第10話 俺にとって、それは夢のような夜の時間だった。

 彼女との散歩は、人生における最高の連続だった。

 明るい街並みと穏やかに流れる時間の中を、彼女と一緒に歩んだ。


 兵士や幹部という立場では決して味わえない光景。

 サティスとセトはその目にしっかりと焼き付けていく。


 今この瞬間にある争いのない空間に、心が穏やかになっていくのがわかる。

 

「綺麗ですね、こんな風に歩いたことなかった」


「あぁ、本当に……」


 行き交う人々の中には様々な表情がある。

 仕事に疲れトボトボ帰る労働者や、酒に酔いながら次の店へ梯子はしごする景気のいい冒険者達等。


 彼等の人生が街の光に溶け込んで、より一層街の賑わいに深みを与えている。

 時折漂う酒や料理の強烈な香り、人々が醸し出す熱気、所々で聴こえる独特の力強いリズムとスイングを持つ音楽。

 それら全てがひとつの世界を形成していた。


 そんな中で、隣を歩いてくれるサティスは輝いて見えた。

 彼女の姿は歩くたびにより艶めかしく映り、街の光で肌の輝きが優しく揺れる。


 ただでさえ露出度の高い衣装である為、最早夜の散歩という小さな時の流れではなく、より一層濃厚な男女の時間に感じてしまう。

 初めて感じる気分にセトは耐えながらも、彼女を周囲から守るように歩いた。

 

 まるで御伽噺のような時間だった。

 夢を見ているのではないかと、そう錯覚してしまうほどに。


(これが……普通の……人生、なのか?)


 しばらく歩き、宿屋へと帰る。

 名残惜しかったが1日が終わりを迎えていた。


 眠ってしまえば明日が来る。

 この夜の雰囲気をもう少し味わいたくて、セトは少しもどかしい気持ちを覚えたが、やはり疲れはある為休息は必要だ。


 きっとサティスも疲れている。

 ……さて、さぁ休もうかと部屋に入るが、ベッドが1つしかない。


 チェックインはサティスがやってくれた為、セトはどんな部屋になるかは聞いていなかった。


「ごめんなさい、この部屋しか空いてなくてですね」


 薄汚れた白塗りの壁にかけてある、誰かが描いたであろう絵画。

 床には簡素なカーペットとその上に置かれたテーブル。


 豪華な部屋とまではいかないが、セトにとっては十分すぎる部屋だ。


「いや、いいよ。俺は床で寝るから、ベッドはアンタが使ってくれ」


 ごく当たり前のようにセトが言ったが、サティスはそれを棄却する。


「ダメです、折角部屋を取れたのに床で寝るなんて許しません」


「……いや、どう考えてもここはアンタが使うべきじゃ? アンタ床で寝たいのか?」


「そういう意味じゃありませんよだ。……2人で使えばいいじゃないですか」


 ────セト沈黙。

 一瞬目の前のこの女性がなにを言ったかわからなかった。


「え? 使う? ……ん?」


「いや、だからぁ。一緒にベッドに入って寝ましょって?」


「えぇッ!?」


「あれ? もしかして、超照れてます? アハハ、可愛いんだ!」


「いや……だって……、アンタはそれでいいのか!?」


「別にいいですよ? アナタとなら、ね?」

 

 からかうように笑うサティス。

 これが『大人の余裕』というモノなのかと、セトは困惑と羞恥の表情を見せながら思った。


 女性との関わり等全くと言っていいほどなかった彼が、なんとこんな美人から誘いを受けたのだ。

 女性関係はおろか、対人関係もやや怪しい彼に対処法などわかるはずもない。


「あれれ~? もしかして、イケないこと考えてますぅ?」


「え゛! いや、違う、これは……」


「お触りは禁止、で・す・よ?」


 そう言って彼女は空間魔術で入り口らしき穴を開き、その中へ入ろうとする。

 寝る用の衣装に着替えるそうだ。


 その間セトは装備品等を外して身軽になる。

 そしてベッドの端に座り、頭を抱えながら沸騰していた。


(こ、こんな状況は今までの経験にはなかったぞ!? 大人だって教えてくれなかった!)


 そうこうしている内に、サティスが欠伸をしながら出てきた。

 黒を主とした上下の衣装、だが相変わらず露出度が高い。


 上はチューブトップで豊満な胸部を包み込み、下はゆったりとしたショートパンツ。

 後ろで束ねていた髪はほどいており、眼鏡はしまってある。


 今までに見たことのないサティスの登場に、セトは思わず固まった。


(この状況で……この格好のサティスに耐えながら寝る? ────いや無理だろ?)


 セトの中の諦観の念が、今夜は不眠だなということを伝える。

 あまりに刺激的過ぎた為か、セトはもう考えるのをやめた。


「あら。似合ってるよーとか、そういう言葉はないんですか?」


「……────こういうとき、大人ってどうするんだ?」


「ワタシニモ、ワッカリマセ~ン」


 おどけたように言いながら、彼女はセトと背中合わせになるようにベッドに座る。

 

「……こっちを見てくれないんですね」


「か、からかわないでくれ……」


「触るのはダメって言いましたけど、見るのはダメって言ってませんよ?」


 赤面しながら弱弱しくなる少年の姿に、サティスはクスッと艶っぽく笑む。

 セトは完全に手玉に取られていた。


 かつて敵対したこの女性のしたたかさを彼は再度認識した。

 

「さぁそろそろ寝ましょうか」


「いや、寝れそうにない」


「大丈夫、アナタは今夜ぐっすり寝れますよ」


 信じがたい言葉だったが、とりあえずは横になることにした。

 仰臥位のまま目をバッチリと開き天井を見つめる。

 横にいるサティスを見ればもう確実に寝れない。


 これは持久戦だと、朝まで微動だにしないことを覚悟した直後、ふんわりと良い香りがする。

 花の匂いかなにかだとは思うが、それは彼の心を非常にリラックスさせた。


 身体の緊張が抜けていき、ぼんやりと眠気がセトを覆い始める。

 一体なにが起こっているのかわからなかった。

 だが、深く考えることも出来ない。


 すると、隣で寝転んでいたサティスの左手がセトの頬を撫でた。

 そして彼女はセトに甘く優しい口調でささやく。


「言ったでしょう? ちゃんと眠れるって」


「……ぁ、こ、これ……は」


「ちょっとした魔術です。────さぁ、そのまま楽に。大丈夫、ここにはアナタを傷つけるモノはなにもない。だから休んでいいんですよ。……いい子だから」


「ぁ……ぅ……」


 ずっと上を向いているせいで彼女の顔を見ることは出来なかった。

 見ようと思っても、もう身体が動かない。

 彼女の温もりとこの香りに包まれながら、セトは安楽な睡眠の中へと堕ちていった。



 セトの寝息が静かに薄暗さの中に響く。

 月明かりが窓とカーテンの隙間をぬって部屋へと注ぎ込まれる中、サティスは眠ったセトの頭を撫で続けた。


「……まったく、手間のかかる子なんだから」


 それは『慈愛』にも似た微笑み。

 魔王軍にいた頃では絶対に見せることが出来なかったであろう彼女の新しい表情。


 凄まじい暴力を受け、一度壊れた心。

 セトと出会い、ここまで来たことで新しく芽生えた感情。


 人を愛するなど決してしなかったサティスが、唯一彼に向けることを許した思い。

 その微笑みのまま、サティスも瞼を閉じ眠りへと入る。


 あれだけ賑わっていた街も今は静寂に包まれている。

 月明かりと暗闇が彼等に等しく安息を与えていた。


 次の日の朝が来るまで、その安息を……。

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