第5話 夜の桜は綺麗でしたが

 夜の河川敷は多くの人で賑わっている。

 そのほとんどがカップルであるが。


「ご主人様、見てください綺麗に咲いてますよ」

「ええ、とても綺麗ですね」

「うふふっ、お写真撮らせていただきますね」


 満開の笑顔で俺の方を見る遠坂さんに「君の方が綺麗だよ」なんて死ぬほどキモイセリフを心の中で何度呟いたことか。

 ああ、なんか楽しいなぁ。


「あの木の下で、お茶にしましょう」


 そう言って彼女はいそいそと桜の木の下に敷物を広げる。

 ていうか風呂敷いっぱいに何か荷物を抱えているけどそれは何が入ってるんだ?


「あの、重くないですか?」

「え、私ってそんなにしつこい女ではないと思っていたのですが……」

「いやそっちじゃなくて。荷物、少し持ちますよ?」

「あ、すみません私ったら……昔、占い師の方から「あなたは嫉妬深い」と言われて以来少し気にしておりまして……」

「なんの占いしてもらったんですか……」


 でも、その占いは当たってるような気がしなくもない。

 遠坂さんって愛が重そうだ。最もそれくらい人に尽くす精神がないとメイドなんて務まらないのだろうから、彼女には天職なのかもだけど。


「ちなみにこの中にはキャンプセットとバーベキューの器具を入れてあります」

「いやいやここで一夜を過ごすつもりですか?」

「い、一夜を共にですか!?」

「言ってませんってそんなこと……」


 きゃっ、と顔を隠す彼女はとても可愛いのだけどあまり可愛くない聞き間違いをされてしまった。

 なんで夜桜を見に来てそのまま外で……なんてことを想像できるのだろう。 

 俺は彼女と二人きりでも手を出すどころか見つめているだけでソワソワするレベルの童貞男子だというのに。


 ……彼女はそういう経験とか、今はさすがにいないだろうけど付き合ってた人とかいるのだろうか。

 たった一つでも年上だというだけでそういうよからぬ妄想を働かせてしまうあたり、やはり俺はそんなレベルの童貞男子なのだと実感させられる。


「ご主人様、せっかくお肉持ってきたので焼きませんか?」

「だからそんなことしたら怒られますって。今時は厳しいんですよそういうのも」

「そうですか……では、このお肉は明日に回しましょう。サンドイッチは?」

「作ったんだ……もう少ししたらいただきます」

「りんごは? みかん食べます?」

「どんだけ持ってきてるんですか!? ていうか田舎のオカンか!」


 思わず。少し強めにツッコんでしまったせいで彼女がしょんぼり。

 慌ててフォローするも今度ばかりはショックが大きかったようで、木の下でしゃがみ込んでウジウジしている。


「どうせ私なんて、年上のババァですもんね。はい、田舎のオカンは田舎に帰ります」

「すみません言い過ぎましたって……ていうか田舎には家族がいるんですか?」

「ええと……あっ、そうか私実家ないんだった、あははは」

「……」

 

 最後の冗談は笑えない。

 なぜこの人はそんな不幸話を他人事みたいに笑えるのだろう。


「と、とにかく今はお腹いっぱいだから飲み物もらえますか?」

「はい、それなら……すみません自動販売機はどこですか?」

「……一緒に買いにいきましょう」


 なんで大量の食べ物に対して飲料が一滴もないのだ。

 うーん、遠坂さんは食べるのが好きなのかな?


「ここは奢りますよ。炭酸と普通のどっちがいいですか?」

「ありがとうございます!それでは私はパチパチでお願いします」

「ぱちぱち?」

「え、炭酸のこと、そう言いませんか?」

「うーん、言いませんねぇ……」


 やっぱりどこか田舎のおばあちゃんみたいなんだよな。

 言葉遣いも品があっていいとこのお嬢さんって感じがするんだけど中身とのギャップがあまりにひどい。


 結局炭酸を二本買ってから彼女に渡すと、なぜかシャコシャコとペットボトルを振り始めた。


「な、なにしてるんですか!?」

「え、こうやって飲むと美味しいって今朝クラスの男子の方がですね」

「あ、開けちゃダメ!」

「へ? ……きゃーっ!」


 炭酸のペットボトルを全力で振ってから勢いよくフタをあけたらどうなるか。

 そんなことは小学生でも理解しているようなレベルなのだけど、この人はまるで初めて炭酸を飲んだ人のように、噴射するジュースに驚き、さらにビショビショになっていた。


「だ、大丈夫ですか?」

「うう……まさかこんなことになるとは……ど、どうしましょう?」

「着替えないと風邪引いたらいけませんし帰ります?」

「は、はい……」


 結局、彼女がもってきた大量の荷物のほとんどが使われることはなかった。


 びしょ濡れの彼女に俺の上着を被せてから、人目を避けるようにして帰宅。

 早速彼女のために風呂を入れてあげた。


 リビングで待つ彼女は、寒そうにカタカタと震えている。


「す、すみませんご主人様……くちゅんっ!お、お風呂まで入れていただきまして……へっくちゅんっ!」

「だ、大丈夫ですか?もう風呂沸きますから、服脱いだ方がいいですよ?」

「え……。え、ええと、その……いえ、やはりダメですそんなはしたない!」

「何言ってるんですか脱衣所で脱いで風呂入ってきてください!」

「あ、そ、そうですよね……私ったらなんとはしたない……」


 とてもエッチな勘違いをおこした彼女は、顔を真っ赤にしながら風呂場に走っていった。


 ……あの人、押したらいけるんじゃないか?

 い、いやいやそんないかがわしいこと考えたらダメダメ。

 彼女は学校の先輩でもあるしなにより親から雇ってもらったメイドさんだ。

 そんな人を襲いましたでは、家庭内でも世間でも一生変態扱いされてしまう。


 ……はぁ、普通に先輩後輩で彼女と知り合ってたらどんな感じだったんだろう。

 というより彼女は、学校ではどんなキャラなのだろうか。

 いや、そもそもこんな形でなければ学年の違う彼女と知り合うことは多分なかったわけで。

 だとすれば、やはりこういう形で彼女と知り合うしか方法はなかったということか……。


 うーん、なんともくだらない悩みだけど思春期の俺にとっては死活問題だ。

 慣れてくると、彼女と一つ屋根の下というのは逆に緊張してくるし、それに一つ先輩とわかった今、余計にその辺を意識してしまう。


 悶々としながら、雑念をかき消すように大きな音でテレビを見ていると、ガタンバタンと騒がしい音が風呂場のほうから聞こえてくる。


「待てー!」


 遠坂さんの大きな声が響く。

 何を追いかけてるんだ?


「遠坂さん、どうかしまし……ぶっ!」


 タオル一枚で、蠅たたきをもって走り回る遠坂さんが飛び出してきた。

 急いで目を覆い、伏せる。


「ご主人様、ゴキブリが出ました!」

「そ、その前に服、服着てください!」

「で、でもゴキブリを逃してしまいます」

「い、いいから!俺がやっておくんで着替えてくださいって!」


 まだ彼女がタオルを巻くところまでを忘れるような裸族でなくてよかったと、ホッとする反面少しだけ残念な気持ちになったのは封印しておこう。


 着替えてきた遠坂さんが、再びゴキブリ退治のために奮闘して、いたるところに穴があいてしまい、補修工事をする羽目になったのは言うまでもなく。


 彼女がうちの親からクビにされないか。

 もうそっちが心配になっていた。





 

 

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