21
藤堂先生が「解散」と言うと同時に、千夏は教室を出た。ホームルームが始まる前から、帰る用意はできている。この教室にいる、誰よりも早く帰りたかった。放課後は、千夏が切り捨てたいものがたくさんある。
春の風がやわらかく吹く。まだ誰もいないグラウンドが、光を浴びて白く光っている。階段を下りてグラウンド脇の歩道に出ると、どこからか千夏を呼ぶ声が聞こえた。
「若宮さん!」
あたりを見回したが、どこから声がするのかわからない。近くにそれらしい人影も見当たらない。
「上、四階だよ」
そう言われてすうっと視線を上げると、一年二組の教室の前に祐がいた。
「ちょっと待ってて。忘れ物。明日提出の古典のプリント。今持っていくから」
わたしが取りに行く、と言う前に祐が走り出した。派手な音を立てて鉄階段を駆け下りてくる。
「大丈夫?」
荒い息を繰り返している祐に、千夏は訊ねた。祐は声も出せないのか、無言でプリントを差し出した。
「ああ、これ、この間先生が授業で言ってたやつ。なんかごめんね、もってきてもらっちゃって。それもこんなに急いで。ゆっくりでよかったのに」
よほど急いでいたのか、プリントはしわくちゃになっている。ようやく口が利けるようになった祐は、間に合ってよかったと言って微笑んだ。
気がつけば、グラウンドでサッカー部が練習を始めていた。千夏のすぐそばを選手が駆け抜けていく。高く蹴り上げられたボールが、夕暮れに長い影を落とした。校舎から吹奏楽部が音出しをするのも聴こえる。
部活をしている人たちが羨ましいだなんて、思ってはいけない。そんな気持ちが自分の中にあることは、認められない。彼らは先生たちの甘言に惑わされた愚かな生徒で、早々に下校する自分は現実がきちんと見えているまっとうな人間。吹奏楽部に未練がないと言えば嘘になるが、そう言い聞かせることで千夏は自分を納得させていた。
「いい天気だね。部活日和」
他人事のように言ってみる。未練を断ち切れたなら、口に出しても大丈夫なはずだ。
「若宮さんは部活しないの」
「しないよ」
間髪入れずに千夏は答えた。不自然だっただろうか。でも、一瞬でも自分に考える隙を与えたら、断ち切ったはずのものに引きずられそうになる。
「なんで」
愚問だ。そんなもの、答えはひとつに決まっている。
「勉強しなくちゃいけないから。他のことに気を取られてる暇はないの」
祐の顔を見上げると、本当にどうしてだかわからないという顔をしていた。この表情をよく知っていると、千夏は思った。純粋で無垢で、聡明なくせに何も知らない。祐の瞳の奥に、沙世の顔が見えた。この二人は、似ている。
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