第30話
「ご主人様、今日は遠坂にお付き合いいただきありがとうございます」
「いいですよ、実は俺も遠坂さんを誘おうと思ってましたから」
「そうなのですか? もし行きたい場所がございましたら遠慮なさらず仰ってくださいね」
「いや、適当に買い物をって思ってましたから。ちょうどよかったです」
日曜日の昼下がり。
二人で出かけたのは、彼女が家に来て間もない頃に一緒に買い物に来たショッピングモール。
あの頃はまだ、遠坂さんの私服を見るだけでドキドキして。
まあ、今もドキドキする気持ちは変わらないけど。
ちょっとだけ意味が違うんだよな。
「で、何買いに行きます? 今日は遠坂さんの見たいものがあるんでしょ?」
「ええ。靴と寝巻が傷んでまいりましたので買い替えようかと。ご主人様のお母様より予算をいただいておりますので」
「そっか。じゃあまず必要なものを買っちゃいましょう」
こんな会話をしながら、つい弱気になる。
日用品を買うということは、まだしばらくメイドを続けるつもりがあるんだと。
だから今日慌てて告白しなくてもいいんじゃないかと。
でも、そんな考えはすぐに捨てる。
そうやって先延ばしにしないと決めたんだ。
今日俺は、遠坂さんに……。
すぐに襲ってくるネガティブを振り払いながら買い物に付き合って。
もうお昼時を超えて、客もまばらになってきたころに遠坂さんの買い物を終えた。
しかし計画性がないのはいつものこと。
夕食まで随分と時間が空いてしまった。
「夕方まで時間ありますし、どうします?」
「そうですね。一度荷物を置きに家に戻りましょうか」
「ですね。そういえば今日のお店ってどこか決めてるんですか?」
「ええ、ばっちりです。予約も済ませておりますので」
任せてくださいと。
そういう時、だいたいろくなことにならないのを俺は知ってるけど。
でも、今日は遠坂さんに任せることにした。
別に店の予約がとれてなくても、迷子になってもいい。
その時はその時だ。
一度二人で家に戻り、遠坂さんは新調した靴や服を見ながらあれこれと。
そしてすぐにまた、出かけることに。
まだ、時間はおやつ時だ。
「家を出たのはいいんですけどどこに行くんです? まだ早いですよ」
「遠坂は、行ってみたいところがありまして」
黙々と進む遠坂さんの足取りはいつもより軽快で。
住宅街を抜けて少し広い道に出てから、また先を目指す。
こっちって……。
「わーっ、綺麗ですね」
「海……」
彼女が向かったのは海だった。
冬埼海浜公園という名称の、しかし実際は寂れたただの砂浜で。
もうすぐ暑い季節がやってくるというのに、人もほとんどいない場所。
涼しい潮風が心地よい。
「んー、潮の香りっていいですねご主人様」
「遠坂さん、呼び方が」
「あ、つい。でも、海を見ていると素の自分に戻れるというか。心が洗われる気分です」
「ご主人様呼びが素だってのもなんだかなあ。遠坂さんは生粋のメイドさんですね」
「ええ。遠坂は深瀬君の為のメイドです。あなたの為の……」
「遠坂さん?」
ザーッと。
波の音が静かなこの場所に響く。
少し風が強くなって、むしろ肌寒いくらいのはずなのに、彼女の顔は熱があるくらい赤く染まっている。
「寒くないですか?」
「え、ええ。それより、ここで遠坂と少しお話しませんか?」
「え? まあ、いいですけど」
話とは。
それは昨日言ってた、きちんとしたい話なのだろうか。
また、胸がトクンと音を立てる。
「……遠坂は、深瀬君のメイドとしておそばにいられることをいつも光栄に思っております。毎日、こんなダメな女を使っていただきありがとうございます」
「な、なにを言うんですか。俺の方こそ何もない人間だというのに、遠坂さんにいつも助けてもらってばかりで」
「いえいえ、遠坂はダメなことを自覚しています。ですからこのままクビにならず、お仕えさせていただければそれだけで幸せです」
「……俺が遠坂さんをクビにするなんてありえませんよ。母さんも言ってたけど、ずっといてくれていいんですよ」
ずっと。
なんなら一生。
それでもいいと、俺は思ってる。
でも、クビにしたくないはちょっと嘘かもな。
メイドなんて、やめてもらってもいいって。
そんなことは思ってるわけだから。
「はい。ですがこんな遠坂も、ご主人様に一つだけお願いしたいことがございまして」
「はは、奇遇ですね。俺も遠坂さんにお願いしたいことがありまして」
「そうなのですか? ええと、それはもしや、減給とか?」
「ただでさえ住み込みでやってもらっててそれはないでしょ。ていうか遠坂さんこそ、昇給してほしいとか? だったら母さんに訊いてみますけど」
「え、ええと。別にお金のことは何不自由ないのですが……」
その時、両手を頬に添えてポッと赤くなる遠坂さん。
可愛い。ああもう、ほんと可愛いなこの人。
ほんとは夕食の時まで言わないつもりだったけど。
いいやもう。可愛いから口が滑ったんでいい。
「遠坂さん」
「ご主人様」
互いに呼んだ声が被った。
でも、このまま言い切ろうと。
「……俺、遠坂さんのことが」
「遠坂は、ご主人様の事を」
「好きです」
「愛しています」
そのまま。
言い切った。
言えたと。
そう思った時、彼女にとんでもないことを言われたと、自覚する。
「……え、遠坂さん今、なんて?」
「ご、ご主人様こそ……今なんとおっしゃられましたか?」
「え、俺は遠坂さんが好きだって」
「み、遠坂はご主人様を愛してると……」
「「……ええっ!?」」
被った。
今日は見事なまでに声が被る。
そして同時に立ち上がる。
「え、遠坂さんが好きな人って、その、なんか別にいるんじゃ」
「そ、そんな人いるわけありません! 遠坂はずっと、ご主人様を好いておりました。ですが……メイドという身分故」
「そ、それなら、ええと、もし俺がメイドをやめて彼女になってほしいって、言ったら?」
「遠坂が断るとお思いですか? と、遠坂の願いは、メイドから、ご主人様の恋愛対象に昇格いただけないかという、そんなはしたない願いですのに」
「……遠坂さん」
目の前でいつも以上にあたふたする彼女は、やっぱりそれでもいつもの可愛い彼女だった。
少し強く風が吹いて。
ザザーっと波の音が響く中で。
遠坂さんはやがて動きを止めてから、言う。
「……遠坂を、深瀬君の彼女に、していただけますか?」
その一言で、もう色々限界だった。
「遠坂さん」
抱きしめた。
ぎゅっと、強く、彼女の小さな体を目いっぱい。
「遠坂さん……俺と付き合ってください」
「……はい、喜んで」
「夢じゃない、ですよね」
「ええ。だってこんなにあたたかいのですから。きっと、夢じゃありません」
「嘘、じゃないですよね」
「遠坂はドジをしますが、嘘はつきません。ご主人様が、好きですよ」
「……うん」
抱きしめたせいで、彼女の顔は見えなかった。
でも、俺の顔も見られなくてよかったと。
多分彼女に負けないくらい真っ赤に染まった俺の、少し早い夕焼けみたいな顔を彼女に見せなくて済んだんだから。
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