第29話
彼女の言い残した言葉の意味を、部屋の中で真剣に考えていた。
今すぐ会いたいと思う人は一人しかいない。
その言い方だと、俺が知っている誰かということになるが。
しかし誰だ。誰なんだ?
まずはうちの親。しかしそれほどの仲なのかと言われればどうなんだろう。
それに海外にいる両親に今から会えないかと訊くのも非常識だし。
じゃあ俺の友人?
いや、しかし彼女が学校で誰かと親しくしてるのを見たことはないし。
まさか上杉とかじゃないだろうからそれはないとして。
でも、あのメールは間違えて送ったと彼女は言ってたから。
やっぱり、すぐにでも会いたいと思うような相手が、いるんだ……。
ううっ、胃が痛い。
もう部屋を出たくない。
もうすぐ彼女が帰ってくるだろうけど、顔を合わせたくない。
……さっきまでの意気込みはどこに行ってしまった。
初恋だから諦めたくないって、そう決意したばかりなのに。
心が、折れそうだ……。
♥
どうしましょう……あんなに露骨なことを言ってしまって、ご主人様の顔も見れなかった。
今すぐにでも会いたい人。
そんなの、ご主人様以外にあり得ない。
今こうして買い物してる間だって、ずっと会いたいって思ってるのに。
そんな恥ずかしいことを彼に堂々と告げてしまった。
どんな顔をして帰宅すればよろしいのでしょうか。
こんなに帰宅するのが憂鬱なのは初めてのことです。
……でも、やはり高峰さんの言う通り、遠坂が勝手に忖度してご主人様のお気持ちを推し量るなんて、いいことではありませんでしたね。
あれこれ余計なお世話をするよりも、ご主人様の御意思に任せて。
もしその時に彼が、遠坂めを選んでくださるような奇跡があればその時は……。
♠
「ただいま戻りました」
玄関から遠坂さんの声がした。
でも、寝たふりを決めてしばらく部屋にいると、やがてキッチンの方から騒がしい音が聞こえる。
いつもの調子だ。
多分こうして遠坂さんは明日も明後日も、しばらくは変わらずにメイドさんとしてこの家に仕えてくれるだろう。
でも、いずれは……。
まさか永久就職でもあるまいし。
あーもう、頭がぐちゃぐちゃだ。
……こういう時の上杉か。
「……もしもし。今いいか?」
「どうしたんだよ急に。遠坂さんにフラれたか?」
「うっ……」
「お、おいおいなんだよその反応は。まさか図星かよ」
「い、いや。フラれてはないと、思うんだけど」
しかしフラれた時のことを想像してしまい勝手にダメージを負った。
そして一度ベッドに手をついて呼吸を整えてから、改めて上杉に問う。
「なあ、もし好きな人に別で好きな相手がいたとして、お前はそれでもその人のことをずっと思い続けることってできるか?」
「なにそれ。あたりまえじゃん、好きなんだから」
「……え?」
「いやなにお前、相手が自分のこと好きじゃなかったら嫌いになんの? 逆だよ逆。自分が好きだからそれを全面的にアピールしてさ、なんとか相手に好きになってもらおうって努力すんだろ? それでだめな時もあるけどよ、好きって伝えるのはタダだぜ」
何を悩むことがあるんだよ。
上杉はそう言って電話の向こうで笑った。
「そ、そりゃそうだけど……相手に迷惑じゃない、かな?」
「まあ、好きって言ってダメなら潔く身を引くってのも一つかもな。でもお前、告ったことないんだろ? だったらあーだこーだ言ってないでまず言えよ。どうせ遠坂さん、今日も家にいるんだろ?」
「ま、まあ。でもお前みたいなわけにはいかないんだよ。俺、彼女もいたことないし」
「何人彼女いても一緒だって。結局一番好きな子に振り向いてもらえるかなんて、誰にもわかんねえんだよ。俺だってフラれる時はフラれる」
「そうなのか?」
「ああ。だから早くいっちまえ。そうしたら楽になるって」
「……そう、だな」
「ああ。もじもじして、このままの関係でいいやなんて思ってたらよ、いつの間にか現れたぽっと出にかっさらわれちまうぞ」
「なんか経験があるみたいな言い方だな、それ」
「まあなー。そんなこともあったなーって。だから早く頑張れよ」
じゃあ。
上杉は言いっぱなしで電話を切った。
しばらく。
一人で考え込む。
そして、やはり上杉の言う通りだと、実感する。
ついさっきのこと。
遠坂さんに好きな人がいてもあきらめないと決めたばかりで。
それでも彼女の言葉にまた胸を痛めたりしたけど。
やっぱり諦めるなんてできない。
だから、言おう。
俺は彼女が好きなんだって、はっきり言って。
メイドと主人の関係じゃなくて。
先輩と後輩の仲じゃなくて。
男として、どうなのかって。
そんな話を、しよう。
「ご主人様、お食事の用意が整いました」
部屋の前で遠坂さんの声がした。
少し、心臓がトクンと。
熱くなる顔を冷たい掌で冷やしてから、部屋の電気をつけて扉を開ける。
「……ありがとうございます遠坂さん」
「おやすみでしたか? お疲れのご様子でしたものね」
変わらない笑顔で、いつものメイド姿で彼女が出迎えてくれた。
「いえ、大丈夫です。今日のメニューはなんですか?」
「今日はビーフシチューにしました。スーパーでお肉が安かったんですよ」
「へえ。楽しみですね」
緊張を隠すように、平然を装いながら食卓につく。
そして出来立てのシチューをいただきながら、一息ついて。
遠坂さんに、言う。
「あの、遠坂さん」
「はい、なんでしょうか?」
「明日は、日曜日、ですよね」
「ええ。天気も良いみたいですね」
「……ですね」
あー、ダメだ。
いざデートに誘うとなると緊張して言葉が出てこない。
しかも何も計画できてないし、どうしたらいいんだよ……。
……いや、もう一度。
「遠坂さん」
「はい」
「あ、明日なんですけど」
「ご主人様、明日はご予定ございますか?」
「え?」
「もしよろしければ、遠坂とお買い物に行きませんか?」
「え、ええ。それは構いませんが」
「よかった。あと、夕食も外で済ませませんか? 少しお話したいことがありまして」
「え? 話って、別に今でも」
「いえ、きちんとしたいので」
よろしくお願いします。
深々と頭を下げながら、遠坂さんはそう言い残して先に自分の食器を片付けにいった。
俺は、明日また遠坂さんと買い物ができることに喜びを感じながらも、一抹の不安を隠せずにいた。
話とは。
外できちんとした形を拘ってまで、彼女が俺に言いたいこととは。
そのことを考えると、また胸が苦しくなる。
そして遠坂さんも気まずそうに、「今日はお先に休ませていただきます」と。
そう言って、部屋に戻っていく彼女を見ながら俺は一人で残りのシチューを食べ終えた。
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