第28話


「おつかれ椎名。すごかったな決勝も」

「まあ、当然と言えば当然かなあ。で、優勝したんだし何か奢ってよ」

「わかったわかった……ってちょっとすまん」


 椎名の決勝は昼前に行われて。

 彼女はぶっちぎりで優勝した。

 その圧巻の走りを見届けた俺は、早々に行われた彼女の表彰式を見届けた後、二人で一緒に競技場を出たところ。


 遠坂さんからメッセージが届いていた。


 『今すぐ会いたい』


 その内容に足が止まる。


「……」

「どうしたのよ、お腹空いたんだけど」

「え、ええと」

「ほら、行くわよ。早く早く」

「ま、待てって」


 さっさと行ってしまう椎名に慌ててついて行きながら、片手で遠坂さんにメッセージを送ろうと。 

 しかしなんと送ればいいのかわからず。

 

 電話をかけた。


「……もしもし遠坂さん?」

「あ、ご主人様。すみません、あの、メッセージのことなのですが」

「いえ、何かありましたか? だったら」

「そ、それが、その、間違いでして」

「……間違い?」

「え、ええ。ご友人に送ろうと思っていたのを間違えて。ご心配おかけしました」

「そ、そうですか。なら、いいんですけど」


 間違いと。

 そう言われて最初はホッとした。

 でも、電話を切った後、椎名に再び呼ばれて慌てていたこともあって、あまり気にしてなかったけど。


 よく考えたら誰と間違えたんだと、ファミレスの席についたところで考える。


 休日に遠坂さんが会いたい人。

 友人とは言ってたけど。


 今すぐ会いたい。

 そんなことを友人に送るだろうか。


 もしかしてその相手って……。


「なにボーっとしてんのよ。頼まないの?」

「え? ああ、すまん。俺はランチセットでいいよ」

「じゃあそれ二つね。でさー試合前のことなんだけどね」

「……」


 椎名は優勝して気分もよかったのか、饒舌に話を続ける。

 でも、俺は彼女の声が全く耳に届いてこない。

 食欲もなく、すぐに出てきたランチも箸が進まず。


 こんなのではせっかくの椎名の勝利に水をさしてしまう。

 だからなんとか空気を壊さないようにしないと。

 そう思いながら食事をとる。

 でも、やっぱりダメなものはダメで。


「……椎名ごめん。俺、ちょっと急用ができたんだ」

「え? どうしたのよ」

「いや、ちょっと。埋め合わせはするから今日は、ごめん……せっかくの優勝祝いなのに」

「い、いいけど。そんなに大切な用事なら、仕方ないわね。私はゆっくりしてくから先にどうぞ」

「ああ、すまん」


 先に飯を食べ終えて。

 伝票をもって先に店を出た。

 椎名はしきりに「気にしなくていいからさっさと行きなよ」と。

 いいやつだよほんと。それに比べておれはなんて最低な奴なんだろうか。


 付き合ってもいない、ただの片思いの相手がだれか他の男と会ってるかもと思うだけで友人の頑張りすらろくに祝福できず。

 それどころかその当人を置き去りにしてかえってしまうなんて。 

 椎名にはきちんと謝ろう。

 許してくれないかもだけど、謝るしかない。


 ごちゃごちゃと罪悪感に頭を悩ませながらも俺は走る。

 さっきの椎名みたいに速く走れたらいいのにと思いながら、彼女のいる店に向かうために、まず駅へ。


 電車に乗っている間も、ずっと胸がそわそわして。

 彼女のいる店の最寄り駅についたらすぐに飛び出して。

 また走った。


 そして、息が切れて足が動かなくなった頃に。

 ようやくその喫茶店の看板が見えてきた。


 到着したことに安心して、一度膝に手をつく。

 少し息を整えてから、再び足を前に出すところでふと、思う。


 彼女が、もし本当に会いたい人がいたとして。

 その人が男の人で、俺の知らない人で、その人といい感じだったとして。

 それを見届けて俺は、どうするんだと。


 じゃあ遠坂さんにはお似合いなので、俺は手を引きます?

 俺なんかは所詮ただの後輩で、彼女はたまたま仕事で俺の世話をするために親に雇われただけの人だから遠慮しておこう?


 ……違うだろ。

 初恋って、そんな簡単にあきらめていいものじゃない。


 可愛いとか、そんなことを思ったりなんて経験は今までにもあったけど。

 好きだって。そう思ったのは彼女が始めてで。

 たった一度きりの初恋を彼女の為に使ったんだ。

 簡単にあきらめてたまるかって話だ。


 止まりかけた足を再び前へ。

 すると、ガラス張りの店の中に一人の女性がいるのが見えた。


 遠坂さんだ。

 遠坂さんがいた。

 一人で、いた。


 その時俺は、泣きそうだった。

 心配して損したとか、そんなことの前に彼女が男の人と一緒じゃなくてよかったと、素直に喜んだ。


 そして店に入る。 

 もちろん彼女のところへ向かう。


「遠坂さん」

「ご、ごしゅじんさま!?」

「……でましょうか……」


 後ろから声をかけた俺がまずかったのだろうけど。

 お店の中で大声でご主人様呼ばわりされて。

 他の客からの冷たい視線を一斉に集めてしまった。


 俺は恥ずかしさのあまりすぐに店を飛び出すと、慌てて彼女もついてくる。


「ご、ごしゅじんさまどうしてここに?」

「遠坂さん、ここ外だから」

「あ、失礼しました……ふ、深瀬君はどうしてここに?」

「まあ、早く用事が終わって。まだいるのかなって通りかかったら遠坂さんを見つけて」

「そう、ですか」


 なあんだと、ほっとする彼女をみて俺も一息。

 しかし、会いたいと送りたかった人間が誰なのかまでははっきりせず。


 だから、俺は訊こうと。

 もしそれが彼女の好きな人だったとして。

 それならそれで振り向いてもらえるように俺が頑張るだけだから。


「遠坂さん、さっきのメール誰と間違えたんですか?」

「え、あ、あれはですね……その、えと」

「……別に相手が誰でも構いませんよ。でも、その人とは会わなかったのかなって」


 訊きながら胸が苦しくなる。

 こうして駆け付けて邪魔しておいて、またそんな話をするなんて俺も俺だ。

 

「そ、それは……」

「べ、別に答えにくかったらいいですよ。俺、先に帰りますんで」


 言葉に詰まる彼女を見ていると俺も息が詰まりそうで。

 せっかく彼女と会えたというのにまた遠ざけようと、先に家に向かおうとする。


 その時。


 彼女が「ご主人様」と言って呼び止める。

 俺は、外でその呼び方はダメって言っただろうと、呆れるように彼女の方を向く。


「ご主人様」

「い、いや遠坂さん。その呼び方は」

「ご主人様、私が今すぐにでも会いたいと思う方なんて、一人しか、いませんよ?」

「え?」

「……買い物に行ってきます。気を付けておかえりください」

「あ、うん」


 なんとも言えない優しい笑顔を向けた後で彼女は、くるっと反対を向いて歩きだす。


 その後ろ姿をしばらく見届けて。

 見蕩れて。

 やがて姿が見えなくなってから俺は、一人で先に家に帰った。

 

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