第3話 タクシードライバー
量販店内のレストルームでダグラスたちの前にゆらりと立つ痩身のマクロスキー。
ニット帽にグレーのパーカー、ネズミのような細面に出っ歯、嫌味な眼光を飛ばしてくる。
そのヘラヘラ嘲笑う発声に彼らは固まった。
「ダグラス。そしてハリーにブライアン。元気そうだなシンデレラ・ボーイズ。金持ちに拾われてなおズル賢く、いいご身分で暮らしてるらしい」
舌打ちしてハリーが返す。
「相変わらず口悪いな。あん時
「はあ? 知らねえし。俺はただの目撃者だ」
ダグラスはシッシと手の甲であしらった。
「あれは正当防衛だ。お前、わかるぞ。俺たちを妬んでるな?」
ハリーも腕組みして言う。
「
ブライアンもいきり立つ。
「薄汚えドブネズミが。失せろ」
マクロスキーはゆっくり人差し指をそれぞれ三人に向け、黄色い歯を見せ笑った。
「てめえらも。芯はヨゴレだ。ふっはっは」
****
秘密裏にソサエティ流の護身術や体術、射撃訓練を受けながら過ごした。
計画通り四月にハリーは試験に合格し、警察学校に入った。
ブライアンはフォーク喫茶の店員として働きながらクリスティーンの身辺を警護した。
ダグラスは運転免許を取り、個人タクシーの運転手として暮らし始めた。
初めての客はベルザだった。
ダグラスは降りて黒いフォードのドアを開け、彼を招く。
車もベルザからのプレゼントだ。
ダグラスはいつも綺麗に車を磨いた。
ベルザを乗せ、彼の指示通り隣町まで走る。
〝
「運転が上手いなダグラス。安心して乗っていられる」
「想定しながら走るんです。余裕を持って」
「何事もそうだ。心はニュートラルに」
「……しばらくこれで、働き続ければ?」
「うむ。街に溶け込むようにな。この仕事で時に苦い思いをするかもしれない。だが腹を立てずに冷静にあらゆる人間の話に耳を傾けるんだ。情報収集になる。知るために、町をよく見渡すんだ。話は繋がっている。そして目立たぬように。またいずれ指示を出す」
若すぎる運転手は当初目立ち囃されたが、鼈甲縁の丸眼鏡に無精髭、地味な古着姿で色もなく、世間知らずで話がつまらないと評された。
客は自分本位で好きなように言う。
「兄さん歳いくつだ? 天気いいですねくらい言えんのかい。むっつり黙りくさって」
その狭い空間でひととき、彼らとダグラスは主従関係になる。
「その若さで事業興したってわけか。金持ちのボンボンか? さては……どうやって儲けた?」
「儲かんねえだろタクシーなんざ。ほら見ろあのビル。お前もあそこで働けばいい。マフィン電子は時給一千ニーゼだ」
「この街はロレンツォで潤ってる。銭持ってんだよ半端なくな」
話す事といえば銭と仕事の愚痴と異性問題、そして戦争について。
「体格も良く元気もあり余ってるはずだがそういう事情なら仕方ねえ。対岸でお国のために戦ってる男たちに恥じないようにな」
はい、そのように思うでありますと逆らうことなく首肯してみせた。
戦時中に徴兵を免れたのは集団行動ができない発達障害だとうまく説明し、同業者の女性運転手からも慰められた。
「アタシの旦那は密恐怖症なんだけどね、体力だけはバカみたいにあるから狩り出されちゃったよ」
「うー、あたいがあと二十若かったらねー! あんたに迫るとこだけど。彼女いるのかい?」
「あたしゃそのハスキーボイスにやられちまうよ♡ 風邪ひいたような声が母性本能くすぐるのさ」
「ダグラス兄やん、もうちょっと小綺麗にした方がモテるで。ほらー、表情ももっと明るくできへんのんか」
しかしおば様たちはよく喋る。
それぞれにご亭主が兵役で、代わりに働いてるといった具合だ。
喋らん者は地獄に落ちるというから、おば様たちは皆天国行きだ。
ああもう、ほっといてくれ! と、ダグラスは鏡に作り笑いをし、茶髪と無精髭を少し整え、その日もめげずに勤務を全うした。
そのうち終戦。
勝ったか敗けたかわからない戦争から男たちが還ってきた。
はげしい雨は止んだ。
ラジオから流れる虚無と悔恨。
《……その澄んだ目に何を映したのか。
黒く焼けた枝に塗りつけられた血。
雷鳴と警報が今も耳を劈く。
炎に包まれる女性たち。
その手の中で、轟く地べたで泣く子供たち。
銃と罵声と惨劇に傷ついた若者。
雨上がりに微笑んだ虹。
お前の武器を捨てろ。
憎悪を放り捨てるんだ。
それは愚かな男たちの戦い。
誰も勝たない戦争だから……》
車内には数多の人生が映し出される。
怒りも妬みも悲しみも愛憎劇も。
浮気した妻を殺してやると言う映画監督。
次期市長選候補者の売り込みと抑圧。
刺すような目で威嚇する娼婦たち。
冗談を言った相手を殺したという無法者の青年。
片足で還ってきた中年の息子の手を握ったまま放さない年老いた母親。
客を乗せていなくても、ラジオが人生を語る。
音楽が慈しみと悲しみを語る。
ダグラスは時折彼らの人生を旅した気分になる。
そして不思議とわかったような気持ちになる。
ただ話を聴いて頷いてあげることが彼らにとって最良の癒しだ。
それを学んだ。
そうやって夜のネオンと漂うように流しながらおよそ二年、ダグラスは表向き平凡に暮らした。
そして再びベルザを客として乗せたある夜、本題の任務が言い渡された。
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