第19話 母親

「ただいまー」


 母さんの声だ。


「ああ、母さんが帰ってきたようだ。では、一旦話はここまでにしよう。続きは夜だ」


 そう言って親父はさっさと自室に戻っていく。

 そして入れ替わるように母の姿がリビングに。


「あら、純也おひさー。元気してた?」

「母さん、いい歳なんだからその話し方はやめろよ」

「まだ三十六よー。バリバリ現役だもん」


 深瀬成美ふかせなるみは、言うまでもなく俺の母である。

 彼女は父と同じ会社で働くエンジニアで、彼女もまた会社に欠かせない存在として毎日忙しい日々を送っている。


 仕事に飲み会にと毎晩帰りは遅く、出張で家を空けることも多い彼女の見た目は到底高校生の子を持つ中年には見えないくらいに若い。

 息子から見ても二十代で通りそうなギャルだ。

 そして軽い。何もかもが軽い。これで浮気をしたことがないというのが奇跡なレベルにノリが軽いのだ。


「あー、もしかしてメイドちゃん?わー、かっわいー!」

「は、初めまして奥様!私、遠坂瞳と申しまして、その、純也さんには、ええと、いつも大変お世話に」

「なーにかしこまってんのよー。ラフに行こうよラフに。どーせあのくそ親父に変な嫌がらせされたんでしょー」

「く、くそ親父……いえ、そんな。旦那様には何も」

「あー、くそ親父がお父さんだとは一言も言ってないぞー」

「す、すみませんすみません!」

「あっははは。純也、この子めっちゃ可愛いね。私、タイプかもー」


 遠坂さんと母さんははっきり言って水と油。

 絶対にマッチングしないタイプなのだが。


「よーし、今日はひーちゃんと買い物行こっと」

「ひ、ひーちゃん?」

「瞳だからひーちゃん。かわいいっしょ」

「は、はあ」

「じゃあ純也、ちょっとこの子借りてくね。夕飯までには戻るから―」

「ちょ、ちょっと」


 遠坂さんは半強制的に母親に拉致された。

 俺に助けを求めるように泣きそうな目でこっちを見る遠坂さんを何とか救出しようと試みたが、母さんがどすの効いた声で「男ならどっしりしとらんかい!」と一喝。


 俺はビビッて足を止めてしまった。

 

 そして遠坂さんは外に連れ出された。



 ……母さんはその昔、相当なヤンキーだったと訊いたことがある。

 その片鱗というか、時々見せる怖い顔が、ほんと死ぬほど怖いのだ。


 普段は友達みたいなくせに、怒るとああなる。

 でも、理不尽ではなく、喧嘩ややんちゃには寛容な母だ。

 その代わり、人を陥れるようなことや汚い嘘をついたりするとまあ死ぬほど怒られたものだ。


 だから俺は真っすぐ育ったのだろうし、今も身に沁みついた恐怖が道を踏み外させないのだろう。


 しかし遠坂さん、大丈夫かな?

 まあ、良くも悪くも自分勝手な母だけど、一応大人としての最低限の常識はあるし、彼女に服の一つでもプレゼントしてあげるくらいはするだろうが、それでも彼女をおもちゃみたいに振り回して困らせないだろうか。

 

 いや、それだけならまだしも、あの母にうんざりして遠坂さんが自主退職なんてことに……


 あー、やっぱり両親が帰ってきて嬉しいなんてことは一つもない。


 親父も部屋に籠ってしまったし、俺も一度休むこととしよう。

 はやく帰ってこないかなあ、遠坂さん。



「きゃー、ひーちゃんかわいいー!」

「そ、そんな……ええと」

「次、これも着てみて!ぜーんぶお姉さんが買ってあげるから」


 私は今、ご主人様のお母様とお買い物に来ています。

 しかもお母様はご自身の買い物ではなく、遠坂の為に服を買っていただけるそうで。


「よーし、全部買っちゃえ。あとはー、なんか甘いもんでも食べながら帰ろっか」

「こ、こんなに……わ、私、どうやって返せばよいか」

「なーに言ってるのよ。普段息子が世話になってるんだからこれくらい普通よ」

「そんな……むしろお世話になっているのは私の方です」


 そう。むしろ救われているのは私の方なのです。

 

 両親がいなくなり働かざるを得なくなった私は、コンビニやスーパーのアルバイトにトライしてみました。

 しかし遠坂は不器用で、すぐにクビになるばかり。


 このままでは路頭に迷ってしまうと困り果てたところで拾っていただいたのがご主人様のお父様。

 ただ、旦那様は怖く、仕える息子様が気に入らなければすぐにやめてもらうと条件を付けられました。


 でも、ご主人様は寛大で、優しく私のミスを笑ってくださり遠坂は毎日救われております。

 最初は緊張しましたが、すぐに彼に惹かれていく自分がいました。

 今となればあの人に、この身を捧げてもいいと……きゃっ。


「……」

「……ふーん。そういうことねえ」

「な、なにか?」

「いんやー。でも、案外あの子も隅に置けないんだなって。よーし、帰ったら祝杯じゃー」

「な、なんのでございますか?」

「いいのいいの。それに、私に気を遣わなくてもいいからね。気軽に、ナルミンって呼んでね」

「い、いえそんな恐れ多いです」

「いーの。さっ、言ってみ」

「な、なる、みん?」

「あっははは。やっぱひーちゃんかわいー」


 私のどこをそんなに気に入っていただけたのはわからずじまいですが、しかしこうしてご主人様のお母様と仲良くなれたのはとても幸せです。


 ただ、ここで気を緩めてぼろを出しては何もかもが水の泡。

 気を引き締め直さねば!



「たっだいまー」


 母さんが帰ってきた。

 ということはつまり。


「おかえり遠坂さん」

「た、ただいま戻りましたごしゅ……純也さん」

「純也、私にもおかえりはないの?」

「ない。それより遠坂さんに失礼なことしなかっただろうな」

「ないない。それにいっぱい仲良くなっちゃったもんねー。ねーひーちゃん」

「は、はい!」


 どこがだよ。委縮してんじゃねえか。

 でもまあ、何もなかったのならそれでいいか。


「そろそろお寿司来るから、ひーちゃんも着替えておいで。準備は私がやっとくから」

「い、いえそんなことは!私にさせてください」

「じゃあ一緒にしよっか。なんか娘できたみたいで楽しー!」


 はしゃぐ母はすぐに台所へ。

 遠坂さんも慌ててついて行き、二人でせっせと夕食の準備をしていた。


 その光景をみると少しほっとする。

 なんか仲のいい嫁姑みたいで……ってそれじゃまるで遠坂さんが俺の嫁だと言ってるようなもんじゃんか。


 ……そうなると、いいのにな。


「すみませーん。出前でーす」


 変な妄想を巡らせているところに出前が届いた。


 慌てて玄関に行き、寿司桶を受け取ってキッチンに持っていくと、二人が簡単なおかずなんかを作ってテーブルに盛っているところだった。


「お、来た来た。じゃあ純也、お父さん呼んできて」


 今日は寿司。

 それも家族そろって。加えて遠坂さんも交えて。


 なんか冗談ぽく言ったけど、本当に結婚の挨拶みたいだなあと、勝手に妄想して勝手に照れながら親父を呼びに向かう。


 ただ、この寿司を食べれない人間がいるなんて、この時は思いもしなかったのだが。

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