東尋
傍観者であり続ける事は気が楽だったのだ。
欲しいものも手に入らなければ、持っているものも失われていくだけなのに、何もせずにいる。
それはどうしてなのだろうか。
それすら判らないまま、ただ無くしていく現実をぼんやりと諦観を持って眺めるだけだった。
欲しいものを欲しいと願うこと。それだけは辞められないまま、それは間違った事なのだと自分をどうにかして矯正してきた。
何も願わなければ、何も失う事にはならないのだと、そう自分に言い聞かせてきた。
そうして得られるものは怠惰以外にはあり得ない。
怠慢を享受し、堕落し続ける我が身を案じる心を押し殺し、未来に対する希望を総て捨て去り、達観を演じる事で行動する事からの逃亡を図り続けた。
しかし、失い続ける我が身の喪失は膨らみ続ける。
恐怖を孕んだ無気力の風船が、私の、僕の心の余裕を埋め尽くした時、その頑強な風船のゴムがぱちんと弾けた気がした。
その内に溜め込まれ、無気力という檻にて辛うじて封じられていた恐怖の波が僕の心の端々まで流れ込んできた。ただただ膨大な恐怖心は、無気力の檻から解放されることでひとつの指向性を得る。
つまりは自殺願望だ。
生きていてもしょうがないという、それだけの理由だった。
僕が僕であり続ける限りは、望みを得られはしないのだと、長い時間をかけて知ってしまった。
来世に希望を賭けての行動ではなかった。
日本人の大多数が無宗教だと思うが、それは多神教ゆえのもので根本的なところ本当に居ないと割り切っている日本人も少ないはずだ。
私はというと、人間と機械を同じようなものだと割り切っている。
生命という仕組みに、たまたま生まれた意識というのが所謂魂なのだと。身体と魂を離れ離れにはできないのだと、そう理解している。体が消えれば、心も、つまるところ魂の行き場も無くなるのだと。
この身体だからこそ、私は私たり得てしまう。
ならばいっそのこと、私は私で、この不出来なひとつの絡繰を処分してしまおう。死んでも、あの世だとか、来世には行き得ない事を理解して、さっぱり消えてなくなろうと。
人間、主体的な行動あるのみだ。
私はそれが出来なかった。でも最後くらいは、やって見せよう。
自殺をしようと考えてまず思い立ったのが、東尋坊だった。
自分が生まれてきたこと自体が間違いだったという思いは、 昔から強くあった。
それを裏付ける形で、あの小説は僕の心に張り付いている。
風の強い曇天の下に広がる、鼠色の反射した水面が地獄のように思えて脚がすくむと同時、引き込まれるような錯覚にあった。崖の上での人間的な心理だとは分かっているが、この崖の下には僕のいない世界が待っているのだと思うと、それはより一層増すように感じる。
それは根本的な願いとは違っても、後天的な完遂にはなるのだから。
そもそもの話を考えてみようと思う。
私には夢があった。誰もが持つありふれた夢だ。
――幸せになりたい
そういう漠然とした、思春期の女子が如き曖昧さを抱えていた。
幸せとは主観だ。得ようと思えば、思いの外簡単に得られてしまう。
ましてや日本は治安もよく、不自由が他よりも少ない国だ。ハードルさえ低くすれば良い。他人と比べずに自分の幸せを感じることが出来たなら、幸福とは存外身近なものだったのかもしれない。
でも、それでは納得できない。納得できない人が大半を占めていると思う。私だってそうだ。相対的に見ても揺るがないものが欲しい。特別でありたい。
昔から誰だって思っていたであろう自分だけは特別なんじゃないかなんていう妄想は、成長するうちに間違いだと気づいていくものだ。挫かれ、へし折られ、そうしながら段々と綺麗に整形しながら直っていくものだろう。
私は、違った。引きずり続けた。
現実を見るのが嫌でとにかく無我夢中になり、内に内に閉じ籠っていった。
歪に変形した自尊心と、屈折しまくった観察眼、内罰的であれという防衛心。
その結果に、生まれたのが夢だ。それまでは風船のような空っぽの自尊心で事足りていた心の拠り所が、弾けて何も残っていない。
仕方なく、未来に希望を持つしかない。
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