第15話 水族館は無礼講?

「見てくださいご主人様!可愛い!」

「遠坂さん遠坂さん、公共の場所でご主人様はちょっと」

「あ、そうですね。では……深瀬君?」

「ドキッ」


 遠坂さんとの水族館デートは始まった瞬間から楽しかった。

 まず、私服姿の彼女に名前で呼ばれることでテンションが上がり、水槽をキラキラした目で見つめながらはしゃぐ彼女の天真爛漫さに心が躍り、そんな彼女に見惚れる周りの大人たちを見て勝手に優越感に浸る。


 彼女とは恋仲ではなく、あくまで契約に基づいた主従関係でしかないと知っていても、それでも今は彼女とプライベートで一緒の時間を過ごしているのだから少しは鼻が高くなるというもの。


「深瀬君、次行きましょう」

「は、はい。どこ行きますか?」

「……」

「どうしました?」

「あの……今日はプライベートなので、敬語はやめませんか?なんか他人行儀というか」

「え?」


 よく考えたら俺と彼女は互いに敬語で話す仲。

 俺からすれば年上の女性だから当然だし、彼女からすれば一応主人という立場である俺に敬語を使うのもまあ当然なのかもしれないが。


 いまいち彼女との距離が縮まらない気がしていた違和感の正体はこれだったのかもしれない。

 でも、いいのかな?


「ええと、いいんですか?」

「はい。あっ、ええと……うん!」

「どきっ」


 彼女の提案により、今日一日は互いに無礼講ということになった。

 呼び方こそ変わらないが、敬語を使ったら罰金、というルールで今日一日を過ごすことになる。


「えーと、遠坂さん次どこ行く?」

「そうで……そうねえ、イルカのショーとか?」

「いいですね!……あっ」

「ふふっ、罰金ですね。……あっ」

「うん、これでチャラだ。あはは、難しいね案外」

「そうですね……あっ、今のはなしで!」

「だめー、遠坂さん今のはカウントするよ」

「もー」


 こんなくだらないやり取りが死ぬほど楽しい。

 ていうか懸命に言葉を選びながらはしゃぐ彼女が死ぬほどかわいい。

 ていうか死んでもいい。もうこのまま命尽きようとも後悔はないレベルに幸せだ。


 多分傍から見れば相当だらしない顔をしていたと思う。

 でもそんなことを気にするよりもまず、目の前の彼女を喜ばそうと。いや、彼女との時間を堪能しようと、単に必死だった。


「見て、イルカ!わー、かわいい」

「でもすごいなあ、どうやったらイルカを調教できるんだろ」

「愛情込めてせっしていたら言葉が通じるものだって、以前テレビで言って……たわ。見て見て、はじまる!」


 イルカショーが始まり、俺たちは客席に並んで腰かけ、飛び跳ねるイルカの見事な芸を堪能した。

 否、俺は多分イルカなんて大して見ていなかった。


 子供みたいに目を輝かせる彼女の横顔をずっと見ていたから。



「あー、楽しかった。遠坂さん、お土産見に行く?」

「はい……う、うん」

「あはは、もう無理しなくていいですって。なんかタメ口で話すのも面白かったですけど、遠坂さんは綺麗な言葉遣いで話してくれるいつもの感じの方が慣れてますから」

「そ、そうですか。では、お土産売り場に参りましょう」


 水族館を出たところで敬語禁止のルールは解けた。

 でも、ああやって話していると本当に彼女と恋仲になったような錯覚に陥ってしまう。

 なんか癖になりそうだから、この遊びは封印しないとまずいかも、なんて思っていた。


 すぐ向かいにあるお土産売り場には、さっきいたイルカのグッズや人形なんかがたくさん。

 どれもまあ結構な値段だけど、せっかく来たんだし彼女の欲しいというものを一つ買ってあげよう。


「何かいいのありました?」

「ええと、遠坂はこのアザラシのぬいぐるみが非常に気になっております」

「かわいいですね。それ、買いますよ」

「いえいえ!遠坂のポケットマネーで買いますから」

「いいんですよ。今日は楽しかったのでお礼させてください」

「……私の方こそ楽しかったのに……」

「え?」

「い、いえ! で、ではお言葉に甘えて……お願いします」


 買ってすぐにそれを渡すと、彼女は泣きそうなくらい顔をくしゃくしゃにして「このアザラシは墓場まで持っていきます」なんて言って喜んでくれた。


 まあ、言うまでもないが喜ぶ彼女を見れて俺も幸せなわけで。

 だからやっぱり今日、ここにきてよかったと思う。


「なんかお腹空きましたね。せっかくだから何か食べて帰りましょうか」

「ええ。それでは遠坂はラーメンを食べたいです」

「じゃあ、一回戻りましょうか。家の近くに美味しいとこあるんですよ」


 こうして遠坂さんの休日は無事、何事もなく終わりへと向かう。



「いらっしゃいませー」


 近所にあるラーメン屋は赤い暖簾に『らーめん』と書いた店の名前もよくわからない古い店。

 水はセルフサービスでメニューもシンプルにラーメンとチャーシュー麺しかないのだけどここの味は抜群にうまい。

 だから汚い店ではあるが是非ということで遠坂さんに紹介したのだけど、俺は彼女が天然だということをすっかり忘れていた。


「あの、お席に案内していただけますか?」

「遠坂さん、好きなとこに座っていいんですよ」

「そ、そうですか。では」


 まず席に座ると、遠坂さんが何かにイライラしている様子。

 もしかして気に入らなかったのだろうか?


「すみませんこんなとこで。でもおいしいから紹介したくて」

「いえ、ご主人様のご利用されるお店なので楽しみなのですが、しかしどうしてここの従業員は水をもって来ないのでしょう。あと、メニュー表もありませんし」

「メ、メニューは壁に書いてるあれだけですし水はセルフなんですよ」

「セルフ? 持参しなければならないのですか?」

「いえ、そこにありますよ……」


 どうやらこういう店に来るのは初めての様子。

 貧乏だったというわりには育ちがよくて世間知らずなお嬢様のような彼女だが、それでも見ればどういう店かくらいわかりそうなものだけど……


「はい、ラーメンでーす」

「まあおいしそう。ご主人様、いただきましょう」


 俺は何度も食べたことがあるが、初めてそれを食べた彼女は一口すすった後に大きな声で「うまっ!」と。


「おいしいです! ご主人様、ここのラーメン、美味しいです!」

「それはよかったです。近いし、またいつでも来ましょう」

「はい、喜んで。でも、ここはご主人様が開拓されて発見したのですか?」

「いや、椎名に教えてもらって。あいつ、どこでも大盛りをペロリだからなあ」

「椎名さん……といえば同級生の女性の方ですよね?」

「ええ。あいつとは腐れ縁ですから。でも、ここだと替え玉とかまでしますからほんと男みたいなやつですよ」

「……替え玉ください」

「え? いやいやここのラーメン結構多いし」

「替え玉ください!」

「あいよー、替え玉一丁!」

「えー」


 何があったのかは知らないが、遠坂さんはまだ麺を食べきれてもいないのに替え玉を頼んだ。


 そして替え玉が運ばれてきた時には既に吐きそうな顔をしていたので、俺が食べることに。


 そんなこんなで二人ともお腹いっぱいで苦しいと言いながら、よたよたと家に帰るのであった。

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