで彼女と相対する。


「私はイカかれてなどいないッ!! 色香でセトを惑わして、我々を攻撃するつもりだったんだな!? そうだろう! お前は策士だからそういうことだってなんだってするだろうしな!」


朽木きゅうぼくるべからず。腐った心になにを言い聞かせた所で無駄です。勝手に妄想してなさい」


「うるさい! フヒヒヒ、良い物を見せてやる。これはな? 私に襲い掛かって来た山賊の長が持っていたモノだ。見た目はただの丸薬。だがひとたび飲み込めば……」


 赤い丸薬を取り出しヒュドラはそれを口の中で噛み砕く。

 すると一気に顔色が良くなると同時に、血管のようなものが浮き出てきた。


 細っていた身体に潤いや力がみなぎり、目付きも魔物のように鋭くなる。


「一時的に自らの力を高める魔導薬ですね。そんなもので勝てると?」


「ヒヒヒ、少なくとも前よりは戦えるさ」


 猫足立ちでやや重心を低くした構え。

 掌は虎、或いは龍が鋭い爪を立てるように開き、天地に構える。


 ヒュドラの構えを見て、サティスも拳を前にして構えた。

 だがやはりセトはサティスのことが心配でならない。


 魔人とは言えど、彼女はどちらかと言えば魔術師タイプ。

 近接戦闘においてはあまり心得がない。


 身体能力等が人間より優れているとはいえ、ヒュドラの体術にどこまで対応しきれるか。

 凄まじい強化を施している今のヒュドラの猛攻にどこまで彼女がいけるのか、セトは気になった。


「サティス、格闘は出来るのか?」


「あんまり得意ではないです。だけど、この女は一度殴らないと気が済まないです。大丈夫、すぐに終わらせます」


 こうして月下にて2人の女の殴り合いが決行される。

 ヒュドラは怪鳥の如き叫び声と共に跳躍し、空中からサティスの頭部、胴部を狙った連続蹴りを繰り出した。


 強化しているだけあって流石に鋭い。

 最初の一撃を半身で躱し、二撃目を掌でいなすがその威力は魔人の手ですら痺れたほどだ。


「まだまだぁ!!」


 着地したヒュドラは一気に体勢を戻し、掌底、肘、裏拳、指先、足底、足刀、膝────、胴体のありとあらゆる部分を使っての技巧による体術をサティスに繰り出していく。

 彼女の武術は、揺れる船の上や山岳地帯のような、足場が兎に角不安定な場所を想定した戦い方だ。


 その強靭な足腰の強さと技のキレは、丸薬によって更に強化されている。

 正直言えば、近接戦闘に不慣れなサティスからすれば不利な状況だ。


 だが、サティスも負けてはいない。


「────ふん!」


「ぐはッ!」


 強烈なボディブローがヒュドラの腹にめり込む。

 怯んだその一瞬の隙に、天頂に上げた右足からの踵落とし。


 モロに頭に当たったヒュドラの表情が激痛と驚愕に歪む。

 後ろへ数歩ふらつき、頭を振って意識を保とうとするも、ふらつきが抑えられない。


「あ~ら。たったの二撃で沈んでもらっちゃ困りますわ」


「うるさい!!」


 今度はお互いの回し蹴りが轟音を上げ交差する。

 弾かれた勢いを利用し、サティスのまるで魅惑的なダンサーのような動きで地面スレスレまで重心を落としてからの足払いがヒュドラの足を捉えた。


 ヒュドラは完全にペースを掴まれ、成す術なく地面にその身を激突させた。

 だが彼女も素人ではない。


 倒れても尚受け身を取って、その反動をバネに跳ね飛ぶように立ち上がる。

 しつこい奴だとサティスは再度彼女に殴りにかかった。


ッ!」


 ヒュドラの一歩にして強烈な震脚。

 相手の懐に潜り込むや、自らの体重と丹田で練り上げた気を右肘に込めた『頂肘』をサティスの開けた胸元に叩きこむ。

 超至近距離から大砲を撃ち込まれたような衝撃に、サティスは目を見開き一気に吹っ飛ばされた。 


「サティスッ!!」


 セトが思わず声を上げる。

 だが、サティスはそのまま転げることなく、地面を踏み込んで持ちこたえた。

 そしてケロッとした表情で答える。


「流石に今のはビックリしました。そういうの初めから出してくださいな」


「あ、あの一撃でも倒れないのかッ!? ……流石は魔王幹部。壊し甲斐がある」


「これでも魔人ですからね。……あと、私はもう魔王軍ではありません。セトと同じです」


「……なに?」


「まぁ今のアナタに言ってもわからないでしょうし……ここで眠っていただきます」


「なめるなぁぁぁあああ!!」


 2人の女傑が再び拳を交えんと間合いを近づける。

 月下にて繰り広げられる魔人と狂人の武闘。


 セトはこの勝負を見守ることしか出来なかった。


(サティス……ッ!)


 サティスが回し蹴りを、ヒュドラが拳を出そうと燃え上がる闘志がこの地にて揺らめいていた。

 







「────チェストごぉぉぉおおおいッ!!」


 突如響く大声。

 それと同時にヒュドラの背後から凄まじい衝撃を受けた。

 

 衛兵のキリムだ。

 セトやサティスにも気づかせないほどの速度で一気に近づいただけでなく、その勢いのままヒュドラの背後からタックルを仕掛けたのだ。


「ぐぇえああああッ!?」


 あまりの衝撃にバランスを崩し、サティスの方へ仰け反るように飛び出る。


「あ……」


 サティスもすぐには気づいたがもう遅い。

 強烈な威力を孕んだ蹴りが、バランスを崩して無防備なヒュドラの顔側面にモロに炸裂した。


「うぼぉぁあああああッ!!?」


 背後からの強烈なタックルと、強烈な蹴り。

 その威力は彼女の身体に凄まじい回転を生み出し、そのまま天高く吹っ飛んだ。


 高速回転し続けるヒュドラは白目を向き、意識が完全に飛んでいた。

 そのまま地面に落下すると、骨や肉の断ち切れる音を響かせながら数mほど転がった。


「村の平穏を脅かす狂人めッ! そこを動くなッ!」


 腕も足もあらぬ方向に曲がり、所々から血を流して仰向けに倒れているヒュドラにキリムは衛兵っぽく剣を向ける。


「いや、動けないです」


「……え、あ、そう? ……た、立てオラァ!!」


「立てるかッ!!」


 こうしてヒュドラの襲撃は彼女の登場により、すぐに幕を閉じた。

 そしてこの事件は、2人が村を出る決断を早める要因にもなる。

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