第28話 死のウェンディゴ『アハス・パテル』

 ゲンダーの家に入り、導かれるまま椅子に座るセト。

 イェーラー族の象徴であろう道具の数々が、家具のように並べられていた。


 動物の骨を用いた呪術の道具らしきものや、伝統工芸品のように美しいものまである。

 それらをずっと見ていると、キッチンからゲンダーが紅茶を持ってきた。


「さぁ飲むがいい。私の祖父のレシピでな、飲めばたちまち魂の凝りもほぐせるという最高の一品だ」


「ありがとう。……あの、俺が来ることがわかってたっていうのは?」


「ん? あぁそうだな。全ては偉大なる次元と因果トーテムの導きだ。私は長年イェーラー族の伝統を受け継ぎ、君とあの女性が来ることを予期していた」


「占い、か?」


「フフフ、まぁそう捉えてもらっても構わない。他の者からみれば胡散臭いことこの上ないだろうからな」


 老いた祈祷師は皺を笑みで更に歪めながら紅茶をすする。

 

「……なぁ、俺のこともわかったりするのか?」


「全てではないよ。だが、君からは血と鉄に汚れた過去が見える。あの女性もだ。……あぁ安心してくれ。別にどうこうするつもりはない。そういう連中もこの村には多い」


 ゲンダーの朗らかな笑みを見ながらセトは紅茶を一口。

 口の中で広がる風味が一気に心の奥底まで染み渡った感覚がした。


 更にそれを飲み込めば、身体の芯から温まり、穏やかな気持ちになっていく。

 心なしか心臓が落ち着いた鼓動を刻んでいるような気がした。


「……さて、紅茶も堪能してもらった所でだ。君は私になにか聞きたいことがあって訪れたのではないのかね?」


「そ、そうだった。実は────……」


 セトは昨日の洞穴のこと、そして今日リョドーから聞いたことを話す。

 無貌のトーテムポール、死のウェンディゴ『アハス・パテル』、そしてイェーラー族のこと。

 ゲンダーは頷きながら耳を傾けてくれた。


「なるほどな。そこはアハス・パテルを祀るかつての儀式の場であったのだ。本来トーテムポールは木で出来ており、雨風によって腐食しなくなっていく。自然のまま朽ちていき、土へ還る────。この在り方こそが是とされ、保存や修復などは余程のことがない限りされない。だが、アハス・パテルを祀る場に建てるときは違う」


「サティスは鉱物のようだとも言っていたけど……」


「如何にも。……とはいえ、あのトーテムポールの作り方を知る者は限られておってな。その者の子、またその子供へと引き継がれていくものなのだが……残念ながら私の家系はそういったものではないらしい。よって製造法はわからない。だが、あのトーテムポールの意味が『不変』であることだけはわかる。一切の変化なき状態……それは『死』を意味する。ゆえに、死のウェンディゴを祀る場にはあぁいったトーテムポールを建てるのだ」


「他にもあるってことか……」


「恐らくな。……アハス・パテルの話をするとだ。彼の伝説の序章は世界がまだ暗黒と焦熱の時代であったときとされている。彼はそのときから存在し、自らの身体を用いてあらゆる命を作った。……空、大地、海、山、川、魚、鳥、そして人間。この世界を形成する全ての命を彼は何万年、若しくはそれ以上の年月をかけて作り上げたのだ。とはいっても一から十までというのではなく、命の繁殖力を利用し、更に長い時間をかけ地に根付かせた」

 

 本当に神話のような話だ。

 もっとも、全知全能の光り輝く神ではなく、死そのものと言っていい存在から命が生まれるとは、流石のセトもイェーラー族の伝承には驚きを隠せない。


「全ての命は死から借り受けたモノ。即ち、いずれはアハス・パテルに返さなければならないものだ。その期間こそが寿命というもの」


「……怖くないのか? 自分の命なのに、借り物だなんて」


「死とは残酷なもの。赤子であれ女子供であれ、死ねばその命は容赦なく彼に返還される。……だが、我々イェーラー族は死を恐れない。例え死しても肉体は土へと還り、また新たな命を育む糧となる。アハス・パテルに返還された命は、また別の命へと変わることだろう」


 ゲンダーの目は朗らかで若者のように輝いていた。

 セトは思わず息を飲んだ。


「先ほども言ったように命は死からの借り物だ。だが、むやみやたらと命を刈り取り命を軽んじる者には怒りを示す。逆もまた然りだ。死を受け入れることを過剰に恐れ、無意味に生き長らえさせようとする者にもアハス・パテルの怒りを喰らうだろう」


「死の……怒り?」


「とはいっても彼は直接手を下して命を刈り取るようなことはせぬ。伝承によればな、前者にはその者が最も恐れてやまない末路を辿るように歩ませ、後者にはその命を中心に周りの命達を不幸にしていき、その者の命が尽き果てて尚残る傷跡を残した上で、命を受け取るのだ」


 聞けば聞くほどおぞましい話だ。

 セトとサティスは恐らく前者に相当する。


 セトが額から嫌な汗を流しているのを見て、ゲンダーは大きく笑った。


「ハハハ! 怖がらせすぎたかな? さっきのは伝承とは言ったが、基本的に言えば命に対する戒めのようなものだ。戒めの為にアハス・パテルの名を使っているだけにすぎん話だよ。そんなに重く受け止める必要はない」


「そ、そうか……こういう話はやっぱり少し苦手だな」


「フフフ、今どき珍しい。王都の子供達に話したときは欠伸をしていたか大笑いしたかのどちらかだった」


 再び紅茶をすするゲンダー。

 そんな中、セトはあることを切り出す。

 あの洞穴の祭壇でみた黄色いローブのような触手の塊の壁画。


 自分には見えたがサティスには見えなかった。

 それを伝えたとき、ゲンダーの表情が一瞬にして真剣なものになる。


「……君は、見たというのか?」


「あ、あぁ。サティスには見えなかった……っていうか、そのときには消えてたみたいだったけど。まぁ見間違いかなって」


「見間違いなどではない」


 ゲンダーがティーカップを受け皿に置き、姿勢よく座り直す。


「アハス・パテルの姿絵は随分前に消失している。だが、私は幼き頃その姿絵を見たことがある。今でも忘れられん。あのおぞましくもどこか虚無的な美しさを孕んだ姿形。フードに隠れた顔部分から膨大なエネルギーの渦を感じたような錯覚を何度も覚え、しばらくそれが夢にまで出てきたほどだ。……君の言った壁画と私の記憶、合致する」


「じ、じゃあアハス・パテルが……俺を狙っているのか!?」


 セトが思わず立ち上がる。

 そんな彼をゲンダーが手で制させた。


「落ち着くのだ。もしかしたら……君を試しているのかもしれん」


「試す? 俺を……?」


「アハス・パテルの伝承において、彼が自ら先んじて命を刈り取ることはない。もしこれが嘘なら、君はすでにアハス・パテルにその命を取られていることだろう。……驚いた。イェーラー族以外でアハス・パテルを認識出来る者がいたとは。……君は余程特別視されているらしいな」


 アハス・パテルがセトを試している。

 常に死と隣り合わせの戦場で生きてきたセトにとっては、奇妙な体験だった。

 

 彼は一体セトのなにを望んでいるというのだろうか。

 セトは慌て怯えるどころか極めて冷静に考えこんでいた。


「ほう……冷静に現実を見据える目だ。余程の修羅場をくぐって来たらしいな」


「まぁ、よくよく考えれば俺は死の隣で飯を食ってきた人間だからな。死に試されている、と言われても今更な感じはする」


「そうか。強いのだな。だがまぁ、もしかしたらアハス・パテルは君に死の警告を促しているだけなのかもしれん。十分に気をつけよ、と」


「気をつけろ、か。……そういうことだったら喜んで聞き受けるさ」


 ふと窓の外を見ると、薄暗くなり始めている。

 これ以上の長居はサティスを心配させてしまうだろう。


「ふむ、では最後に君にもう2つだけ。魔王軍の侵攻が弱まっている。明日にでも国境は開くであろう。もし旅を続けるのならチャンスだ。そして、もうひとつ」


「なんだ?」


「……かなり近い内に君達に客が来るかもしれん。最も招かれざる客ではあろうが」


「それは誰だ?」


「全ては見えなかった。ただ……酷く弱り切っていて、それでいて狂気に満ちた目をした女だ。ひとり大地を幽鬼のように彷徨っている」


「わかった。気を付けるよ」


 そう言ってセトは礼をしてから家を出る。

 駆け足で家へ戻る彼を見送りながら、ゲンダーは祈りをひとつ。


「其方等に偉大なるトーテムの加護があらんことを……」


 アハス・パテルに魅入られているであろう彼の背中を見るが、ゲンダーは不意に微笑んだ。

 セトという少年は他の少年と比べればまるでオーラが違う。


 その背中には死の気配はしなかった。

 彼の心には今、光り輝くなにかがある。


 それを感じ取ったゲンダーは、セトの未来を祝福した。

  

「あれが破壊と嵐セトか。兵士ではなく、剣士の目をしてきている。彼ならどんな困難さえも乗り切れる、未知なる可能性を秘めておるやもしれん。アハス・パテルよ……アナタは彼になにを見出すのか」


 そうして家の中へ戻っていく。

 久々に良い物を見たように、彼の顔はいつになく朗らかだった。








 一方、ベンジャミン村の外側。

 すっかり暗くなった空に浮かぶ月に照らされながらある人物が歩いていた。


「フフフ、セト、セト、セ~トォ……セェェェエエエトォォォオオオッ!」


 それはかつてのパーティーメンバー。

 女武闘家ヒュドラだった。

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