第29話 変わり果てたヒュドラは俺を連れ戻しに来た。
深夜を回った村とその周りは不気味なほどに静かだ。
誰もが眠りについて、月明かりの中、夜行性の動物が密やかに縄張りで蠢く。
そんな中、セトは眠れない時間を過ごしていた。
ベッドの中へと潜るも、ゲンダーの話が気になって仕方がない。
死のウェンディゴのこともそうだが、一番に気になるのが近い内に訪れるという彷徨う女。
招かれざる客と言っていたが、女性でそんな知り合いはいない。
精々勇者一行のメンバーくらいなものだが、追い出した自分に会いに来る暇などないはずだ。
彼等は今、世界の為に戦っている。
自分という小事の為に、世界を救うという大事を見捨てるわけがない。
それもたったひとりで……。
(酷く弱ってて……狂気に満ちた目をした女? ……ダメだ、さっぱりわからない)
モヤモヤとした気持ちを晴らす為、彼は外の空気を吸うことにした。
隣りの部屋ではサティスが寝ている為、物音を立てないように外へ出る。
そういった動きは得意だ。
「ふぅ、すごいな……。この村で見る星空ってこんなに綺麗なのか」
吸い込む空気はどこか涼やかで、肺の奥までよく染み渡る。
目に見える星々の輝きの鮮明さから、この土地の自然がどれほどに清らかで澄み渡っているかを如実に物語っていた。
その中でも"十日余りの月"は美しい光を地平線の遥か先まで降り注がせ、夜の安寧にて眠る人々を、空から優しく包み込んでいた。
月の満ち欠けにはあまり詳しくないセトでも、この夜の光景に感動する。
「自然って……すごいんだな。俺達はその中で生きてる」
先ほどまでの悩みが嘘のように心が落ち着いたセトは、今度こそ寝れそうだと踵を返して部屋に戻ろうとした。
だが、その直後で何者かの気配を感じる。
明らかな敵意の念。
背後からそれを感じたセトの反応は早い。
振り向くと同時にナイフを引き抜き構える。
そこには思いがけない人物が、月光をその身に浴びながら佇んでいた。
「ひ、ヒヒヒ。……久しぶりじゃないか。セト」
「アンタは……ヒュドラ?」
かつての仲間が下卑た笑みを浮かべ、狂気と怒りを含んだ眼光の目をぎょろつかせながらセトを見ていた。
あの凛々しい拳法着は所々破れ、身体には無数の傷跡。
自信と誇りに満ちたいつもの表情は見る影もない。
彼女の武器である剣は抜き身の状態で腰に縛ってあり、鞘は消失していた。
家宝のはずの剣は手入れすらされず、刀身も刃毀れやひび割れ等の損傷が多い。
月下に佇む女武闘家。
言葉だけなら絵にもなろうが、今の彼女は化け物の様相に近い。
セトは戦闘態勢を解く。
だが、油断はしない。
彼女の挙動全てを監視するような目で見据える。
「まったくなんてことだ。フヒッ。私達が……イヒヒッ、懸命に世界の為に働いて、ウヒッ! ……働いているというに……こ、こ、こ……こんな村で……お前はのんびり気楽に暮らしていたとは……」
「どうしてここがわかった?」
「なぁに。簡単な、ことさ……。情報収集だよ。お前と……美女がこの村に向かって歩いているのを……聞いたものでな。イヒッヒッヒヒッ! 女まで侍らせているのかぁ!? 少年兵という野蛮な身分のくせにぃッ!」
奇怪な笑い声を上げながらヨタヨタと近づいてくる。
その動きはさながら亡者のようで、流石のセトも思わず寒気を感じた。
「ここまで来るのは長かったぞぉ? 魔物に出くわすわ山賊にも出くわすわで……大変だった。さぁ、行こう。今お前の力が必要と、ウヒヒッ、されて、ヒヒ……いるんだ。ん? 殺すの好きだろ? 殺戮大好きの魔剣使いだろう? よかったなぁ。いっぱい殺せるぞぉ?」
ヒュドラが手を差し伸べる。
腕にもまた刀傷や噛まれた痕など見受けられた。
だがそれ以上に驚いたのが、手首にいくつもの切り傷があることだ。
これは自分でつけた傷だと、セトは直感でヒュドラの今の精神状態を悟る。
今の彼女はなにをしでかすかわからない。
だがそれでも言わなければならない。
「……悪いがヒュドラ。俺はもう兵士じゃない。勇者一行に戻る気はもうないよ」
「……────は?」
「アンタはきっとレイド達に頼まれて必死に俺を追ったんだろうけど……。俺はもうアンタ達と一緒に行くつもりはない。俺は、俺の人生を歩みたいんだ」
そう言った直後、ヒュドラの拳がセトに炸裂する。
だがセトは上手く受け身を取り、すぐに立ち上がった。
わざと受けたのだ。
「気は済んだか?」
「……テメェなにふざけたこと言ってんだ? 私がここまで来るのにどれだけ苦労したか、わかってんのかぁ!?」
「だから、ごめんって……」
「ごめんで済むかッ!! 私はお前を連れ戻す為に、アイツ等に奴隷のような約束までさせられてここまで来たんだぞ!? ……来い、今すぐ私と来い。お前は兵士だ。お前なんかに拒否権なんかない。言うことを聞け」
「……嫌だ」
「嫌じゃない」
「嫌だ」
「嫌じゃないって言ってるだろぉおお!! ガキなら年上の言うことを聞けぇええッ!!」
彼に近づき何度も頬を殴打をする。
必死な表情のヒュドラとは違い、セトは歯を喰い締ばって表情を変えず、断固として意見を変えなかった。
少年兵時代で大人に何度もぶたれるのは慣れている。
我慢しつつ直立し続けることなど、この程度の痛みなら造作もない。
そして、今のヒュドラにはそこまでの戦闘能力がないと察知する。
これなら魔剣を使うまでもない、と。
「私についてこないというのなら……殺すぞッ!」
「今のアンタじゃ俺を殺せない」
「な、な、な……なめるなぁああああ!!」
ヒュドラが剣を引き抜き振り上げる。
とうの昔に正気を失った彼女を無力化させるのは実に容易い。
────だが、手に持ったナイフで応戦しようと思った直後に思わぬ展開となってしまった。
ヒュドラの動きが止まる。
彼女の後ろで誰かが立っており、片手で強く彼女の刀身を握りしめて止めていた。
それは眠っていたはずのサティスだった。
いつものコンバットスーツをまとい、月光にて眼鏡のレンズを輝かせていた。
そのレンズの奥の瞳にセトは思わず息を飲んだ。
猛禽が如き殺気を孕んだ眼光。
獰猛な動物のように収縮した瞳孔をした目で、ヒュドラを睨みつけていた。
「な、き、貴様、は……ッ!?」
ヒュドラも思わず言葉の中に恐怖を滲ませる。
「────……なにをしているんですかアナタは?」
「魔王軍幹部、サティス! 貴様がなぜここにッ!」
「質問に答えなさい。……アナタは、この子に、なにをしていたの?」
サティスの中にある魔人の本性。
セトもこれまでの安らかな生活でほぼ忘れかけていた。
人間の女と魔人の女は見た目に差異はなかろうとも、身体能力や潜在的な力は桁違いだ。
今のサティスは、以前戦ったときと同等か、若しくはそれ以上の敵意とオーラを見せている。
その根源はセトだ。
大事な人が夜中に既知の人物から暴行を受けて、黙ってみているなど出来ない。
「ま……まさか、コイツと一緒に歩いていた美女というのは……ッ」
「ガキは年上の言うことを聞くものなんでしょ? だったら言うことを聞きなさい。────この子になにをしていたの? ……ねぇッ!?」
サティスの目が見開くと同時に、ヒュドラの剣の刀身が彼女の握力で弾け飛ぶ。
彼女の表情は完全に怒りに満ち満ちており、今にもそれが爆発しそうだ。
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