第7話 俺達は湯船の中で、それぞれの時間を過ごした。

 クレイ・シャットの街。

 ここの公衆浴場テルマエは、諸外国からの人気も高く、噂を聞きつけた旅の商人や冒険者達がよく来ては疲れを癒している。


 ここで商売をする者も多く、繁盛期ともなればほぼお祭り騒ぎになるほどに夜も賑わう。

 セトとサティスがたどり着いたのは夕方だった。

 早速宿を取って施設を利用することに。


「じゃあ、ごゆっくり。あんまり浸かりすぎちゃダメですよ?」


「安心しろ、兵舎では少年兵は10秒で上がるよう指示されてた」


「うんもっと浸かりなさい。あと身体は綺麗にね」


「わかった」


 男湯、女湯とわかれて各自浴場で湯船に浸かり、これまでの疲れを癒していった。


「あ゛~……生き返るぅ」


 女湯でサティスはその裸身を湯船に浸からせ、じんわりと体の芯まで届く湯温に羽を伸ばしていた。

 これまでの緊張がほぐれて、表情は以前のような活気が戻っている。


「彼と出会わなかったら……きっとオフロに入れなかったんだろうなぁ」


 人間以上の肌のきめとハリを持ち、そのプロポーションたるやまさに女神的女体。

 魔王軍の紅一点というだけあって、美しさもまた人外級であった。


 全身にお湯を撫でるようにまとわせ、指先までしっかりとほぐしていく。


(……不思議ですね。かつては魔王軍で活躍し、人間なんてと見下してた私が、こうして浴場でくつろいでるなんて)


 本当ならサティスは、この街を攻め落とした後この浴場を独占するつもりだった。

 だがもうそんな必要がないほどに落ちぶれている。


 不思議と悲しくはない。

 セトと出会ってからだ。


 セトと出会わなければ、きっと魔物に追いつかれた後殺されていただろう。


「……あの子に感謝しなくちゃ」


 浴場の天井付近にある窓から一番星を見つけて、ふいに優しく微笑む。

 柔らかな気持ちがお湯の心地よい温度にのり、彼女を更にリラックスさせていった。


(そう言えば、彼はちゃんと浸かっているんでしょうかねぇ。……ぶっちゃけ、ここ広いから泳ぐの我慢してウズウズしていたりして。なぁ~んて……そこまで幼くはないか)




 一方、男湯ではセトの苛烈な葛藤が続いていた。


(……泳ぎてぇ)


 あまりに広い湯船、客は多いがそれでも余裕のある空間。

 だがここは遊泳禁止、当然である。


(湯加減も完璧、時間制限なし、そして気分が高ぶってくる。……これほどの条件がそろっていながら、俺から泳ぎを奪おうと?)


 あれだけの戦闘の後の徒歩での移動。

 それでも動き回りたいという活力は凄まじい。 


「いや、我慢することはないな……俺は魚になるッ」


 直後、隣の髭面の男に止められた。


「ボウズ、ここは泳ぎは禁止、だぜ?」


「くッ……」


 大人しく湯船に浸かることにしたセトに、男はまた声を掛ける。


「ここいらじゃ見かけねぇつらだな。……旅人か?」


「そんな所だ」


「腕っぷしもいい。そうだな?」


「……ケンカだけなら」


「クックック、謙遜しなさんな。……わかるよ、地獄を見てきた奴の目だ。元少年兵ってトコか?」


 男は満足げに鼻で笑いながら、布で顔を拭う。

 一目見ただけで、少年兵だったと見抜いたこの男の慧眼に息を呑んだ。


「ここはいいねぇ。疲れが一気に吹っ飛ぶってもんだ。……長いこと戦いに興じてるとよぉ、真夏の暑さも戦場の熱も大して変わらなくなる。だが、風呂は別だ」


「アンタは傭兵か? 正規部隊の人間には見えない」


「その通り。まぁいつかは衛兵かなんかになって落ち着いた生活でも欲しい所だがね」


 男は皮肉っぽく笑った。

 彼には夢がある、いつかは落ち着いた生活をと。


「俺も夢がある。色んな所を旅して、いつか自分の家を持つ」


「良い夢だ。……あの綺麗でナイスバディな姉ちゃんと一緒にそうしたいか」


「────ッ!」


「待て待て、別に取って食うつもりはねぇよ。これは傭兵の勘だがね。あぁいうのに変に首突っ込むとロクなことにならねぇって思うのよ、俺は。だから深くは問わねぇ。それと、俺と敵対してぇってんなら戦場だけにしてくれ。プライベートでも敵作っちゃゆっくり出来ねぇ」


 この男は偶然セト達のことを見かけただけらしい。

 敵意や殺意、そして嘘をつくような素振りは見せなかった。


 なにより傭兵としての威厳が雄々しい肉体からあふれ出ている。

 性格は兎も角、わりと芯の通った人物だとセトは感じた。


「さて……俺はそろそろ上がるぜ、ボウズもどうだ? 長いこと浸かってたってのぼせるだけだ」


「あぁ、そうさせてもらうよ」


「本当なら出会ったえにしで酒の一杯でもみ交わしてぇが、まだガキだしな。それにこんなムサイおっさんよりもあの姉ちゃんと一緒の方がいいだろ」


 そう言って男は鼻歌交じりに上がっていく。

 彼の背中を見てなにかを感じたセトは、ふと彼の名が気になった。


「なぁ、アンタ名前は?」


「あん? 俺かぁ? そうだなぁ、"ホームズ"とでも呼んでくれ。……あ、ボウズの名前はいらねぇよ? もう会うこともねぇかもしれないし」


「え、でも……」


「もしも、次また別の場所で出会ったなら教えてくれや」


 そう言って彼は立ち去っていった。

 セトはしばらくしてから、湯船から上がる。


 脱衣所で服を着て外に出ると、湯上がりのサティスが手を振って彼を呼んだ。


「随分と長風呂でしたね。……うん、綺麗になった」


「サティス、元気出てきたな」


「お陰様でね。……さ、宿へ行きましょう? そこのお料理とても美味しいらしいですよ」


「ホントか!?」


 食事のことになると目を輝かせるセトに、サティスは満足げな笑みを浮かべる。

 外はすっかり暗くなり、満天の星が心地よい風と共に彼等を迎えてくれた。



「ところで、オフロで泳ごうとか考えませんでした?」


「ぬッ……!?」


「あ、してたんだ……」


 彼女が可笑しそうに微笑んだ。

 セトは少し恥ずかしそうに頬を染めた。


 2人は並んで宿屋へと向かう。

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