10

 行列は大きな獲物を飲み込んだ蛇みたいに、膨らんだりしぼんだりしながら続いている。最初こそ出席番号順に並んでいたが、いつの間にか列は崩れて近くの人たちで団子になっていた。これは、誰かと一緒に歩かなければならない。

 出席番号の早い莉子は前の方すぎて見えないし、のぞみは近くの子と楽しそうに談笑している。他に入れそうな集団はない。後ろをひとりで千夏が歩いていることは知っていた。でも、あまり話したことはないし、さっきの冷たい態度のこともある。話しかけてはまずいだろうか。

 そう尻込みしかけたが、あかりは自分を鼓舞するように首を振った。

 大丈夫。生まれ変わったあたしは、キラキラで底抜けに楽しい女の子だから。

 これ以上ないくらいの笑顔をつくって千夏を振り返る。

「ねえ若宮さん、一緒に歩こう?」

 千夏は特に顔色を変えずに「うん」とうなずいた。

「若宮さんは第一ポイントから誰と登るの?」

「ひとりで登るよ」

 千夏は表情を崩さない。あかりの方を見ようともしなかった。

「そっか」

 自分の声がしぼみ気味なのがわかる。キラキラの武装は千夏を前にあっさりと敗れた。

 この山道をひとりで登るとはかわいそうだ。友達と歩くから楽しいのであって、ひとりで登ったのでは苦行と変わらない。自分たちと一緒に来ないか誘ってみようか。でも、莉子たちは何と言うだろう。

「なんか変なこと聞いちゃった。ごめんね」

 結局あかりは千夏を誘わないまま話を進めた。

「別にわたしは気にしてないから」

 すっぱりと言い切る。本当に、少しも寂しいと思ってなさそうな口ぶりだ。それきり千夏は黙ってしまった。あかりも口を開くタイミングを失って、なんとなく気まずい空気が流れる。うつむいて歩きながら、周りの子たちの話し声を聞いていた。

 傾斜はまだ緩やかだが、確実に登っている。高校に入ってからは無言の空気にあまり触れてこなかったせいか、千夏との間に流れる沈黙がやけに重く感じる。話すことがなくなると、とたんに嫌なことが見えてきた。持ってくればよかった日焼け止めのこととか、ダサい白スニーカーのこととか。ひかりの言うことなど無視してお気に入りの新しいスニーカーを履いてくればよかった。ちらりと千夏の足元を見てみる。彼女のスニーカーはあかりと同じ白だったが、キャンバス生地でセンスの良さを感じた。

 ピー、と笛の音がして、集団の動きが止まった。生徒会の人たちが第一ポイントに到着したことをアナウンスしている。あかりはその声を聴いているのももどかしくて、もぞもぞと列の中から抜け出してのぞみと莉子を探しに行った。

 二人はもう集まっていて、ガードレールにすがってお茶を飲んでいた。あかりは二人の間に割って入るように体を滑り込ませた。

「二人とも、お待たせ。早く行こう!」

 のぞみがふわりと笑顔を返してくれる。やはり自分の居場所はここなのだと、あかりは思った。無口でそっけなくて何を考えているのかわからないような千夏のところより、キラキラしていてかわいくて、クラスの中でもちょっと目を引くようなのぞみや莉子のところの方が自分には似合っている。

 

 石のごろごろした未舗装の道を歩く。一歩ずつ確実に踏み出して、膝に手を当てて弾みをつけなければ次の足が出ないくらいには疲れていた。けれど、それを口にしてはいけない。不文律のように、あかりは思っていた。言ってしまったら「疲れた」ということばかりに気がいって、一歩も動けなくなってしまいそうだから。

「あっつーい」

「もう溶ける」

 二人が大きな声を上げる。息は上がっているが、まだ辛うじておしゃべりはできた。短いどうでもいい言葉を並べて、ひたすら声を発している。きっと二人も、口を止めて疲労が正面から迫ってくるのを怖れているのだろう。あかりはだんだん声を出すのもつらくなっていたが、二人の言葉のひとつひとつに「そうだね」とあいづちを打っていた。

 生い茂った木々の間から、太陽の光がちらちらと遊ぶ。莉子はジャージのズボンをロールアップして、上着も脱いで腰に巻き付けていた。のぞみは暑いと言いながらも頑なにジャージを脱ごうとせず、袖口に少し手が隠れるようにして着ている。いわゆる萌え袖というやつだ。どうやらそれぞれこだわりがあるらしい。二人とも、自分の雰囲気に合うものをよくわかっている。

 あかりはジャージを着るか脱ぐかで迷っていた。そろそろ暑さも我慢の限界だが、莉子のように着こなす自信はない。上下赤ジャージならまだいいが、上だけ白い体操服だなんてダサすぎる。

 そんなことを考えていたら、急にのぞみが話題を振ってきた。

「ねえ、あかりんはなんでダンス部に入ったの?」

「あー、たしかに。ダンス経験者でもないでしょ。あかりって、最初はもっとおとなしい感じの子かと思ってたから、ダンス部入りたいんだって教室で声かけられたときは意外だったな」

 そんなふうに見えていたのか。最大限に明るいキャラをつくって高校デビューしたけれど、長年見せてきた自分というのは簡単には隠せないらしい。

「んー、そうだな。なんか新しいこと始めたくって」

 どうしてと訊かれたら、必ずこう答えることにしている。嘘でもごまかしでもない。あかりはこれまでの自分からは想像もつかないような世界に、足を踏み入れてみたかった。

「中学のときは何してたんだっけ」

「えっと……そう、テニス」

「へえ、それも意外」

 莉子はおとがいに指を当てて言った。

 テニス部に所属していたというのは真っ赤な嘘だ。本当は美術部に入っていた。それも、一年の二学期からは生徒会活動を言い訳にしてほとんど幽霊部員になっていた。

 このクラスに中学の同級生がいなくて本当によかった。明るくてキラキラした女の子は、きっと美術部なんか入らない。地味で真面目で、いつでもひとりだった過去の矢島あかりのことは、誰も知らなくていい。今のあたしだけを見てくれたら、それでいい。

「二人こそ、なんでダンス部にしたの? マキちゃんは中学のときバドミントンやってたって言ってたよね。莉子さんも、バレーだったっけ」

 あかりが訊くと、二人は顔を見合わせてふにゃっと笑った。

「あたしたち、幼馴染なの。校区は違ったけどお母さんたちが仲良しだったから。あたしは小さいころからダンスやってて、のぞみもバレエを習ってたから、よく一緒に適当な踊りをつくって遊んでたんだ。だから、同じ高校に入って一緒にダンスをしようって決めてたの」

 ね、と莉子がのぞみの方を見る。のぞみが優しい笑顔を返す。なんだかとてもキラキラしていた。

 あかりたちが話しながらゆっくり歩いている横を、千夏がすたすたと追い越していった。やはりひとりで歩いている。一緒に歩けるような友達はひとりもいないのだろうか。

 千夏の背中がどんどん遠ざかっていく。彼女の背中を見て、あかりはかつての自分を思い出した。まとう鎧の厚さに誰も近づいてくれなかった、昔のあたし。千夏もきっとそうなのだ。かわいそうに。あかりはもう、あんなふうにはならないと決めた。背中で揺れるまっすぐでさらさらな髪は、あかりの決意の証だった。

「……かり、あかり」

「へ?」

 急に莉子の手のひらが目の前に現れて、あかりは間抜けな声を上げた。

「あかり、さっきの話聞いてた?」

「ごめん、聞いてなかった。なに、何の話?」

「クラスの男子で誰がかっこいいかって話。あかりは誰がいいと思う?」

 莉子が細い腰に手を当てて、もう、とため息をついている。けっこうな坂道を登っているのに、あまり疲れた様子はない。そういえばあかりも少し前より体が楽になっている気がする。ランナーズハイみたいなものだろうか。体が疲れた状態に慣れ始めている。

「うーん、顔で言うなら上條くんとか」

 入学したばかりでクラスメイトのひととなりもわからないし、まだ顔と名前が一致していない人もいる。無難なところで、教室で一番目立っている人の名前を挙げておいた。

「あかりんったら、メンクイだね」

 のぞみがあかりの背中をぽんぽんと叩く。

「あー、上條ね。たしかに顔はいいけど、性格がちょっとね」

 訳知り顔で莉子が言う。

「そうなの? 莉子さん、上條くんと知り合い?」

 あかりが訊ねると、のぞみが手招きをした。近寄ると、背伸びをしてあかりの耳元に顔を寄せる。

 ――上條くんはね、莉子ちゃんの元カレなの。

 驚いてのぞみの顔を見ると、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべた。唇に人差し指を当てて、内緒ね、と言う。あかりは小さくうなずいた。

「のぞみ、なんかいらないことあかりに言ったでしょ」

 のぞみはふにゃっと笑う。その笑顔を見て、あかりは胸にちくりと痛みを覚えた。こういうふとした瞬間に、二人の付き合いが長いことを思い出す。あかりが知らない二人だけの世界を垣間見て、どうしようもない疎外感を覚える。

「マキちゃんは誰がいいの?」

 さっき感じたチクチクしたものを忘れたくて、あかりはのぞみに話題を振った。

「ええ、秘密だよ」

「そんなあ。あたしは言ったのに」

「じゃあ、あかりんにだけ教えてあげる」

 そう言って、のぞみはまたあかりに耳打ちをした。

 ――及川くん。

 耳に感じるのぞみの吐息が、少しだけ熱い。恋する者の息遣いだ。

「ねーえ、のぞみ誰って言ったの?」

 仲間外れにされた莉子が甘えたような声であかりに尋ねる。あかりはのぞみと目を合わせて「秘密だよね」と笑った。二人だけで共有する秘密があることが、あかりは嬉しかった。莉子とのぞみの二人だけの世界に、ようやく自分も食い込めたような気がしたのだ。

「いいもんね、のぞみの好きな人くらい見てればすぐにわかるし」

 ぷりぷりしながら莉子が歩く。

「待ってってば。莉子ちゃんの好きな人が誰か教えてくれたら、わたしも教えてあげる」

 のぞみが言うと、莉子は振り返って「藤堂先生」と言った。

「もう、莉子さんったらちゃんと答えてよお」

「本気だって。あたしは年上が好きなの。男は三十過ぎてからよ」

 鼻息荒く莉子が言う。

「そういえば、前にも莉子ちゃんそんなこと言ってたよね」

 付き合ってたのは同級生だけど、とのぞみはこっそり付け足した。

 少し上った先で、莉子が振り返ってあかりとのぞみを待っている。年上が好き、というのはよくわからない。それも自分の二倍も生きている人がいいだなんて、あかりには理解できなかった。けれど、莉子らしいことだとは思った。そういう少し背伸びした大人っぽさが、彼女にはよく似合う。

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