第11話 昨日の夜は、朧げな蝶の夢のように……。
瞼の裏が薄っすらと明るくなっているのを感じた。
開くと、朝の色彩が人々の賑わいと共に目と耳を刺激した。
「もう、朝なのか……」
いつもはもっと早くに起きていた。
だがこの日はそれよりずっと眠っていたらしい。
そう、サティスと共にベッドで寝た前の夜……。
「げぇえッ!? 嘘、これ……マジかッ!?」
昨晩の出来事を思い出すや意識が一気に覚醒し、セトはベッドから飛び起きた。
大人の女の人に添い寝をしてもらうなど、今まで考えもしなかった初めての事態に激しく動揺した為か、彼はそのままベッドから転げ落ちる。
大きな音を立てて派手に床に頭をぶつけたセトは、羞恥のあまりその体勢のまま動けなかった。
否、動きたくなかった。
動こうとすれば昨晩のことを思い出してしまうから。
思い出したくない恥ずかしい過去に対する忍耐など持ち合わせていない。
「……なぁにしてるんですかアナタは」
サティスの声が聞こえた。
彼女はすでに着替えてセトが起きるのを待っていたらしい。
妙な体勢で床にへばりついているセトを見下ろしながら、サティスは彼を朝食へと誘う。
「……え、今はいいって? ダメです! 朝はキッチリ取らないと」
「……じゃあ起こしてくれ。動けそうにない」
「自分で起きなさい」
サティスの朝からキツイ口調にセトはしぶしぶと身体を起こした。
顔を紅潮させ、視線は彼女から反らしている。
口をずっと紡いだまま"おはよう"の声ひとつない。
「ん、具合でも悪いんですか? 熱はないみたいですけど……」
「わっ! わっ! だ、大丈夫! 大丈夫だからッ!!」
急に額を触られ、ドタバタと身じろぎする。
そのまま装備品等を取り付け始めるが、どうもいつものように素早く出来ない。
心臓が高鳴り、手も震えた。
(クソ……なんだってんだこの状況……こんなの今までなかったのにッ!)
なんとか準備が終わり彼女の方を振り向く。
扉近くの壁に寄り掛かっていた彼女は、優しく微笑みながら待っていてくれた。
その微笑みにセトの心は一気に安らいでいく。
なぜかわからないが、彼女の微笑みを見ると落ち着くのだ。
この心の急な変動に困惑を隠しきれなかったが、とりあえずサティスと共に朝食へ向かう。
席は昨日の場所と同じ端っこ。
不思議とここが落ち着くのだ。
セトは、昔からサティスとここへ何度も訪れていたかのような錯覚を覚える。
戦場にしか過去がない彼に、本来日常で持つはずがなかった懐古的感情だ。
この不思議な感覚に、妙な居心地の良さを感じる。
その思いを胸に、セトは彼女と席に着いた。
朝食はパンにあっさりとしたスープ。
それと、ケチャップをたっぷりとかけたホカホカのスクランブルエッグ。
朝の食事だけでここまでありつけるのは、まるで夢のようだった。
穏やかな時間、外では市場に人が集まり、街に活気を呼んでいる。
戦場から遥かに離れたこの空間で、2人だけの時間を楽しんだ。
(だが……やっぱりどうしても目がいく……ッ)
身長差ゆえか、セトと向かい合うように座っているサティスの胸に目がいってしまう。
ここまで意識することはなかったはずなのに、露出度の高いその扇情的なコンバットスーツから主張するように形成される美しい谷間。
物を食べるたびに艶めかしく動く唇、落ち着いた時間の中で穏やかな輝きを持つ瞳。
敵対していた頃では全然目がいかなかったであろう、彼女自身の持つ女としての最高のプロポーション。
昨晩のことがあってから、時折サティスのことをそういう風に見てしまう自分自身に、セトは一種の罪悪感を芽生えさせていた。
「……どうしたんです? さっきからヒトのことジロジロ見て」
「そ、そうか? 俺は別に普通だぞ……」
「……ふぅ~ん」
若干ドギマギしながらも食事だけに集中するようにセトは食べるペースを速めた。
すると、サティスがすっと手を伸ばし、セトの下唇辺りを指先で触れる。
それだけでもびっくりした。
なにごとかと思っていたら、どうやらケチャップが付いていたらしい。
それを彼女が指先でとってくれたようだが……。
「ん……」
サティスはそれを当たり前の如き動作と態度で平然と舐めとった。
セトと視線を離さずに、じっと見つめながら。
「な……な……ッ!?」
「女性の胸をジロジロ見る悪~い子には、これくらいが一番丁度いいですね」
そう言って彼女は妖しく微笑み、コーヒーを静かにすすった。
セトも水を飲もうと口へ運ぶが手が震えていくらか零れていく。
(この女……俺を殺す気か……?)
今にも悶え死にそうなのを必死に我慢しつつ、セトは考える。
このままいけば本当に死にかねない。
彼女にはそれだけの色気と妖艶さがある。
(考えろ……冷静になるんだ。俺は兵士だ俺は兵士だ俺は兵士だ俺は兵士だ俺は兵士だ俺は兵士だ……ッ! ……よし)
考えがまとまり、今日の予定を提案した。
「なぁサティス。今日は、別行動をしないか?」
「え?」
「俺、この街を色々見て回りたいんだよ! な、いいだろ?」
「私とじゃダメなんですか? ……夜とは違う綺麗なこの街の景観。2人っきりで見たいとは思わないんですか?」
早速言葉に詰まった。
サティスの提案は今の自分にとってあまりにも魅力的過ぎる。
彼女と同じ時間を過ごす。
そう考えるだけでも胸が高鳴った。
サティスはどうやら完全にこちらの魂胆を見抜いたようで、わざとらしく胸を強調するように頬杖をついて艶美に見つめてくる。
(あ、これ無理だ。勝てない)
本能的に悟ったその直後、サティスはクスクスと笑みをこぼす。
「フフフ、意地悪が過ぎましたね。……わかりました、じゃあ今日はアナタの提案通りに行きましょう」
「え、良いのか?」
「ただし、荒事には首を突っ込まないこと。荒事に巻き込まれても魔剣の使用は控えてください」
「それは……なぜ?」
「魔剣は通常の兵器よりもずっと威力の高い武具です。そんなものを子供が振り回している所を他の人に見られて御覧なさい?」
「……あらゆる面で危険が伴うって言いたいわけか」
「まぁ大雑把に言えばそうですね。魔剣が使える子供なんて、平和に生きる人から見れば……」
「化け物、か」
「それに、また戦場でその力が利用される可能性も出てくる。折角手に入れたのに戦場に逆戻りなんて嫌でしょう?」
「……そうだな。よしわかった。約束は守る」
こうして今日は別々に行動することとした。
サティスは情報を集める等したいとのことで、街の色んな所を回るらしい。
正直サティスだけに仕事のようなものをさせるのは気が引けた。
だが、彼女は優しくこう告げる。
「アナタは子供らしく遊んでらっしゃい。お手伝いして欲しいときはキチンと言いますので」
その言葉に甘え、セトは1人街を歩く。
こんな風に街を歩くなんて始めてだ。
溢れるような人混みが、セトには新鮮に映る。
別になにをするでもなく歩いていると、曲がり角で誰かとぶつかった。
「あ、すまない。大丈夫か?」
そう声を掛けると……。
「いってぇな、気をつけやが……って、なんだボウズじゃねぇか。もう会うことはねぇと思ってたのに、ハハハ、奇妙な縁もあったもんだ」
「アンタは……ホームズか?」
それは風呂場で出会ったあの伊達男だった。
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