12

 体育館に、先輩がカウントを取る声が響く。ダンス部では連日、体育祭で披露する演目の練習をしていた。一年生は、毎年同じ曲で踊るらしい。振り付けも全く同じで、代々引き継がれているものだ。

 先輩たちがお手本に踊ってくれているのを、あかりはぼんやりと見ていた。彼女らが形作るピラミッドは、そのまま部内の序列を表している。部長でありチアリーダーの先輩は頂点に当たるところに立って、二列目の二人はナンバーツーとナンバースリー。その後ろはダンスの上手な順になんとなく並んでいる。

 お手本が終わって、一年生も適当にピラミッドに並ばせられた。一年生のチアリーダーは既に莉子に決まっていたから、頂点には彼女が立っていた。二番目は小学生の頃からダンスを習っているという子で、三番目はのぞみだった。あかりは適当に三列目に配置されたが、なんだか居心地が悪かった。経験者でもなければ、特別ダンスが上手いわけでもない。まだ後ろに数列続いているのに、たいして実力もない自分がこんなに前にいていいはずがないのだ。

 先輩が、お手本のときよりもかなりゆっくりカウントを取る。エイトカウントで区切りながら、丁寧に動きを見せてくれる。そんなに親切に教えられているのに、あかりはついていくのでやっとだった。前に並んでいる子はもちろん、隣の子たちも難なくこなしているのに、自分だけがドタバタしている。後ろに並んでいる人の視線が刺さるようだ。

「矢島さん、遅れてるよ!」

 先輩の声が飛ぶ。あかりはそれでも声だけは張り上げて「はい!」と返事をした。

 焦れば焦るほど手と足の動きがこんがらがる。ふと前を見ると、のぞみも莉子も完璧に踊っている。なんだか住んでいる世界が違うみたいだ。

「ここでターン!」

 合図と同時にくるりと一回転する。回った拍子にバランスを崩して、あかりは派手に転んだ。

 あかりは笑われると思って身を固くした。けれど、誰も笑いはしなかった。

「あかりちゃん大丈夫?」

 隣で踊っていた子が、あかりに手を差し出した。「ありがとう」と言って、その手を借りる。優しくしてもらったのに、恥ずかしくて仕方なかった。嘲笑されるのも怖かったが、本気で心配されるくらいなら「ドジね」と笑い飛ばしてほしかった。そうでなければ、本当にただのどんくさい人だ。

 周りの人たちは誰も練習を中断したりせずに踊り続けている。後ろで踊っている子の方が、自分の何倍も上手に見えた。やはりここは、あかりの立ち位置ではない。次に並ぶときはもっと後ろにしようと、ひっそり心の中で決めた。

 

 体育祭の当日は、よく晴れていた。放送部がプログラムをアナウンスする声が聞こえる。次は午前の部の最後を飾る、男女混合学年対抗リレーだ。

 あかりはのぞみと一緒に一年生のテントの最前列にいた。莉子が選手として出場するから、その応援をするのだ。

 駆け足で場内に入ってくる莉子に、のぞみが「がんばってー」と手を振る。あかりも黄色い声で「莉子さーん!」と叫んだ。気づいた莉子がこちらをちょっと見て微笑む。莉子の列の最後尾に祐が続いているのに気づいた。そういえば、彼もリレーに出場するのだったか。ふと隣を見ると、のぞみは熱心に祐を見つめていた。

 グラウンドに、三色六人のハチマキがひらめく。一年生は緑、二年生は紅、三年生は黄色。それぞれ一組と二組が出場している。

 目の前のスタートラインで、莉子がクラウチングスタートの構えを取る。体育祭実行委員の男子がピストルを上に向けて構えると、広いグラウンドの全体が静まり返った。

 ピストルが鳴る。張りつめた空気を切り裂くように、選手が駆けだした。応援席も、思い出したように声を上げる。緑軍を応援する声に混じって、あかりは莉子の名前を呼んだ。

 滑り出しは上々だ。莉子は二位でバトンを次の走者に渡した。次の男子も順位をキープしたまま、バトンは第三走者に渡るはずだった。

「あっ!」

 あかりは思わず声を上げた。バトンが落ちた。次の走者の女の子がバトンを拾っている間、二人、三人と抜かされて、あっというまに最下位になった。前の走者とどんどん差が開いていく。

「頑張れ緑軍! 二組!」

 後ろから大きな声援が飛ばされる。あかりも一緒になって叫んだ。結局順位は繰り上がらず、祐の番になった。バトンを受け取った祐は、目にも止まらぬ速さで走り出した。

「え、速い……」

 どこからか、つぶやきが聞こえてくる。のぞみはというと、ぽうっとした顔で祐を見ている。これが恋なのかと、あかりは思った。あかり自身は恋と呼べるような気持ちを抱いたことがなかった。けれど熱に浮かされたようなのぞみの視線を見て、恋であることを確信した。

 わからないな、と思う。どうして声をかけないのか。話しかけて、親しくなって。好きな人とはそういうことがしたいのではないのか。

「ねえ、マキちゃんは及川くんに話しかけたりしないの」

 騒がしい声援にまぎれて、あかりは訊いた。気づいたのぞみが、ちらりとあかりの方を見て微笑んだ。すぐに祐の方に目線を戻す。

「思わないよ。見てるだけでいいの」

「そんなもんなの?」

「そうだよ」

 のぞみはずっと祐を目で追っている。祐はとても足が速かった。そういえば中学生の頃は陸上部だったと、自己紹介のときに言っていたような気がする。

 一年二組は三着だった。いくら祐の足が速くても、最下位から首位に躍り出ることはできなかったようだ。あれほど差が開いていたのに、ビリから脱却しただけでも大健闘と言っていい。

「午後イチ、わたしたちのダンスだね。楽しみ」

 興奮冷めやらぬグラウンドを見つめたまま、のぞみが言った。

「楽しみだけど、あたしはけっこう緊張してる」

「ええ、そんなのもったいないよ。せっかくの舞台を楽しまなきゃ」

「すごいなあ、マキちゃんは。本番前、どきどきしたりしないの?」

 のぞみの視線が、ようやくあかりをとらえた。

「どきどきするよ。嬉しくてどきどきする。たくさんの人に見てもらえると、わくわくするの。きれいでしょ、わたしをもっと見てって。そしたら身体が羽みたいに軽くなって、どこまでもたおやかに踊れるんだ」

 のぞみはその場でくるりと一回転して見せた。

「すごいなあ」

 あかりは大きく息をついた。やはりのぞみは別の世界に生きている人のようだ。そこで一緒に踊っている莉子も。自分だけ取り残されているような気がする。

 放送部のアナウンスで、昼食の時間が知らされる。一時までにグラウンドに再集合するように、と何度も言っている。

「教室に戻ろうか」

 のぞみが言った。

「まず莉子さん迎えに行かなきゃ。お疲れさまって」

「そうだね」

 あかりはのぞみと一緒に歩き出した。

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