第20話 父と母

「お、うまそうじゃないか。早速食べよう。母さん、ビールとってくれ」


 親父がまず席につく。それを見て俺と母さんがそれぞれの椅子に腰かけるのだが遠坂さんはどうしたらいいかわからず立ったままおろおろしている。


「ひーちゃんは純也の隣に座りなよ。早く食べましょ」


 母さんが気を利かせてそういった時、親父が少し難しい顔をする。


「何を言うんだ母さん。今日は家族団らんの日だ。使用人である彼女は別で食べたらよいだろうが」


 まだそんなことをいうのかこのくそ親父めと、俺はその言葉に腹が立った。

 今まで一度も親父に逆らったことのない俺だけど、今日ばかりは我慢の限界だ。


 手にもった箸を投げつけてやろうかと、強く握りしめたところでなんと。


「まじちっさいのよくそ親父。そんなに言うならあんたは食うな!」


 母さんがキレた。


「な、なにをいうんだ母さん。俺はだな」

「あーもうちっさいちっさい。マジそんなんだからあんた私より役職下なのよ。人望ないし、やることみみっちいし。あんたのこと、部下がなんて呼んでるか知ってる?怪人ケチンボーよ」

「な、なんだと!?誰がそんなことを言って」

「みんなよみんな!あーもう、せっかくのご飯がまずくなるからあんたはその辺でラーメンでも食って来いこのグズ!」


 母さんは実に男前に、父さんめがけて一万円を投げつけた。


 それに対してまだ反論しようとする親父だったが、母さんがこの世のものとは思えないくらいに低い声で「男ならけじめつけんかい!」といったところでゲームセット。


 親父は寂しく家を出ていった。


「……え、え、え?」

「あーすっきりした。マジあの男ったら昔から細かいのよねえ。まあ私のこと好きだから結婚してやったけど、人選ミスったかなー」

「母さん?」

「あはは、大丈夫大丈夫いつものことよ。その辺で飲んで帰ってきたら忘れてるって」


 両親は帰りが遅く、いつも俺が寝た後に飯を食べていたほどなので、正直夫婦の会話なんてものをあまり聞いたことがなかった。

 家族旅行なんかも数えるほどしかなく、普段は仲良くしている二人だったからまさかな出来事であった。


「まあ、すっきりしたところで食べよっか。ひーちゃん、ほら座って」

「……あの、私」

「いいっての。あんな馬鹿の言うこといちいち真に受けてたらキリがないって。それに、ひーちゃんはもう家族みたいなもんなんだから」

「お、お母様……」

「ほら、泣かないの。さっさと食べないと私が全部食べちゃうわよ」

「は、はい!」


 自分の為に父を叱ってくれた母に対して申し訳なさそうに、そして自分のせいで出て行かされた父に対してもまた申し訳ないといった具合に遠慮気味な彼女だったが、母さんの持ち前の明るさに引っ張られて徐々に明るさを取り戻していく。


「うん、うまいねー。ほら、トロだよトロ。純也、ひーちゃんにとってあげて」

「母さん、父さんにああやって言ってくれたのは助かったけど、でも遠坂さんを雇ってるのは父さんだからさ、その、大丈夫なの?」

「問題なっしーん。あいつがクビにするんなら私がひーちゃん雇うわよ。それに、毎日頑張ってくれてるのはベランダ見ただけでよーくわかったわ」

「?」


 ベランダを見て?いや、確かに綺麗にしたはずなんだけど。


「あんなつぎはぎだらけのベランダ、見たことないって。慣れない家事も懸命に頑張ってる証拠よ。ま、壊すのは安いものだけにしてほしいけどねー」

「ば、ばれてたんだ」

「当たり前よ。でも、直したのはあんたでしょ。なんかさ、そうやって協力して生活してるのっていいなあって思うから。だからひーちゃんはずっとここにいてね」


 ずっとここに。

 それはもちろん俺も願ったり叶ったりのことだけど、そんなことを言われて彼女はどう答えるのだろう。


「はい、一生ついて行きます!」


 遠坂さんはトロを食べて目がトロンとなりながら、母さんに忠誠を誓っていた……


「と、遠坂さん。そんな軽々しく約束したらダメですよ。この人、一回聞いたこと全部覚えてるんだから」

「純也さん、このお寿司すっごくおいしいです!こんなものをいただいたからには一生この身を捧げる覚悟です!」

「ダメだこりゃ……」


 すっかり寿司で買収されていた。

 でも、その後で彼女が気になる一言を。


「別にお寿司がなくても私……いえ、なんでもありません」


 最後まで言い切らず、何の話だろうと不思議そうに遠坂さんを見ていると、向かいの母さんがニヤッと。


「ははーん、そんな感じなのねーあんたたち。ふむふむ、こりゃ次回帰国する時の楽しみが増えたわ」

「何の話だよ。それより、食べないんならいくらもらうぞ」

「あー、どろぼー」


 家族団らん、とはちょっと違った形になったがとても楽しい夕食だった。

 もちろん一人寂しく家を追い出された親父が不憫だとも思うが、まあ自業自得だ。


「はー、食った食った。そんじゃあ、あのバカが帰ってくる前に風呂済ませてちゃっちゃと寝ましょう」


 ひと悶着あったこともあり、すっかり遅くなってしまったので俺たちは風呂に順番に入って寝支度を整えた。


 そしてそれぞれの部屋に戻る時に、ちょうど親父が帰宅。


「ただいまあ」

「おかえりお父さん。ちょっとは反省した?」

「お、俺はまだ認めてはいないぞ」

「それならもっかい締め出したろかい!」

「う、嘘です嘘です!はい、寝ます!」


 どうやら親父は母さんには一切逆らえないようだ。

 まあ、女性が強いくらいの方が案外家庭はうまく回るのかもしれない。


 そんな二人のやりとりを遠目で見ながら、俺たちは部屋に戻る。



 ……うん?


 なんか重い。疲れてるのかな。


 夜中に目が覚めた時、少しやわらかな感触と、何かに締め付けられるような感覚が。


 一体何が? と目をこすって横を見ると、そこには遠坂さんの顔が。


「うわっ!」

「ごしゅじんしゃま……むにゃむにゃ」


 しまった、彼女の夢遊病を忘れてた。

 

 いや、しかしこの状況はまずい。 

 抱きつかれて動けないし、顔がキスできそうなくらいに近いし、何か柔らかいものが当たってる……


「遠坂さん、遠坂さん!」

「むにゃむにゃ……ぎゅー」

「っ!?」


 呼びかけに対して一層強く抱きしめられて、更に俺の体には彼女の胸が……


 やばい、理性が飛ぶ……


「と、遠坂さんごめん!」

「ふがっ!」


 俺はクッションを彼女の顔に押し付けて、そのままベッドの下に避難した。

 

 もし今日以外だったら、彼女をこのまま襲っていたかもしれない。

 でも、さすがに両親がいる実家で彼女に手を出すなど、そんなことはできるはずもなく。


 俺はいつものようにリビングに避難した。

 ただ、さっきの感触が頭を離れない。


 ……柔らかかった。それに結構大きくて。

 

 ずっとそんなことを考えていると、いつも以上に寝つけず。

 結局遠坂さんとの鬼ごっこも手伝って、今日は一睡もできなかった……


 

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