第415話 マリーの可愛さと辣油の可能性

 マリーは無邪気な笑顔を浮かべながらも、優雅な動きで俺の下まで歩いて来てくれる。こうしていると完全に貴族子女にしか見えないな。


「お兄ちゃん! どう、似合ってる?」

「うん。すっごく可愛い。めちゃくちゃ似合ってる」


 本心からマリーのことをベタ褒めすると、マリーは嬉しそうに破顔して、後ろでその様子を見守ってくれていた父さんと母さんには苦笑を向けられた。


「着心地はどう?」

「スカートが細いから歩くのが少し大変だけど、着心地は良いよ! 体にピッタリしてる感じ」

「タイトスカートだからね」


 歩幅がどうしても小さくなってしまうので、走ったりはできないのだろう。まだ貴族教育を受けていない時のマリーだったら、絶対に嫌だってすぐに脱いでいた気がする。


『マリー、似合ってるな』

「本当!?」


 ファブリスが寝そべった状態のまま顔を上げてそう言うと、マリーはよっぽど嬉しかったのかファブリスの体に抱きついた。


「へへっ、ありがとう。ファブリスはいつもふわふわで気持ちいいね」

『我の毛は極上だからな』


 なんか、やっぱりファブリスに負けてる気がしてならない。ちょっと悔しい、いや凄く悔しい。

 俺は二人がイチャイチャと戯れているのを横目に、間に割って入って邪魔してやりたい気持ちをなんとか抑え込んで、父さんと母さんと辣油についての話を再開することにした。


「父さん母さん、餃子が冷めないうちに試してみようか」

「確かにそうね。せっかくの焼きたてだもの」


 父さんが持っていたお皿を机に置いて、母さんが持ってきた小皿に餃子を一つずつ移した。そして辣油をスプーンで掬って、一滴れ垂らす。


「このぐらいで良いの?」

「もう少し多くても良いかもしれないけど、辛いからそのぐらいから試してみたら良いかも」

「分かったわ。マリーとファブリスも食べる?」

「うん!」

『もちろんだ』


 母さんが一人一つ準備をしてくれて、皆で一斉に辣油をかけた餃子を口に入れた。

 おおっ、やっぱり合う。これは美味しい。でもこうして餃子に辣油と来たら、醤油が欲しくなってしまう。


「美味しいわね」

「良いアクセントになってるね。ただこの辛味って言うのかな、これが苦手な人はいそうだ」

「そうね。任意で味を変えるのに使ってもらうのが良いかもしれないわ」


 そうして二人が真剣に話し合っている横で、ファブリスは尻尾を揺らしてご機嫌で、マリーは少しだけ顔を顰めていた。


「マリーは苦手?」

「……うん。舌がヒリヒリする」

「ちょっと辛いからね」


 やっぱり子供には不評らしい。確かに俺も辛いものは美味しいっていう記憶があるからこそ美味しく食べられるだけで、それがなかったら舌は痛いし好きにならなかっただろう。


「マリーはこっちを食べる?」


 口直しのためにとクッキーを数枚取り出すと、マリーは瞳を輝かせてそれを受け取った。


「ありがとう!」

『なんだ、マリーはこれが苦手なのか?』

「うん。舌が痛くて美味しくない……」

『では残りは我が食べよう。主人、辣油をもう少しかけてくれるか?』

「はいはい」


 マリーが少し齧って残っていた餃子は、食いしん坊ファブリスの胃の中に収まった。ファブリスは餃子も辣油もかなり気に入ったみたいだ。


「レオン、これは餃子だけじゃなくていろんな料理に使えそうだ。最高のお土産だよ、ありがとう」

「気に入ってもらえたなら良かったよ」

「辣油をもっと美味しくすることもできそうよね……例えばもう少し塩を入れたらどうかしら。後はニンニクも合いそうじゃない?」


 そういえば、この辣油にはそういうものって入ってないかも。複雑な味じゃなくてシンプルな辛味が主だ。辣油自体には混ざり物が少なくて赤い油って印象が強い。


「母さん、それ絶対に美味しくなると思う」

「ロアナ凄いよ……ニンニクは生のまま入れるべきかな。それとも火を通してから?」

「そこは試してみましょう。細かく刻むのもありかもしれないわよ」


 より美味しい辣油になったら、もっと幅広く料理に使えるようになるだろう。二人が作る料理が楽しみだ。


「ティノにも相談して、また色々と試してみようか」

「そうしましょう」


 そうして辣油の扱いについてこれからの方針が決まったところで、俺は気になっていたことを口にした。


「食堂を始める準備ってどこまで進んだの?」

「実は結構頑張ったのよ。内装の工事は数週間前から開始されてるし、従業員の募集もしてるわよ」

「え、そんなに進んだんだ!」


 使用人を使って進めないといけないし二人には大変かと思ってたけど、そこまで進んでるのは朗報だ。


「数日後にロニーとティノに立ち会ってもらって、父さんと母さんで面接をする予定なんだ」

「結構応募してきてる人がいる?」

「それが凄い数みたいなのよ。大公家の名前って凄いのね」


 大公家が新たに食堂を始めるってなったら、応募する人は多いだろう。貴族家や商家からスパイ的な役割で送り込まれてる人もいそうだ。


「全員と面接するのは大変じゃない?」

「大丈夫よ。ロニーとティノが事前に面接して数を絞ってくれてるから。本当にありがたいわ」

「父さん達も立ち会うって言ったんだけど、最初の面接は人柄や料理スキルじゃなくて、大公家にふさわしいかどうかを見極めるだけだから大丈夫って言われたんだ」


 それはロニーとティノに感謝だな。父さんと母さんはまだ貴族社会に慣れてないし、裏の思惑になんて気付けないだろうから。二人がふるい落としてくれてるなら安心できる。


「俺も大公家で働く兵士を面接するときは、事前にロジェが数を絞ってくれたし、それは使用人の仕事だから気にしなくて良いと思うよ」

「そうなのかい?」

「うん。二人はこれからの面接を頑張れば良いんだよ」


 俺のその言葉に父さんは納得したように頷いた。俺が面接に顔を出したら二人の練習にならなくなるから行かないけど、後でロニーにどんな様子だったか聞こう。


「それにしてもそこまで進んでるなら、食堂はあと数週間で開店できるかな」

「そうね……そのぐらいかしら」

「一番時間がかかるのは内装だろうから、それが終わり次第かな」


 あと二週間で降誕祭があるし、それが終わっても一週間は忙しさが続くはずだ。だからその忙しさを過ぎて落ち着いてからの開店が良いかな。


「そろそろ開店日を決めちゃおう。決まってた方が準備をするのにも予定を立てられやすいと思うから。……例えばだけど、降誕祭が終わって二週間後の火の日はどう?」

「うーん、父さんは良いと思うんだけど、新しく雇う予定の皆は準備期間が短くないかい?」


 確かにそうか……今回の食堂は貴族向けでないとは言っても中心街にある食堂だから、最低限給仕の振る舞いは身につけてもらわないといけない。後は新しい調理法もだ。


「ロジェ、中心街の食堂で平民向けにやってる食堂やカフェの給仕レベルだったら、未経験からどのぐらいの期間で身に付くと思う?」

「そうですね……高いレベルを求めないのでしたら、一週間ほどあれば十分かと」


 意外と短いんだな……でもこれはロジェの基準だから、一般的にはこれの倍と考えておこう。そうすると今から四週間後の開店はかなり慌ただしくなりそうだ。まだ従業員の選定も終わってないんだし。


「それなら、今から六週間後の火の日に開店予定はどうかな」

「六週間後か……父さんは良いと思うよ」

「私も賛成よ。それだけあれば準備は完璧にできるもの」

「じゃあその予定で進めて欲しい。人気が出たら二号店、三号店って出す予定だからよろしくね」


 俺のその言葉に二人がやる気に満ちた表情で頷いたところで、食堂に関する話は終わりになった。


 そうしてその後は料理長が張り切った美味しい夕食を堪能し、屋敷で働く皆にも帰還の挨拶をして楽しく夜は更けていった。

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